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アーティストトーク〈三輪恭子〉レポート

11/12に開催した三輪恭子さんのアーティストトークのレポートをお届けします。これまでの制作、展示作品について、担当ディレクターとの対話形式でお話しいただきました。本展では、パステルで描かれたドローイングによるインスタレーション《すばらしい光の群れが来て》を展示しています。会場の様子とあわせてご覧ください。
(以下はアーティストトークを一部抜粋・編集したものです。)

(三輪恭子さん)今日は皆さんお越し頂きまして、ありがとうございます。まず、これまでの私の作品について簡単にお話していきたいと思います。私は大学時代から制作を始めてかれこれ16年くらい経っているんですけど、主にインスタレーションを制作してきました。外光を使ったり、その場所に即したインスタレーションを今まで展開してきています。その場所の風景を取り入れながら、歴史、人の記憶、そういうものに思いをはせるような作品をつくってきました。

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そして数年前から、今回展示しているようなドローイングの制作を始めました。きっかけは、ある時、NHKで与論島のドキュメンタリー番組をしていて、それは家族に関するものでした。その島で、家族の骨を洗う儀式が今も残っているという特集を見て、大変衝撃を受けて一回取材してみたいと思ったのが、今回のように取材してドローイングを描くということの始まりです。これがその与論島の旅の過程をドローイングにしたものです。

※複数のドローイングから成るシリーズ《無題(与論島)》 より「目の前で笑うあなた。」 2015年 紙にパステル、ペン ©MIWA Kyoko

※複数のドローイングから成るシリーズ《無題(与論島)》より「目の前で笑うあなた。」 2015年 紙にパステル、ペン ©MIWA Kyoko

 こうやって、与論島や沖縄などに行く機会も増えて、その土地に住む人や家族との繋がり、宗教、どういったものを信じてきたのかということをリサーチしていました。また、沖縄からハワイに移民として移り住んだ人々を通じて、自分の信じる先祖や宗教がどういうふうに変遷していったのかを調べる旅もしてきました。これはハワイの移民のドローイングです。

《パーソナル・ハッピーマーク》2016年 33.3×24.3cm 紙にパステル、ペン、テキスト ©MIWA Kyoko

《パーソナル・ハッピーマーク》2016年 33.3×24.3cm 紙にパステル、ペン、テキスト ©MIWA Kyoko

こういうふうにいろいろ描いてきたんですけど、沖縄から移民を辿ってハワイを訪れた時に、かなり世界の果てまで来たなという気持ちになりました。でも調べるうちに、こんなに遠くに来ても日本人はお墓を作るなどして日本を懐かしむ風景をハワイに生み出していましたし、家族を思う気持ちは強く普遍的なものと気づきました。そして、自分もハワイの風景に家族や故郷を重ねて見ていることに気づいたんです。ハワイの風景ってすごく(出身地である)宮崎とそっくりだったんですよね。こんなに遠くに来ても、自分は結局のところ親族を見ているという思いが強まって、もう遠くに行くよりも、一回自分の足元を掘り下げる必要があるんじゃないかと思って、今回の宮崎をリサーチしたドローイング制作に繋がっていきました。そこで今回、家族と向き合ってみようと3週間くらい宮崎に戻って、疎遠だった祖母を訪ねました。前まで話ができてたのに認知症が進んでたりして、親族の歴史というものが知らない間に進んでるんですよね。

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(鈴田)おいくつくらいなんですか。

(三輪さん)92〜93歳とか。じいちゃんたちは死んじゃってて、祖母は健在で、でももう何も喋れない。話しかけるけど私のこととか絶対忘れてるんですよね。目とかついじっと見ちゃって、その目がどこを見てるか分からないような不思議な感じがして、わーって引き込まれていくような感じがしましたね。 これは、親族3代に渡る親子の手なんですけど、ばあちゃんと私といとこで形がそっくりなんですよね。だから遺伝としてやっぱり伝わってきているんだなって感じました。それからお墓まいりしたり。

(鈴田)三輪家はずっと宮崎ですか?

(三輪さん)ずっとです。それでリサーチした中での一番の事件をお話ししておきたいんですけど、いろいろ調べようとして、母方のばあちゃんの住んでるところに何か写真とかないのって頼んだら、何もないって言われたんですよ。全部親戚のおじさんが焚き火で家具とか写真とか家系図とかも燃やしたから無いよって言われて。

(鈴田)故意に燃やしたということですか。

(三輪さん)それが誰も理由がわからなくて。なので、全然とっかかりがないまま、聞いて回るしかない。例えば、地元の資料館に行ったとして、一般的な歴史は分かるんだろうけど、自分の親族、個々の話っていうのは分からない。

(鈴田)自分の親族や歴史について曖昧に理解していることがある。そうした部分にも踏み込んだり、家系図を調べ直したというわけですね。

(三輪さん)家系図については、全部それも聞き取って紙におこしました。でもうちの母も「ひいじいちゃんの名前なんやったけね」とか言っているような状態で、戸籍とか取ればいいんでしょうけど、こうやって消えていくんだなぁと思いながら、おしゃべりしながら聞き出すみたいな取材を続けました。

(鈴田)どう説明して聞いて回ったんですか。作品のためのリサーチと言ってですか?

(三輪さん)それはひた隠しにして、録音機とか勝手に仕掛けて誰も気づかないようにして、5〜6時間録って後でこっそり聞いて、それで妄想しながら描くという卑怯な手を使いました(笑)。だから家族にも今回の展示は全く知らせてないですね。こういうのって自分の中で暴力的と思う節があって、親がドローイングになっていることも申し訳ないなと思う。

(鈴田)この風景はドローイングとして会場にも展示されていますね。写真に撮ってドローイングにおこしているんですか。

会場展示風景《すばらしい光の群れが来て》

会場展示風景《すばらしい光の群れが来て》

(三輪さん)全部そうです。写真から抽出して、さらに抽象化しています。道具として写真を使っているというか。 ドローイングにありますが、うちの氏神様です。実家の端っこの方に置いてあるんですけど、これを見た時、ばあちゃんの目との繋がりを感じたというか、いろいろ思うところがありました。

(鈴田)リサーチをして、ドローイングを描いているわけなんですけど、三輪さんにとって他者や見知らぬ土地に対するリサーチと、身近な「家族」へのリサーチはかなり違う印象や受け止め方だったりしたんですか?

