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アーティストトーク〈国本泰英〉レポート&会場内のご紹介3

最終日に開催した国本泰英さんのトークレポートをお届けします。画家を志したきっかけから、ご自身の作風、そして展示作品についても詳しくお話しいただきました。国本さん史上最大となるキャンバスで、新作絵画を展示していただきました。会場内の様子と合わせてお読みください。

(以下はアーティストトークを一部抜粋・編集したものです。)

小学校2~3年くらいの時にドラゴンボールが流行っていて、アニメだけでなく漫画も読んでたんですが、こんなにみんな大好きなドラゴンボールがいつか終わっちゃうと考えると、悲しくなって。終わらせないために自分で描こうと、それで練習をし始めたのが今思うと、絵を描くことを仕事にしようと思った最初のきっかけだったのかなと思ってます。絵が得意だったので、クラスメイトから人気キャラクターを描いてと頼まれたりして、それを見た担任の先生が、絵画教室に行かせたらいいんじゃないかと。それで親が通わせてくれて、油絵を始めました。その時に絵画教室にあった印象派の画集を見て、こういう世界もあるんだなと。油絵科を卒業した先生だったこともあり、絵描きになりたいと思い、ずっと絵を描いてました。

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僕の作品の大きなテーマは二つあります。一つ目が「フォルム、形」について、二つ目が「個人と群衆になった時の人の存在」。その二つに則ってつくってます。人を描く前は、大学を出て何を描こう、何かを発表していかないといけないなっていろいろ描いてたんです。今住んでるところが田舎で周りが山に囲まれてて、遠くに九重連山とかも見えるので、雪山の風景があったり、この時期になるとスタッドレス履くような寒いところなんですが。周りの風景をとりあえず描いてみようと思って、最初に山や電信柱を描き始めました。僕の画風は、今は削ぎ落として削ぎ落としてつくっていくタイプなんですけど。その風景の時も、いろんな要素を削ぎ落として風景を浮き上がらせていく、そういう作り方をしてて。それを何年かやっているうちに、こういう絵って自分がしなくてもやってる人がいるし、自分の領域じゃないって思ったんです。で、次どうしようかなと考えている時に、たまたま登山のイベントに参加して、一列になって山を登ったんですよね。僕は真ん中くらいにいて、上を見ても下を見ても人がいて、当日天気が悪くて霞んでたんですね。要は、次何しようかとアンテナを張ってたので、その中で人が消えていく、だんだん人がはっきりと見えなくなって、人のシェイプだけが目に入ってくる、そういう体験があって、その人の形にすごく惹かれたんです。きれいだなと思って、これが次のテーマになるのかなと思ってました。

すぐには描かなかったんですが、湯布院駅のギャラリーで展示する機会をいただいて、その時に何を描こうかな、湯布院らしいものって何だろうと考えたら観光客だなと。ずっと人を描くのは難しいと思ってた部分もあって描いてなかった。プラス、目の前を人がたくさん通り過ぎていく様子が目には入ってるけど、記憶にはちゃんと留まってなくて、それを絵にするときに、自信を持って形を描けないっていうのがありました。その中で人を描き始めたんですけど、キャンバスが大きくなってくると、人物を引き延ばすのではなく、数を増やしていくような描き方をしてて。増やせば増やすほど、個人という要素が増幅するんじゃなくて、だんだん薄まって匿名化していくような現象を、描いてて感じてそれって面白いなと思ったんです。最初は山に登った時に人の形に惹かれたんですけど、そのあとは描いていくうちに、個人と群像になった時の人の存在について考えながらやってみたら面白いかなと思って、ずっと人を描いてました。

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今回「アイデンティティ」というテーマがあって、人に関する言葉だと基本的には思うんですが、僕はずっと人を描いてたのに、振り返ってみると、「アイデンティティ」という言葉を意識して作品をつくったことがないと思ったんです。絵を削いでいく作業で、浮き上がらせるようにつくっていくので、人物の作品の場合は、表情とか何を着てるかとか色がどうとか、あまり描かないんですよね。それは個人の要素を一つずつ抜いていく、人としてフラットな状態に持っていく、そういう作業で。だから、「アイデンティティ」を薄めていくようなつくり方だったから意識してなかったのかなと思います。今回そういう作品を出したら、自分なりの視点を持ったものにできるかなと思って、取り組みました。