(三輪さん)まずいろいろ調べた過程で自分の勝手に思い込んでいた家族への考え方とか、平たく言うといろんな誤解も解けていったりして、すごく家族や親族への気持ちがフラットになったっていうのがありますね。同時に、例えば親族の集まりで話を聞いてると何故か疎外感を感じたりもしました。

(鈴田)それはしばらく離れていたから、とかそういうことですか。

(三輪さん)完全に一つの集落で、集まる人もみんな同じ地域から来てるんですよね。だから楽しそうなんだけど、自分は結構ずっと離れていたから完全に他人だなぁとか思ったりして、居づらくなったりとかもして。不思議なものだなと思いました。

(鈴田)会場のドローイングに2点すごく大きい作品がありますね。1点は炎を描いた作品。あの作品は、先ほど全部親族の一人が燃やしてしまったという炎なんですか。

(三輪さん)そうですね。それが元にはなっていますが、自分の中では抽象的な何かを描いたつもりです。サイズを大きくしたのは、ここに真理があるという気持ちがあったからです。燃やすという行為が、破壊しているのか、逆に作っているのか、良いことなのか、悪いことなのか曖昧であって、また綺麗だなと思ってしまうところとか。この炎のドローイングを描くために、ある祭りを見に行ったんです。大分のケベス祭りというすごい火祭なんですけど、火を見れる場所って全然なくって、わざわざ調べていったんです。燃え盛っていて、どんどん燃えていくのをずっと見ていました。

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(鈴田)もう一点の大きな作品は最初、鯨の口みたいに見えたんですけど、そういうわけじゃないですよね。あの作品は何を描いているのか教えてもらえますか。

(三輪さん)もう一点は、父の顎部分の合成ですね。フォトショップで荒い処理を施していて、ある程度顔とは分からないようにしています。

(鈴田)大きい作品すごく良いなぁと思ったんですけど、今回なぜあの大きさにしたんですか。

(三輪さん)あの大きさじゃないといけないと思ったからです。イメージしたのがあの大きさだったから。大きいドローイングを描いてみたかったんです。洞窟の絵を描きたいというのはずっと前からイメージしていて、このくらいの大きさじゃないとダメだって思ってたからですね。

(鈴田)もともとインスタレーションで大掛かりな作品の制作をされていたので、体を動かして大きな作品に向き合うことは続いていますね。しかし顎を加工した作品は、他の作品は割と風景として描いているのに、この作品だけ合成しているところが異質ですね。そういう新しいことも実験的にやってみたという感じなんですか?

(三輪さん)いいとこ取りというか、描きたいものの集大成として出来上がったという感じですね。

(鈴田)この家族のシリーズは続けるんですか。

(三輪さん)これはきりがないので、もう一旦終わりと思ってますが、まだ先のことは決めていません。だけどドローイングはインスタレーションと並行しながらやっていこうと思っています。

会場から質問

(お客様A)これまで何回か三輪さんのドローイングは見せていただいたんですけど、今回の作品を拝見して、ふと木下晋さんの鉛筆画を思い出しました。木下さんは鉛筆なんですが、三輪さんはなぜ木炭なのかという質問が一つと、今回自分の家族にフォーカスを当てた話を聞いていると家族との良好な関係になりたいという願いを感じたんです。だから、家族に対する思いや願い、何か自分の中で変化があれば、よかったら教えてください。

(三輪さん)木炭で描くかという質問ですけど、私は木炭じゃなくて、パステルなんですね。黒パステルで、木炭はあまり黒が濃くならないのでパステルで描いてます。他にも、なぜ白黒なのかって聞かれるんですけど、光を描きたいからです。光と影を描きたいからで、自分の中の写真で現像していくようなイメージでいつも描いているんですよね。黒い影を描いていって、そこから光をちょっとずつ洗い出していくような感じで描いているから、それにはパステルが一番適した素材だったっていうのはありますね。
家族との関係は良好です(笑)。とても幸せな人生を歩ませてもらっているっていうのがベースにあるからこういうことができるんじゃないかなって逆に思います。私は幸せをベースにフィクション、妄想で全部描いている感じがあるので、逆にこういうふうに申し訳ない感じにもできるんじゃないかなって最近思います。感謝してます。

(お客様B)今回三輪さんは、公募枠で入られているんですけど、テーマに「原初の感覚」と設定されていて、その中でプランを練って応募されたと思います。その時の自分のプランの立て方やそれについての考えであるとか、制作する中の変化、現在それが直結してなくても全然良いと思うんですけど、それに対する自分のスタンスについて教えていただけたらと思います。

(三輪さん)難しいテーマだなと思っていたんですが、テーマを見た時に、今美術作品をいろいろ見ていたら、社会的なテーマを扱った作品がすごく顕著で、問題提起みたいな作品がすごく多いんですが、もうちょっと私はそういったものよりも個人的な経験に即したものを自分の思い込みや衝動で作ってしまった方が人に伝わるんじゃないかと思ってて。そういった個人的な衝動を「原初の感覚」とつなげていきたいと思ったのが一つと、あとドローイングって結構運動なんですよね。でも自分の身体の動きとかが痕跡として残っていくツールだとも思っているから、そういった意味でも「原初の感覚」と言えるのではないかなと。それが個人的なものを他の人とどう共有するかっていうのが難しい、分からないところではあります。作品を観る人に、ある程度何かしら伝わることを願っています。

与論島や沖縄、ハワイでのリサーチワークを続けてきた三輪さん。本展では、家族への取材を元に描かれたパステル画によって構成された展示空間となっています。会場でぜひご覧ください。特に渾身の大作は必見です。会期は残り2週間を切りました。お見逃しなく!

 

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原初の感覚

2017/11/11 − 12/3

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オープニングレセプション レポート

11/11(土)に開催したオープニングレセプションの様子をレポートいたします。3名の作家が揃う機会ということで、たくさんの方にお集まりいただき、ありがとうございました。
(以下はオープニングレセプションでのトークを一部抜粋・編集したものです。)

(アルティアム・鈴田)本日はオープニングレセプションにお越しいただきまして、誠にありがとうございます。「Local Prospects」シリーズは、2015年にスタートいたしまして、三回目となる今回は「原初の感覚」というテーマとなっております。本日は三人の作家にお越しいただいております。

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まず、入ってすぐの正面に《シーユーレイター》という2×4mもの大きな新作絵画を展示していただいている山下耕平さんです。私も初めて会場で全貌を見て、圧巻の素晴らしい作品と思いました。山下さんから本展について一言と、新作についてご紹介いただけますか。

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(山下耕平さん)こんばんは。自分は普段、今回、会場に展示されているような人物の絵を描いています。この新作は「気持ちを伝える」ということの難しさやコミュニケーションについて考えて描きました。

(鈴田)ポップな色使いで、ここ数年の山下さんの作品からまた突き抜けたような新境地の作品だと思います。今回の展覧会のために大きな新作を描きたいということで、山下さんからお話をしていただきました。今回、ここ数年の作家の集大成となるような作品を発表していただいたことは本当に嬉しいです。これからの制作も非常に楽しみだなと思っております。山下さんのアーティストトークがまた明日ありますので、画像などをお見せしながら、お話をしていただければと思っております。(トークの様子は後日紹介予定です)
次は写真家の木下由貴さんです。

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(木下由貴さん)こんばんは。集まっていただいて本当にありがとうございます。写真は十代の頃から撮っていて、二十歳頃に海に潜ることをはじめました。ダイビングには深く潜るダイビングや夜に潜るダイビングというものがあって、それを初めて経験した時に見えた景色に衝撃を受けました。そうした感覚が今作品の制作に繋がっています。皆さんにご覧頂けたらと思います。

(鈴田)木下さんはこれまでの代表作と二つの新作の写真シリーズを展示いただいています。外見は可愛らしいですが、ダイビングで海底を撮影されていたり、日本の奥地などにひとりで出向いて撮影をされたり、芯のある作家だなと思っています。
最後に、公募枠で選出された三輪恭子さんです。

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(三輪恭子さん)三番目の部屋でドローイングを展示しています。まず、展覧会の設営や文章を書いたりする時に、本当にいろんな方に助けていただきました。関わっていただいたすべての方にお礼を申し上げたいと思います。今回の作品は自分の地元の宮崎に関する風景や人を描いたものです。そのまま描いたのではなく、いろいろと取材するうちに思い描いたイメージを描いていったものです。受付で作品の一部でもある資料を配布していますので、そちらと合わせて展示を見ていただけたら、もう少し視界がはっきりするかなと思います。

(鈴田)ありがとうございました。平川渚さんは本日都合により欠席となりましたが、最終日にアーティストトークを予定しています。平川さんの今回の作品は、一般の方から編みものを寄贈いただき、素材を集めるところからスタートしました。7月には、編みものの作品に関するワークショップをおこない、編みものを解きほぐす作業をおこないました。そして最終的に、平川さんが会場にあるインスタレーション作品にしています。また、平川さんは、今回の展覧会の準備中に、ご出産を経験をされています。編みもの一つ一つに多くの方の思いや記憶が込められていることを、より強く感じられたとのことでした。
今回4人の作家に参加いただきました。三菱地所の文化発信の一環として、皆さんのこれからの活動の架け橋になるような機会になればと思っております。

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当日は審査員の皆さまや、Fukuoka Art Tips、関係者をはじめ、たくさんの方にご来場いただき、にぎやかな初日を迎えることができました。
会場には、木下さんの写真21点、平川さんのインスタレーション1点、山下さんの絵画9点、三輪さんのインスタレーション1点を展示しています。会期は12/3(日)まで!若手作家4名による非常に見応えのある展覧会となっております。ご来場お待ちしております。

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2017/11/11 − 12/3

諏訪敦 2011年以降/未完

諏訪 敦×野村 佐紀子 クロストーク レポート〈後編〉

「諏訪敦 2011年以降/未完」展に関して、「諏訪敦×野村佐紀子 クロストーク」を2回に分けてご紹介致します。トーク後半では、古事記をテーマにした作品やハルビンについてのお話に深まっていきました。前編はこちらからお読みください。

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(諏訪敦さん)野村さんは言葉で説明をするという感じじゃなくて、自分の感覚を大切にされていますよね。例えばさっきもモデルの話をした時に「相手と同じものが見える」とかそういうおっしゃり方をしていたんですけど。

(野村佐紀子さん)やっぱり正確に伝えるのは難しいですよね。これは赤いですね、と言われても同じ赤色なのかなと思わず思っちゃいますから。

(諏訪さん)そうですよね。

(野村さん)うん。そうすると何も伝わらない。難しいですよね。見ているものが同じものじゃないかもしれないですもんね。違うかもしれないっていうのはいつも思っちゃうんです。

(諏訪さん)客観というものを信じられない、ということですね。例えば赤いポストを見た時に、世の中の人は全員同じようなポストを見ていて、同じ赤色を感じているだろうと。基本的には写実絵画はそういう信仰の元に描かれているんですよ。コップは百人に聞いたら百人がコップと感じるという。僕はその辺りを疑っていて、ここ数年の制作動機になっています。客観性を尊重するのは、写実絵画のテーゼだと思うんですけど、物事は脳の中にあるゴーストのようなもので、結局は主観でしかないんじゃないかという感覚があるんです。野村さんはいかがですか。

(野村さん)私の場合は写真ですから、それはまたちょっと違うのかな。写真の場合は、そこに実際の対象がありますからね。

(諏訪さん)だけど、おそらく同じ現場で、僕が野村さんと同じカメラ機材で写真を撮ったとしても、全然違うものになると思います。作品に現れるものは野村さんが見ている風景ですよね。

(野村さん)そうですね。

(諏訪さん)写真家の凄さは、自分の主観や頭の中に起こっていることを正確に印画紙に再現できるということです。僕たちは何千枚と写真を撮っても、実感に近いイメージは焼き付けられないんですよ。

もうひとつお聞きしたいのですが、『月読』はどうしてこのタイトルにされたんですか?

(野村さん)タイトルはいつもすごく困っていて、ほとんど自分では付けないんです。

(諏訪さん)そうなのですか。僕もタイトルは思いつかない方で、困ったら《Untitled》にしています。だから非常に多いんです。だから、誰かがタイトルを付けてくれるのは羨ましいですね。どういう人が付けるんですか。

(野村さん)『月読』は、一緒に作品集を作ったデザイナーの町口覚(デザイン事務所「マッチアンドカンパニー」主宰)さんですね。

(諏訪さん)町口さんが、これは『月読』だと感じたということですか?