大きさや色は、会場の構成を決めてから考えました。映像作品と対になって絵を展示することってなかなかないと思うんです。もちろん僕の作品にスポットを当てることで反対側にある潘さんの映像作品にも光の影響があると思うんですけど、絵もやっぱり反射で影響があるんですよね。もしかしたら、絵をきれいに見せるためにはあまり良くないことと思うかもしれないんですけど。この潘さんの映像と一緒に展示するというプランは面白く感じていたので、それをうまく生かしたいなと思って、だったら影響をすごく受ける絵にしてしまおうと思ったんです。それで背景は光が反射しやすいようにシルバーを入れて、潘さんの映像がループするときに一瞬映像が消えたり、井上さんの展示室の窓から外光が入ったりすることで、絵の表情が変わるんです。それは今までやったことのないアプローチだったし、そういう鏡みたいな効果というのも面白いと思って。「アイデンティティ」ということで、自己を見つめる色でもあるじゃないですか。銀色ってそういう色だと思うんです。自分を映す意味合いも込めて、この色にしました。

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なんで円にしたのかというと、円はいろんな意味があると思うんです。僕が取り組んでるテーマが、個人と群像ということが大きくて。群像になった時に匿名化していく現象を、人を模様やシミみたいにしたり、いろんなアプローチで絵で表現してるんですけど。今回は図形にしたかったんです。ぱっと見、だたの楕円。でも近づいていくと人が描かれてて、2トーンになってて。なんとなく着てるものや顔が想像できたりするようにしてて。その幅を作りたかったんです。個人と群像でまみれてる幅を作りたくて。そういうふうに描き分けることで幅を作ろうとして、こういう絵になりました。

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ここに描いている人たちは、もしかしたら友だちかもしれないし、恋人かも、家族かもしれない。そういう可能性を作るためにもフラットな状態の人を描いてます。顔も描いてないから自分を投影できる。自分や友だちに似てるとか、そういうふうに絵と行き来することで、一見関係性はないように見えるんですけど、鑑賞者がその中に自分なりの関係性を見つけてくれたらいいなと思っていて。そういうふうに、絵と対話できるようにしたいという思いもあって、フラットな状態の人を描いてます。

今回展示していただいた絵の中に描き込まれた人物の数は、なんと160人!(アルティアム調べ)
展覧会は終了しましたが、国本さんは今後も複数の展覧会に参加されることになっています。ぜひ見に行ってみてくださいね。

【展覧会ページ】
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アイデンティティ

2016/11/5 − 11/27

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トークイベント九州と震災とアートレポート3

11/6(土)に開催したトークイベント の様子を全4回にわたってお届けしています!第1回第2回もそれぞれお読みください。
今回は熊本市現代美術館主任学芸員の坂本顕子さんのお話です。

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プロフィール
坂本顕子
1976年熊本市生まれ。熊本市現代美術館主任学芸員。http://www.camk.or.jp/。準備室時代より同館の立ち上げに関わる。館内では、展覧会企画や教育普及を担当し、地域に開かれた美術館を目指して活動している。

(以下はトークを一部抜粋・編集したものです。)

私は熊本市現代美術館で働いているのですが、熊本市も被害があったとはいえ、より被害の大きかった益城や南阿蘇といった地域と比べると、復興はどんどんと進んでいっている印象です。もちろん、熊本城はやはり何十年と時間がかかると思いますが、熊本市中心部においては、「本当にここで地震があったのか」とちょっと思ってしまうくらいスピードがあって。なかなか復興が進まない地域との差がジレンマというか…同じということは物理的に無理なのですが、心はそわせつつ、進んでいきたいなという思いを持って、美術館を運営しています。

 今日は地震から現在まで、美術館が文化施設としてどういった活動をやってきたかということをお話ししていきたいと思います。4月14日の前震は21:30頃のことでしたので、まだ館内に職員がおりました。幸い、お客様はもういらっしゃらない時間でしたので、すぐに職員が作品の安全を確認し、館外に避難をいたしました。市の方から帰宅困難者があれば、受け入れをして欲しいとの連絡が入りましたが、平日夜のまだ交通機関が動いている時間のことでしたので、事実上その受け入れはございませんでした。