(野村さん)随分、いろいろな話をしながらですね。『月読』に関しては、随分迷いながら作っていましたから。

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(諏訪さん)『月読』は、今回の僕の作品「神々しい」というシリーズに偶然のリンクを感じていて、《眉から蚕》と《口より獣肉を生じ》は、保食神(うけもちのかみ※古事記の場合オオゲツヒメ)を描いています。食べ物を司る女神ですが、客人としてアマテラスから派遣された月夜見尊(つくよみのみこと)をもてなすために食事を用意しますが、その時に、彼女は海に向かって魚を吐き出し、山の方に振り返って獣の肉を口から取り出したという記述があります。僕はそのイメージに強烈な印象を受けて、いつか絵画化したいと思っていました。月夜見尊はそれを垣間見て、「不浄なものを」と剣で保食神を殺してしまいます。何の罪のない保食神を殺したことをアマテラスは怒り、月読とは一切会わないと宣言して以降、1日が昼と夜に分かれた由来を語る神話です。と同時に、死んだ女神の身体から、頭からは牛馬、眉毛からは蚕蛾の蚕が生まれて、いろんな体の部分から大豆や小豆や稲、麦が生えていって、民の糧である有用植物や農産物の由来を語るものでもあるわけです。

実は世界中で似たような神話が残っていて、特に太平洋の島々に似たような話が多いんです。代表格はインドネシアのセラム島に伝わるハイヌウェレ神話でしょう。お尻から排泄物とともに宝物を生み出す少女がいて、村人に分け与えていたという話があります。だけど、やっぱり気持ち悪いから少女を殺してしまおうということになって、村人全員で殺してしまうんです。その少女の父親は、娘の遺体を掘り返して切断し、奥さんと一緒に村々の家を回って、「お前たちは娘の肉を分け合って生きていかなければならない」、という宣告をするという恐ろしい話です。やっぱりその切り刻んだ肉から、インドネシア周辺の主食である、各種の芋類が発生したという、有用植物の起源に関わる神話です。そういう物語は世界中に無数にあって、最初に必ず女神が死んでしまったり、殺されてしまったりするんです。このイメージは、実は《Yorishiro》という作品の根拠になっていますが、戦争を題材にした連作「棄民」の中で、《Yorishiro》だけちょっと異質な感じがしませんでした?

(野村さん)そうですね。

(諏訪さん)あの作品は、戦争犠牲者の鎮魂の意味で描いているわけではないのです。ある種の咎(とが)を共有するイメージです。国土に散らばって回収不能なもの、それをある種、古層の記憶、古い記憶として共有しながら生きていかなければならないというところで、実は「神々しい」のシリーズと繋がっています。神話という空想のものを描くのは、写実という制作姿勢を貫徹するなら、最も唾棄するべきというふうに思われているんですけど、そういう目に見えないものを扱うことも、いまは面白く感じていますね。

(野村さん)会場の奥に展示されている大作《HARBIN 1945 WINTER》と《Yorishiro》の作品は、どういう時間軸で描かれているですか。満州で亡くなったおばあさんの話を聞いてみたいです。

(アルティアム・鈴田)今回、満州で亡くなられたおばあさまを描いたシリーズを会場奥に展示しています。諏訪さん、この作品についてと、それから野村さんもハルビンを撮影されているということです。両者に土地の印象などもお聞きしてみたいのですが。

(諏訪さん)実は《Yorishiro》の健康な女性は、3回くらい描いています。グラフ用紙に描かれているものが最初のバージョンで、これを描きながらどういうふうに制作を進めていくか練っていきました。《HARBIN 1945 WINTER》も最初は、《Yorishiro》と同じ健康的な女性が描かれていましたが、それをどんどん痩せさせていく時に、ある程度、解剖学的な正確さを期するために描いたんです。祖母がどういう身長か分からなかったんですけども、体格はよかったという証言は得ていました。そして、画中の裸婦に少しずつ祖母と同じ経験をさせて、痩せさせていくんですけど、収容所での生活を知りませんから、実際その場にいた人を探したり、死因となった発疹チフスとはどういう病気であるか、専門医に意見を求めるといったことをしました。強制収容所ではないので、アウシュビッツとは異なるものですが、アウシュビッツの人々の痩身の具合というものも参考にしました。つまり健康な状態は絵の下層にどんどん塗り込められて言って居るわけです。だから未来の人々がこの絵を調査したとして、もしも投資撮影をしたら、絵がどんどん若返っていくように見えて、びっくりするでしょうね。

この制作が終わった後に、リサーチや制作過程の様子がTVで放送されました。先ほどの《Yorishiro》は、個人的な感情で描き始めたんですが、日本の神話に接続できるということは制作途中に思い始めました。僕の関心は「父親が見たもの」にあったのですが、戦争の記憶や、ある種の不浄や世の中でどうにもならない咎(とが)を表す時は、女性の犠牲が前景化していることが多く、「神話」あるいは「古層の記憶」というものは、時間と空間を越えて、世界中の人間が共有しているのではないかと考えました。野村さんも満州、ハルビンに縁があるんですよね。それはどういった繋がりなんですか?

(野村さん)私も祖母が満州にいて、多分父は桃山小学校に行っていたと思います。

(諏訪さん)えっ、そうなんですか。

(野村さん)諏訪さんが、絵に描いていましたよね。

(諏訪さん)ロシア人建築家が設計した、ルネサンス様式の豪奢な建築物なんですが、日本人が通っていた小学校なんです。今は、兆麟小学校(旧日本桃山小学)と名前が変わっています。満州にたくさんいた開拓移民が、特に陸路の人々は略奪に遭い、ほとんど着の身、着のまま以下の状態でハルビンに逃れてくるんですね。市街地にそんな難民が溢れたら大変なので、市内各所に一時的な収容所を作っていました。そのひとつが桃山小学校だった。

(野村さん)桃山小学校と花園小学校があって、私も見に行きました。

(諏訪さん)僕も取材した時に、校長先生とお会いしたんですけど、校長先生が女性でした。生還者の記述によると、相当数の子どもがそこで、働き手、もしくは後継を期待されてか「日本人の子供は賢い」と、養子としてもらわれていったそうなんです。かなりのお金や食料と交換の上で、子どもを引き取っていた。その小学校の校長先生のお母さんがいわゆる残留孤児で、その時にもらわれていった赤ちゃんであったと、訪問の際に逸話をうかがいました。

野村さんがハルビンに縁があることは全然知らなかったし、そういう表に出ないことが繋がることがあるんですね。実際、その場に撮りに行かれているんですか?

(野村さん)私の場合は、諏訪さんの考えているハルビンと全然違っていて、小さい時は、祖母からピロシキなんか作ってもらったりしていました。祖母はロシアの人とも仲良くしていたそうです。だから私が聞いていたハルビンの話は良い話なんです。その後、略奪されたり、連行されたりという話も聞きましたけど、小さい時はずっと良い思い出の話を聞いていました。

(諏訪さん)おばあさんの話の記憶は、ハルビンでの写真に何か影響を受けたり、指針になったりしましたか?

(野村さん)写真なので、基本祖母にハルビンの風景を見せてあげようと思って撮りに行くということなんです。晩年は写真を見ることもできませんでしたけど、基本的には祖母に故郷を見せてあげるつもりで行っていました。

(諏訪さん)そうか、誰かのためという動機があったのですね。

(野村さん)諏訪さんのハルビンの話を読んだり、聞いたりすると、自分が思っていたものと随分違うので、知らない自分がちょっと恥ずかしくなりました。

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(諏訪さん)満州にいた人の話というのは、何人もうかがったんですけど、やっぱり開拓移民で行った人と、軍属の人と、商売で行った人と、感想は全く違いますね。

(野村さん)そうですよね。

(諏訪さん)良い思い出しかないという人も結構いるんですよ。ただ70年経つと収容所というのは両国にとって、記憶したい歴史ではないのでしょうか、どんどん失われていって建物は建て変わってるし、どこからどこまでが収容所だったか、僕には全く分からないんです。ハルビンの市街地は今でも歴史的な建築物がよく保存されていて、ものすごく美しい街です。多分、良いタイミングで帰ってこられた人にとっては良い思い出しかないと思います。食料事情も本土とは比べようもないほどよかったと。だけど、日ソ中立条約を破棄してソ連が攻めてきた時、国境に近い開拓地域では、略奪や虐殺、集団自決などもおこなわれていて、男性は根こそぎ動員でほとんど残っていなかった。その中で民間人が大陸を遠路逃げてくるというのは想像を絶することです。よく自分の祖父は子供を二人も連れて帰って来れたなと思います。

(野村さん)うちのおばあちゃんは、5人くらい連れて帰ってきた。すごいなと思いますね。

(諏訪さん)昔の人はすごいよね。

(野村さん)子どもを抱いてるとレイプされにくいということで、子どもをみんなに配ってたんですって。それはよく言っていましたね。あとはお金も、所持品も全部奪われるという時があったそうなんですが、写真だけは取られないように自分で焼いたって言っていました。なかなか良い話でしょう。写真だけは、自分の手で焼いちゃう、捨てちゃうということ。

(諏訪さん)人間誰もが記憶で生きてるものだから写真というのはものすごく大事だったんですね。野村さんの仕事に繋がっておられますね。

(野村さん)大事だったんですよね。多分ね。

 

制作について、ハルビンにおける意外な共通項などトークはここで終了。そして質疑応答での回答も興味深いものでした。

(質問者A)ハルビンの絵については、お父様からの個人的な執着から生まれたとのことですが、絵が完成した後、個人的な執着を少し手放せるようなことがありましたか?何か心境が変わったり、どんなふうに思いが変遷していったのかということをお伺いしたいです。

(諏訪さん)納得したかということですよね。実は戦争に対して何かの想いがあって、メッセージを伝えたいとか、祖母に思いがあって描きたいというわけではないんです。僕が描きたくて、調べたいと思ったのは「父親が見たこと」なんです。最初の起点というのは、ハルビンや収容所であったことを書き残した父親の手記でした。その時、父は8歳くらいの子どもですから、手記にしても嘘や思い込みが混ざっていると思います。厳密に調べていくと相当な思い違いがありました。だけど、事実とは何なのかと考えた時に、実は真実はひとつじゃないのです。僕は父親が見たもの、父親が感じたこと、経験したことを調べたいと思った。彼が死んだのは1999年ですが、親子関係が悪いとか決定的に反抗期で殴り合ったとかもなくて、反面、父親は僕のことが死ぬまで何を考えているか分からなかったらしくて。それを聞いた時、僕は割と良い子だと思っていたので(笑)マヌケな話ですが、すごくびっくりしたんです。それで父親のデスマスクを丸2日かけてデッサンしながら、いろいろ考えたのですが、絵を介在すれば関係は引き伸ばせることに、静かに気がついたように思います。それを元にした大きなデスマスクのタブローを描いたのは、その10年後でしたし、かなりしつこいですよね(笑)。

人間が死ぬということはすごく多義性を含んでいて、それを絵画として検討することが今回の《HARBIN 1945 WINTER》だったんだろうと思っています。だから、ひとつ納得したから終わりというのは、とりあえずはないかな。これが正解だとも思えないし。逆に言うと、今回の仕事がきっかけで、どんどん父親の経験したことが生前より僕の中に入ってきて拡張しています。ひょっとしたらまだ続けるかもしれないし、もういいってことになるかもしれない。ただ今は目の前に別のプロジェクトがいろいろとあるし、しばらくは違うことに取り組むと思います。

(野村さん)小さい時からのお父さんを全部思い出して描いたんですか?諏訪さんが小さい時のお父さんとの関係とか。

(諏訪さん)描いている時はそれはあまり考えなかったですね。

(お客様B)絵を描く中で見えてきた真実が、最初に自分が思っていた方向性と違ってきた時にどちらを取りますか?