 翌日は、全員が出勤して館内の被害状況を記録しました。その後も余震が続くといけませんので、作品を再固定したり、退避させたり、安全確保をして、この時は「これが落ち着けば、来週には美術館は開けられるんじゃないか」と思っていました。まずは17日まで臨時休館をして、ちょうど、エッシャーを中心にしただまし絵の展覧会が始まったばかりでしたので、そこからまた仕切り直して頑張ろうというところでした。

 一回目の地震の被害で顕著だったのは、展示室内の可動壁が前後にガクッとずれてしまったということでした。

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収蔵庫の方は、壁に立てかけている作品が、ズズッと流れて倒れた状態になっていたものが多かったです。これらは、幸い箱に入っておりましたので、著しく損壊しているものはありませんでしたが、これから先、箱を開けていって、作品が痛んでいないかというコンディション・チェックを続けていかなくてはいけないなと思っております。幸い、作品そのものに大きなダメージがあるものは比較的少なく、額やSカンなどの展示金具などが壊れてしまうという被害が、当館においては多かったと言えます。


そのあと、16日に本震が起こりました。この時は深夜でしたので、館内に職員は誰もおりませんでした。余震がひどく、私も家族で小学校の校庭に車で避難し、明け方まで眠ることができませんでした。翌朝は、管理職がまず出勤をして、被害状況を確認、借用先に再度の連絡をし、やはりこれはすぐに美術館を開けられる状態ではないだろうということで職員の待機を決定し、当面の間休館に変更しました。

 前震の時に作品の退避は可能な限りしておりましたので、「あの時、出来るだけ対処していたからきっと大丈夫だ」と自分に言い聞かせながら過ごしました。当館は日航ホテルと同じ建物にあり、収蔵庫をはじめ、空調が24時間稼働できない状態になったという連絡がその頃入ってきていました。

 館内で一番被害が大きかったのが、ジェームズ・タレルの作品がある、無料で図書を読めるホームギャラリーというスペースでした。特につり天井のところに大きな亀裂が入っていました。館内の扉が外れていたり、本がさらに散乱していたり、前回は動かなかった作品が揺れで飛んでしまったりしていました。

ホームギャラリーの様子

ホームギャラリーの様子

ホームギャラリーの本棚の様子

ホームギャラリーの本棚の様子

展示室内の様子

展示室内の様子

 

やはり一番心配だったのは、空調復旧のめどが立たないことでした。動ける職員で、まずは作品をチェックして、収蔵庫にしまい、しっかり封をすることで温湿度の急激な変化を避けようと決定しました。皆さん被災している中だったのですが、日通の美術の方に来ていただいて、展示している作品を全部、収蔵庫内に入れました。ただし、借用作品など収蔵庫に入りきらない作品については、県外の空調が機能している倉庫を探してもらって、急いで作品をそちらに退避させるということも致しました。その後は、まずは空調の復旧を急ぎ、現状において作品の安全確保が完了出来たというのが、本震から8日後くらいのことでした。

 その後、問題になってきたのは、美術館を「どこから、いつ、どうやって開けるか」ということでした。ちょうどその頃、5月の連休が近かったので、「連休に美術館は開いていますか」というお問合せのお電話がいくつかかかってきていたのです。こんな時でも、美術館を利用して頂ける方がいるんだな、と新鮮に感じました。ただし、まだ安全点検が済んでおりませんでしたし、業者さんの確保や、その費用をどうするかということも考えなくてはいけませんでした。

 5月の連休中に工事をしまして、まずは無料のスペースを開けようということになりました。この頃、すごく印象的だったのは、館長の桜井が「美術館を美術館として、一刻も早く開けましょう」と言っていたことです。ふと、「避難所として開けたほうがいいんじゃないか」、「こんな時に美術を見に来てくれる人がいるのだろうか」、「こんな時に美術なんて不謹慎だ、などと言われるのではないだろうか」と、何となく悶々としつつも、まず館長の「開けましょう」という声に従って作業していた感じでした。

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本震から24日後の5月11日に、まずはフリーのスペースだけオープンしました。まだ、周辺の商店街もお昼だけの短縮営業をしているような状況でしたので、こんな時にお客様が来てくれるのかなと思っていましたが、初日には214人の方が来てくださいました。印象にすごく残っているエピソードがあって、朝10時に開けた時に、一番にベビーカーを押したお母さんが入ってこられたそうなのですね。美術館の中には、熊本市と共同で運営する「街中子育てひろば」というスペースがあって、アドバイザーが常駐しています。まだ余震も続いている状況で、昼間は、お父さんは仕事に行っちゃうし、子どもと二人で家にいると気が滅入る、どこか出かけて気を紛らわせたい、ということで美術館に来てくれたようです。