(諏訪さん)僕は違ってきた方に身を任せます。例えば版画家や日本画の人は、技法的にしっかり計画性をもって制作を進めなければ、成立しないものですが、油絵の特徴は絵具自体の被覆力が強く、塗りつぶしが効くことにあります。つまり自分の考えが変わったら、臨機応変に絵のプラン自体を変えていくことができる。僕はそのいい加減さを面白いことだと捉えていて、展覧会のタイトルに「未完」とありますが、実は僕は完成に対する責任感が希薄です。つまり、戸棚やテーブルを作るように工芸的な完成を求めて絵を描こうとは、現在の僕はしていないのです。他者と会話することの意味は、自分の考えが少しずつ変わっていくことにあって、同じように制作の途中でいろんな情報や他者の介入さえも受け入れながら、絵を、自分を更新してゆくことの方が重要です。そうやって絵画との関係性を確かめていきたいと思っていますね。

諏訪敦展は11月5日(日)をもって大好評の内に閉幕致しました。ご来場頂いた皆様、本当にありがとうございます。トークのレポートをご覧頂いて、アルティアムでの展示を思い起こして頂ければ幸いです。また、次号の美術手帖12月号で諏訪敦のロングインタビューが掲載されます。こちらもどうぞお楽しみに。

【展覧会ページ】
諏訪 敦
2011年以降/未完

2017/10/7 − 11/5

諏訪敦 2011年以降/未完

諏訪 敦×野村 佐紀子 クロストーク レポート〈前編〉

展覧会は盛況の内に先日終了しましたが、10月8日におこなった「諏訪敦×野村佐紀子 クロストーク」のレポートを前半・後半にわけてお届けします。当日は多くの方にご参加頂き、瞬く間に定員に達しました。残念ながらご参加できなかった方は、こちらを是非お読みくださいませ。当日の雰囲気などお分かり頂けると思います。

 (アルティアム・鈴田)本日は「諏訪敦×野村佐紀子 クロストーク」にお集まり頂きまして、ありがとうございます。本日は作家、諏訪敦さんと野村佐紀子さんにお越し頂きました。昨日から諏訪敦さんの西日本初となる個展が8階アルティアムで始まりました。また、野村佐紀子さんも現在、九州産業大学美術館で個展を開催しておられます。お二方とも福岡で個展を開催中というめったにない機会で、諏訪さんと野村さんは同じギャラリーに所属されているというご縁もあり、本日はいろいろなお話が伺えたらなと思っています。

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(諏訪敦さん)実は同じギャラリーのアーティストと言っても、そんなにつるんでいるわけではないのです。プライマリー・ギャラリーに複数のアーティストが所属して、それぞれがミッションを遂行しているような感じでね。しかし、僕も一昨日、九州産業大学で行われている野村さんの展覧会に行ってきました。よくできた展覧会で、俯瞰的に作家の全体像を見せてくれていました。野村さんと言えば、男性ヌードの作品が代表的なものと思うのですが、そもそも何故男性だったんでしょうか。

(野村佐紀子さん)きっかけはそんなにたいしたことではなくて、学生時代に人から言われて撮り始めたんです。

(諏訪さん)課題ということですか。

(野村さん)確か先輩に言われたんです。当時はまだ写真学科に女子が少なかったので、からかわれたということですね。

(諏訪さん)「男性ヌードでも撮ってきたら?」ということですか。

(野村さん)ええ。当時、男性のヌード写真というものは相当少なかったんです。

(諏訪さん)美術手帖のメールヌード特集でも一緒に掲載されましたよね。今も少ないのかもしれない。野村さんの展覧会カタログの中で「ヌードについて」というインタビューが掲載されていて、すごく印象的な言葉がありました。ちょっと読み上げてみます。

 “写真家ってヌードを撮るものだと思っていました。学生の時から。写真家として最初に受けたインタビューでインタビュアーの方が私の男性ヌードの作品を〈立ち上がりましたね〉とおっしゃって。それまで男性が女性のヌードを撮るという流れで来ていたところを、女性が男性のヌードを撮ることがようやく立ち上がりましたねというようなことを言われた時、何を言っているのだろうというのがありましたね。複雑な話ですね。当たり前のことをしていると思っていたから。男子と女子がいて、それなら私は男子を撮りますよっていうだけのことだから。いつもそうですけれども、いろんなものから選んで撮っていくわけじゃなくて、その時その時でいつもそばにあるものを撮っている。ヌードしかないからヌードを撮っているんです。”

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この言葉はものすごく印象的でした。野村さんの場合、モデルさんの扱いは、普段どういうふうにされてるんですか?例えば人選についてなど。僕の場合はすごく受動的で、自分から描かせてくださいということはないんですよ。画廊側の意向で特別な人を描く以外は、基本的に描いて欲しいという人を対象にしていて、タイミングが合致すれば描くという感じなので、募集をかけたりは全然していないんです。

(野村さん)それは、学生の頃からですか?

(諏訪さん)昔は、恋人や家族を描いてましたね。

(野村さん)あぁ、そうですよね。

(諏訪さん)学生時代のときは、やっぱり自分の身近な人を描いていたんですけども、いまは本当に出会いにまかせているというか、受動的に人を選んでいます。野村さんはどうですか。

(野村さん)まあ、同じような感じです。ずっと男性ヌードを撮ってますから、いろんな方が紹介してくださるというか、そういうケースが一番多いですかね。

(諏訪さん)そうか。骨を多く描く知遇のある画家は、骨を描いている作品が増えて「骨!骨!」言っていると、いろんなところから骨が集まってくるらしいのですが、それと同じように男性のヌードの方から押し寄せてくるんですね(笑)。

(野村さん)そうですね、何十年もそうやってヌードの制作をしているので紹介が多いですね。

(諏訪さん)モデルとの関係性を詰めるということはどうですか?

(野村さん)若い頃はモデルと通じ合えれば何かが見えるかもしれない、と思っていた時期もありました。

(諏訪さん)通じるとは、どういったことでしょう?

(野村さん)モデルと同じものが見えるというか。時々、同じ感覚になる瞬間がやっぱりあるんです。

(諏訪さん)ずっとカメラを構えて、レンズを通して見ている状態で通じ合う、ということですよね。

(野村さん)そう。だけど、今はどちらでもよくて。それなり、ですね。

(諏訪さん)なるほど。「それなり」って、すべてを包括しているような言葉で詩的ですね…。

デビューの頃の話をきかせてください。荒木経惟さんの下にいらっしゃったことはよく知られていますが、そもそもどういう出会いだったのでしょう?
僕も荒木経惟さんの影響は受けていて、僕がデビューした1992年頃、ファイン系の人物画といえば、大体が「舞踏会やピアノの発表会みたいな衣装を着たお嬢さんが、高級家具に座って窓辺にいる」みたいなつまらないイメージばかりでした。僕は実際に身の周りに居る女の子たちのような、泣きもするし、切ったら血が出るような人物を描きたいと思っていたので、画家よりむしろ同時代の写真家たちの方がずっとリアリティを掴んでいるように思えたのです。

(野村さん)荒木は、25年くらい前に弟子にしてくれって、私が普通に門を叩いたっていうだけなんですけどね。

(諏訪さん)いろんな写真家がいる中で、何故ですか。よりによってというか。

(野村さん)なんか全然ちがうんですよ。こう、感じる場所が。荒木の写真を見た時に、ちょっとザワザワしたり、嫌な気がしたり、嬉しくなったりする。いろんな気持ちの、いろんな種類のものがあって、それが一斉に心の中のいろんな場所にぐいぐいと届くというか。そういう感覚は他の人にはなかったし、当時はまだ写真家は弟子入りするというシステムがあったんです。

(諏訪さん)そういうものなんですか。

(野村さん)今はもう私の世代が最後なのかもしれない。当時はまだみんないろんな先生についていたんです。なので、弟子入りするならば荒木経惟がいい、という感じでした。

(諏訪さん)弟子入りは押し問答でしたか、それともすんなり明日からという感じでしたか。

(野村さん)いえいえ、全然でした。まず荒木の展覧会に出向いて、そこで弟子にして欲しいと自分の写真を持っていったんです。だから当然、失礼な奴だっていう感じでした(笑)。でも、何度かやりとりしていたら、じゃあ明日から来ますか?という話になった。

(諏訪さん)荒木さんの場合はいろんなものを撮ってらっしゃるけど、やっぱり人物というイメージが強いですよね。

(野村さん)えぇ、そうでしょうね。

(諏訪さん)女性男性、いろんな階層の人を撮影されていて、守備範囲が広い。それでいて、写真を見るとなぜか荒木さんの写真だなと分かる。本当に不思議な感じがします。荒木さんからの影響、直接的に何か自分の写真が変わっていくというようなことがありましたか?

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(野村さん)まだ分からないですよね。多分、すごく長い間一緒にいて、つまり写真をどう撮るとかを習っているわけじゃなくて、お昼は何を食べるのかとか、人とどんな話をするか、ということを間近で見ている訳です。もちろん、全てにものすごく影響を受けているとは思います。だけど、直接的な影響というとまだ分からないんですね。

 (諏訪さん)ところで僕は「月読(つくよみ)」という野村さんの作品シリーズがすごく好きなんです。初めて見た時、男女の違いはあるけど、僕の《Sleepers》というシリーズと共通点を感じました。《Sleepers》は、精神がオフになっている人、いわゆる覚醒していない人という広い意味で描いているんですが、生死の狭間を描いているようだと捉える方もいます。

でも、最初はそんなこと全く考えてなくて、僕は素人モデルばかりを描いていたので、ポーズを固定するのは難しいことです。静止していてもらわないといけない時間がある。国内の美術モデルの標準は20分描いて、5分ないしは10分休憩なんですね。それを繰り返していくんですが、最初から素人に立ち姿で動くなというのは、かなり無茶な注文なんです。そうすると、素人の人を使う場合はどうしたら良いのかと考えて、寝ていたら動かないなと思ったんですよ。眠らせてしまえばいいんだと(笑)。

(野村さん)《Sleepers》もモデルから描いて欲しいという感じでしたか?

(諏訪さん)そうですね。自薦者の中からお願いしています。いろいろなアーティストのモデルを経験された方も面接に来たりしますね。そういう場合は僕の仕事に関心があるのではなく、むしろ自己実現に思いがあるのかもしれません。

(野村さん)それは、まず連絡が来てお会いするんですか。

(諏訪さん)面接をしますね。何故面接が必要かというと、例えば綺麗だな、姿は非の打ち所がないな、と思うことはままあって、だからといって即、お願いするわけではないのです。そこは写真と違うところで、絵画を描くにはその後何ヶ月も空間を共にするわけです。そうなると、もはや協力関係ですので、相手を配慮して動けるか、常識的な感覚を持っているかということが大事になってきますよね。

(野村さん)相性みたいなことじゃなくて?

(諏訪さん)違いますね。僕は第一印象だけでそういった洞察ができません。

(野村さん)なるほど。

(諏訪さん)相性云々は、ずっと話していくうちに変わるものじゃないですか。人間を描く面白さというのは、相手に対する自分の感想が変わってくることだと思います。今、野村さんとお話ししているだけでも、僕の受ける印象は変わっています。相手の顔を最初は相対的に綺麗だとか、相対的に太っているとかでしか分からないのが、どんどん相手の見方が刷新されていく感じです。だから、変わるのは相手じゃなくて、自分の見え方が変わっていくという感じ。会話もそうで、僕自身の意見が変えられたり無意識が引き出されていくところが面白いですね。

(野村さん)アルティアムの会場で流れているドキュメンタリー映像の彼女に関しては、どうだったんですか。

(諏訪さん)あの作品に関しては、全然違うルールづけでした。彼女の場合は、まず腎臓に疾患があることは分かっていたけど、緊急性のある話ではないと、お互いに考えていたんです。でも、腎臓の治療は容姿を変えてしまう可能性もあって、薬によって反応が出てしまう人は、ムーンフェイスといって、顔がまん丸く倍くらいに変わることもあるのだそうです。まず女性としてそこに危機感を感じていたのだと思います。

フライヤーにはその制作風景の写真を掲載していますが、何が気になるのかある方に、「写り込んでいる絵とモデルを比べると、乳房を実際より大きく描いているのでは?」と言われたんですけど、実はこの絵は間違っていないのです。誇張もありません。