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同時に、館内では、なるべく気分転換になるような、大人向け、子ども向けの上映会を多くおこないました。漫画の特集コーナーを設置したり、簡単にできる、お絵かき、塗り絵、折り紙などのワークショップコーナーを用意して、お迎えしました。その際、塗り絵などは、すごくたくさんはけていくのです。みんな、少しの時間、集中して、達成感があるような作業を好まれるのですね。地震の処理や片付けなど、見通しが立たないことが多い中で、小さなぬり絵でも、達成感が得られると、気分転換になるのかなと思いました。

 その頃の館内アンケートでは、「開けてくれてよかった」という声を多くもらって、逆に私たちが励まされるような思いでした。「美術をやっていてよかったな」「美術館は美術館として、開けていいんだな」という自信が、この時初めて出てきたかな…と思っております。

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館内ではその後、フリースペース以外の展示室をどう開けていくかということを考え始めました。展示を再開しても、余震などでお客様や作品に再度被害が起こったら…というのが一番怖いことでしたので、九州国立博物館、東京文化財研究所、福岡市美術館、展示業者さんなどに相談して、展示金具や照明などに、二重のストッパーやワイヤーを付けたりするなど、安全な状態で展示をするために話合いをしました。
また、ハウステンボス美術館さんから、エッシャー作品をたくさんお借りしていたのですが、「熊本の皆さんの励ましになるのであれば、ぜひ再度展示してください」という本当にありがたいお言葉を頂戴しました。無料のスペースでエッシャー作品のみ架け替えをして、展示を再開したところ、初日には195人の方に見に来ていただきました。

それから、最終段階として、有料の企画展示ギャラリーを開けよう、ということで、展示室の可動壁の点検を始めました。そして、本震から70日後、夏休みを前に「帰ってきた!魔法の美術館」展をもって、美術館を全館開館させることが出来ました。
この展示の際に、印象的だったエピソードに、「地震の後、子どもがこんなにはしゃいでいる姿を初めて見ました」と言うものがあります。初日は、前回の2倍くらいの人数の方に来ていただいて、非常に賑わいました。

 当館は、商店街のど真ん中にあるということもあって、元々かなりの数の地域との連携事業を実施してきたという経緯があります。地震の前には18事業を計画していました。当館は、現代系の美術館なので、例えば地震で被害を受けた文化財レスキューなどを専門にやるわけではありません。「現代美術館」としてできる、地域のための復興事業ってなんだろうなと考えていた時に、「現美で復興イベントを何かできませんか」というオファーをすごく頂いたのですね。当時、県立劇場をはじめ、まだ開館できない文化施設が大部分でした。街なかで利便性があって、色々やっているから声をかけやすいということもあったと思うのですが、「うちでできることだったらどうぞ」ということで、いろんな団体と連携事業を行うことが、地震後ものすごく増えました。元々計画していたものが18事業、地震後にプラスで15事業。本当に毎週のように何かをやっている状況です。

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展覧会としては、ちょうどその時期、私は「魔法の美術館」展と、もう一つ、天草にある丸尾焼という窯元の三兄弟の焼き物の展覧会を夏に企画していました。天草は、比較的被害が少なかったのが幸いでしたが、本震の3日後に、三兄弟から電話がかかってきて「ただ作品を並べるような展覧会をやるのは、今はちょっと違うんじゃないか。できれば、焼き物屋として、自分たちにできる展示をしたい」と彼らが言ってくれて。まだみんな紙皿でご飯を食べていた頃でした。「自分たちの焼き物を無料で持っていって貰っていい代わりに、その皿を使った食卓の写真を撮って送ってもらいたい。皿が会場内から全部なくなった時に、今度は食卓の写真でいっぱいになる展覧会はどうだろうか」と言われました。私もまだ避難所で、車中泊していて、資金の目途も何もなかったのですが「それいいね、私もお皿欲しいわ!」みたいな感じで、スタートしました。そのあたりから、自分の中でぱちっとスイッチが切り替わって、「この展覧会を絶対成功させてやろう」と、とても楽しみな気持ちになってきました。