実は最初に彼女のデッサンをし、プロポーションを決めた後、腎臓に関係する数値が悪くなって急速に痩せていき、腎移植をするしかない状況になりました。そしてその頃にドキュメンタリー映画のカメラが入り始めて、その時の映像記録から始まっているように見えます。ですからこの胸の大きさは、最初の取材時のもので、写真は手術後でさらに厳しく体重が落ちた状態であるということです。断っておきますが、幸いにも彼女の移植手術は成功して、恐れていたような現象もなく、現在は健康に生活を送っています。ですが手術は彼女の身体に過酷な痕跡を残しました。ボクサーのように筋肉の筋が浮き出て、体の線が角張っていて、大きく片側の下腹部を切り開いたせいか、左右のバランスが壊れてるような印象でした。ゆくゆくは生活の中で元に戻っていくんでしょうけど、そういうギャップがありました。

(野村さん)ドキュメンタリー映像は見ていて怖かったです。

(諏訪さん)僕の中で迷った部分があって、最初の美しいプロポーションの状態をきちんと描くべきなのか、それとも術後の痩せてしまった状態を描くのか。当初の依頼は、あくまでも手術前の女性らしい身体の印象を大切に扱って描き残して欲しいというものでした。ただ、私は手術後の厳しい経験を積んだ身体の変容を直に見てしまったので、完全にはその印象を排斥できず、皮膚の上にはそういったイメージが混在したものになりました。どこの時間でもないというか、両方の時間が包括されているイメージです。最初はふくよかなイメージで描いていて、何ヶ月かの過酷な経験を「傷」という形では残しませんでしたけど、少しずつ混ざり合っているような感じ。ひとつの時期に収斂し切れない感じがあって、これは僕の制作の特徴だと思うんですね。最良の時期を正確に描くということではないんです。

(野村さん)実際には、モデルとどのくらいの時間を過ごしているんですか。

(諏訪さん)描いてもらいたいと言われて、描き終えるまで2年くらいかな。だけど、保留の時間がかなりあります。

(野村さん)裸で目の前に立っている時間というのは全部でどのくらいなんですか。

(諏訪さん)この人に関しては入院期間があって、術後に長時間のヌードのポーズもはばかられましたので、短いです。全部、実見をもとにして描いているわけではなくて、こういう場合は映像機器による資料に助けてもらっています。ただ写真や映像は、一回の時間しか記録できないので、資料と全く別物になっていることは分かると思います。《静脈の声をきいた》というタイトルで、映画のあるシーンで、ざーっという静脈の音が入っていることに気がついた人はいますか?僕も医療関係はよく分からないんですけど、血液透析を行うには、「シャント」を作る必要があるのだそうです。それは静脈を動脈に縫い合わせてつなぐことにより、動脈血を直接静脈に流す経路を作っておくのだそうです。だから、血管にアクセスしやすい状態になるわけで、彼女自身がそこに流れる血液の音を聴いてほしいと言ってきました。僕や映画の制作スタッフも全員、腕に耳をつけて聴いたんですが、そしたら本当に聞こえるんですよ。貝殻に耳をつけたような、遠くの、別の世界から届いたようなノイズが。聴覚の情報なので直接描くことはできませんが、全員にとって大きな経験でした。

お互いの制作について、モデルとの関係など充実のトークは後編に続きます。

【展覧会ページ】
諏訪 敦
2011年以降/未完

2017/10/7 − 11/5

鈴木マサルのテキスタイル展

ワークショップ オリジナル缶バッチをつくろう!

OTTAIPNUよりテキスタイル「harinezumi」2007年

OTTAIPNUよりテキスタイル「harinezumi」2007年

OTTAIPNUのテキスタイルを使って、オリジナル缶バッチを制作します。

日 時:2017年12月17日 受付時間13:00~15:00
会 場:会議室イムズ8F
講 師:鈴木マサル
参加費:800円
※予約不要。限定100個なくなり次第終了
混雑状況により整理券を配布する可能性があります。

【展覧会ページ】
鈴木マサルのテキスタイル展
目に見えるもの、すべて色柄

2017/12/9 − 2018/1/14

鈴木マサルのテキスタイル展

トークイベントテキスタイルデザインの魅力について

鈴木マサルがテキスタイルデザイナーとしての取り組みや、その魅力についてお話しします。聞き手にデザインジャーナリスト・高橋美礼をお招きします。

高橋美礼ポートレイト【プロフィール】高橋美礼(たかはし・みれい)
東京都生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業、企業勤務を経た後、ミラノ・ドムスアカデミーマスターデザインコース修了。
フリーランスとしてデザイン、デザインコンサルタント、執筆活動を展開。多領域のデザインに携わりながら国内外のデザインを考察し、編集、執筆、デザインコンサルティングを行う。
共著に、「ニッポン・プロダクト-デザイナーの証言、50年!」(美術出版社)「2000万個売れる雑貨の作り方」(日経BP社)、「デザインの解剖『明治きのこの山』」(平凡社)「鹿児島睦の器の本」(美術出版社)など。

 

日 時:2017年12月16日開場13:45~、開演14:00~90分程度
会 場:セミナールームAイムズ10F
聞き手:高橋美礼デザインジャーナリスト
参加費:500円
定 員:60名自由席
申 込:三菱地所アルティアム092-733-2050まで要電話予約。12月1日より受付開始。

【展覧会ページ】
鈴木マサルのテキスタイル展
目に見えるもの、すべて色柄

2017/12/9 − 2018/1/14

鈴木マサルのテキスタイル展

オープニングレセプション《作家来場》

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鈴木マサルを迎えて、オープニングレセプションを開催します。

日時:2017年12月9日 18:30~20:00
会場:三菱地所アルティアムイムズ8F
※参加無料・予約不要

【展覧会ページ】
鈴木マサルのテキスタイル展
目に見えるもの、すべて色柄

2017/12/9 − 2018/1/14

密やかな部屋 ーきらめく昆虫標本ー

きらめく甲虫 part2

きらめく甲虫 part2 チラシ

きらめく甲虫 part2 チラシ

本展のプレ展示として、2015年夏に九州大学総合研究博物館で展示され話題を呼んだ「きらめく甲虫」の第2弾を開催します。

会期:2017年11月13日~12月13日※土日祝は休館
時間:10:00~17:00
会場:九州大学箱崎キャンパス 総合研究博物館 常設展示室
旧工学部本館3階/福岡市東区箱崎6-10-1
お問い合わせ博物館事務室:092-642-4252

【展覧会ページ】
密やかな部屋 ーきらめく昆虫標本ー 
WORLD OF INSECT SPECIMENS

2018/1/20 − 3/11

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