 お陰様で展示は盛況で、会場に並べると器はすぐに無くなっていきました。地震にちなんだことから、全く地震に関係ないことまで、コメントとともにたくさんの写真が送られてきて、見ている私たちも「美味しそうね」とか「オシャレね」とか、「これは張り切って、いつもより絶対一品多いな」とか笑。そういうツッコミを入れながらも、見ていると、こちらが励まされ、お腹が減ってくるような感じの、あたたかい展覧会になりました。最終的に会期50日間で、500枚の器を配布し、300枚の写真が送り返されてきて、36,000人くらいの方に見ていただきました。

「丸尾三兄弟 〇о(マルオ)の食卓展」に寄せられた写真の一部

「丸尾三兄弟 〇о(マルオ)の食卓展」に寄せられた写真の一部

 熊本市の中心部ですと、幸いなことに地震の被害が軽くて、一見、あまり以前と変わらないような日常を送っている方も多いのですが、「お皿が割れてしまった」というのは皆に共通する体験なのですね。しかし、「このくらいのこと、他の被害がひどかった人に比べたら…」と思って、グッと飲み込んでしまう。そういう小さくて目立たないけれども、‘欠ける’という、心の傷のような共通の感覚がやっぱりあるのだなと思いました。あるいは、地震を共有していない人が感じる疎外感みたいなものもある。みんな地震を一つの共通体験として、「あの時は大変だったね」とか「こうしたもんね」みたいな話をするけれども、その時に、避難とか疎開をしていたら、そこにちょっと入りにくい。被害は決して一律でなく、人の数だけ様々なのだなと思いました。

食べるということは、最も身近なアートと言ったら言い過ぎかもしれませんが、器がちょっと変わることで、新しい気持ちになったり、勇気付けられたり、生きる楽しみにもなります。「いつも通りの日常」とは、こんなに幸せなことだったか、と気づかされた展示になりました。

 現在、10月30日時点で非常に多く方にご来館いただいています。地震後に、元々予定していたものではありましたが、「魔法の美術館」や「ジブリの立体建造物展」など、家族連れなどに人気のある展示のラインナップが続きましたので、子どもたちで賑わい、楽しく体験してくれています。

ちょうど先日、熊本地震から半年ほどたって、「災害時における文化施設の役割」について、館長以下、職員で振り返りを行いました。その振り返りの中で、二つの視点を館内で共有しましたので、ご紹介いたします。

 一つは、災害が起こった時に、もちろんライフラインなど一定の生活を復旧させることがまず一番なのですが、その時に市民が求める日常、あるいは非日常を与えてくれるスポットとしての文化施設、ほっとできるような空間って大事なんだな、ということを実感した、ということです。それらは、被災後、10日程たった頃からお問い合わせが増えたり、3か月で10万人の来場者、開館後半年で20万人という数字も物語っていると思います。避難所にいると、見知らぬ人と生活空間を共有する緊張があったり、家もなかなか修理が進まないし、地震のことばかり考えてしまって‘くさくさする’。

 正直、文化施設に勤めていながら、復興のための優先順位の中で、「文化は最後の方」かなと私たち自身も思っていたところがありました。でも、非常に僭越ではありますが、「文化による復興」は、被災者の生活再建のずっと後ではなく、「少し後ろ」とか「同じくらい」にちょっとずつ進めてもいいんじゃないか。そういう動きは、実はすごく必要だなと思いました。

 それと、もう一つ、地震後に「地域文化の受け皿」としての活動を、非常に多く、また迅速にできた理由には、「日常的に市民と関与しているからこそ」だと実感しました。「アートにふれる」というのも、もちろんですが、「子育てひろばで子どもを遊ばせよう」とか、「映画も無料だし」とか、「1日マンガ読んでいても、うるさいこと言われんもんね」みたいな「心の避難所」的な空間を、日頃から運営していたとも言えます。

そして、地域の商店街の皆さん、文化施設の皆さんから、「現美で何かできないか」と言われると、「やっぱり何かせんといかん」と思うところがあります。日頃の関係性がなければ、震災後、たくさんの連携事業の相談や、来館者もいなかったかもしれない。特にうちは、街なかにあるコミュニティを非常に意識した館ですので、常日頃の、顔が見える人と人のお付き合いがあってこその復興なのだと感じました。

 熊本地震からまだ半年ですが、これから「地域に災害が起こった時、文化施設に何ができるのか」ということ、私たちの経験を、未来の被災地や文化施設の人たちに、「私たちの時はこうだったよ」と伝えていくことが大事なのではないか、と言いながら美術館を運営して行っています。

次は最終回!お三方によるトークレポートもどうぞお楽しみに!

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アイデンティティ

2016/11/5 − 11/27

鹿児島睦の図案展

特設ショップ

本展期間中、アートショップドットジー内にプロダクトブランドZUAN&ZOKEIのアイテムや新刊書籍も並びます。

プロダクトブランドZUAN&ZOKEI のアイテム(一部) ©ZUAN&ZOKEI

プロダクトブランドZUAN&ZOKEI のアイテム(一部) ©ZUAN&ZOKEI

日時:2017年1月28日~3月12日 10:00〜20:00
会場:アートショップドットジーイムズ8F/三菱地所アルティアム併設ショップ

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鹿児島睦の図案展
Makoto Kagoshima ZUAN Exhibition

2017/1/28 − 3/12

鹿児島睦の図案展

オープニングレセプション《作家来場》

鹿児島睦を迎えて、オープニングレセプションを開催します。

作家ポートレイト Photo by Akihide Mishima

作家ポートレイト
Photo by Akihide Mishima

日時:2017年1月28日 18:30〜20:00
会場:三菱地所アルティアムイムズ8F
※参加無料・予約不要

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Makoto Kagoshima ZUAN Exhibition

2017/1/28 − 3/12

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トークイベント九州と震災とアートレポート2

11/6(土)に開催したトークイベント の様子を全4回にわたってお届けします!第1回レポートはこちらから。
今回は南阿蘇在住の写真家、野中元さんのお話です。

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プロフィール
野中 元
福岡県出身。写真家、百姓。外食産業勤務を経て、1994年26歳で南阿蘇に移住、無農薬田畑栽培22年目。竈に五右衛門風呂、ボットン便所にmacの暮らし。著書に妻の料理家かるべけいことの共著で『自然がくれた愛情ごはん』『かるべけいこのやさしいおやつ』。雑誌『九州の食卓』アドバイザー、TV『アグリンの家』『アリスのおいしい革命』スチール担当。
日々の発信はTwitter @NonakaHajime

(以下はトークを一部抜粋・編集したものです。)
自宅は本震の時に被害を受けました。20秒ほど揺れて、目を開けたら真っ暗闇の中で家が廃屋になっていたという。あらゆる建具はすべて崩れてガラスはほとんど割れました。柱もずれてしまって、土間の台所、竈、五右衛門風呂、そういったものも崩れてしまって。結論から言うと、そこには住めなくなって2週間ほど近くで避難しました。

本震後すぐにやったのは、周囲の家の老人たちを助け出すということ。とにかく外に出てもらいました。それを確認した後、車の中で道路で一晩明かしたのですが、余震でも震度6が連続で3回。家のガラスが割れたりものが崩れたりする、ボキ、バキ、という音がしてくるんですね。震度6、7くらいになってくると、もう何もできません。まずガスを止めましょうとか言いますけど、一切何もできないです。妻と息子、娘に覆いかぶさるので精一杯でした。その状態でさらにジェットコースターに揺られるみたいな、自分の身が剥がされそうになります。約20秒間考えていたことはたった一つです。「俺の上に物が落ちないでくれ」っていう。落ちるもの、額とか写真とかは片付けてはいたんですけれども、それでも物が落ちないでくれということだけを考えていました。

一瞬止まった隙に顔を上げて外を見ると、あるはずの窓がない。外が丸見えになっている。玄関に逃げようとすると、タイルとかあらゆるものが崩れている。靴はその下敷きになっているし、外に出るのにガラスだらけで外に出られないっていう。台所を通って外に出ようとすると、台所は散乱していて。外に出たら今度は2階から窓ガラスのサッシがまるごと落ちてきました。窓ガラスのサッシは普通鍵が閉まりますよね。あれがねじれて切れていました。たった20秒で人間ではできないことができてしまう。柱を押したってハンマーで叩いたって、家を崩すのって簡単じゃないんですね。重機がないとできない。それを自然はたった20秒でできちゃう。そのことにすごく衝撃を受けました。

たまたま僕は家の隣に5年前に牛小屋を改造した暗室兼ギャラリー持っていて、そこには水道も引いていたんです。その水道が10日後くらいで通るようになってからは、そこに台所のコンロを持ち込んで。そうするともう料理ができるってことです。
食べ物っていうのは命です。どうせ作るんだったら、美味しいもんが食べたいです。それは被災して家が崩れた翌朝でも、うまいものが食べたいです。美味しいもの、ご飯、味噌汁を食べたら、人間元気になるんです。そういうことは普段からしてないと、ダメなんですよ。都会暮らしで皆さん忙しくて、なかなか朝昼晩作るのは難しいとは思いますけども。でも1日一回くらいご飯と味噌汁食べようよって、どうやったら自分が元気でいられるか、自分の心を保てるか、体を保てるか、そういうことはすごく大事だなって思います。

その建物で9月まで暮らしていました。幸い、大工の助けがあったり、いろんな友人関係でネットワークがあったもんですから、おかげさまで9月に自宅を大改造して、復元をするという形で今は無事に。本当にこれはラッキーなことなんです。今の益城町、今の南阿蘇村、特に東海大学の周り、阿蘇大橋が落ちてしまったあたりなんかは未だに手付かずです。解体に入れるのが2年後というところもあります。
ただ、こういった解体も今、個人の場合はほぼ全額を国が負担することになっています。だから、逆に言うと解体する必要がない家、残しておくことができる家も心が折れてしまうと崩しちゃおうという話になっちゃう。ですから、田舎の風景はぐっと変わりますね。崩れてしまったら、まず、今後瓦を載せる家は少なくなると思います。家というのは頭が重いとそれだけ崩れて被害が大きくなるんですね。ですから、ほとんどの家はトタン葺きとか洋瓦になると思います。一つの震災がいろんな景観や、大事にしておきたいもの、残しておきたいものに対しても、影響を及ぼしてきます。

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「報道ステーション」で、今の生活を取材されたものが放映されています。本来は妻と私で冬から料理コーナーをやることになっていました。それがスタートする時に震災を受けまして、結果的に復興のコーナーへと変わってしまい、3ヶ月に1回のペースで放映されています。
自分としては自然の中で生きて行くこと自体が芸術だと思ってやってきました。しいて言えば商業的な、生計を立てる上でやっている経済的なものも大切なものですが、それ以前に自分が生命的な時間で生きている、自分の生きる喜びであったりとか、動物と一緒に生かされている感覚を大切にしながら生きて行くということが現実につながっていくんではないかなと普段から考えています。

こういった震災の直後なんかは自分は写真家として何をするんだろう?実際に南阿蘇村の中にいらっしゃる有名なカメラマンの方で、崩れた家などの記録を出している方もいらっしゃいますが、僕は報道カメラマンではないですからそこではないかな…というより単純に僕にはできませんでした。その代わり、すぐにツイッターで、第一報の家が崩れた、というところから逃げながらずっとツイートをしていました。僕のツイートを見つけた共同通信の記者や「天然生活」という雑誌の編集長の方や、いろんな方から、避難している2日目くらいに「記事を書いてくれ」と言われて。僕から怒られるかもと思っていたみたいですけど、僕自身にとっては、写真をむしろ撮るというよりもものを書くということの方が非常に自分を冷静にしてくれる。自分を客観的に見ることができる。文章を書くということは、そういう効果がありますから、それが非常に、ある意味自分を支える助けにはなりましたね。

もちろん、僕自身はそういう風になるとなるべく明るく元気なところを出していきたいという性格なもんですから、基本的には暗い話ではなくてちょっとギャグも織り交ぜつつ、たのしく、いろんなネタを混ぜながら発信していたわけです。結果的に、おかげで各地で今日も含めてお話する機会をいただいていますし、そういったものが逆に被災を受けていない、物理的に被災を受けていない日本全国の遠方の方にとって、すごく元気がもらえたとか、安心できたとか、必要以上につらい気持ちにならなくて済んだとか言われることがあります。

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今ここに出ている写真は、いまは10歳の娘が4歳くらいの頃に撮った写真です。地震から一ヶ月経った頃、余震が1500回弱来てました。その時に、新聞の中のライフスタイルを提案する広告の中で写真を使いたいという連絡を受けました。熊本では一番大きな新聞で、熊本日日新聞です。僕は「崩れた家の写真持ってないですよ。そういった写真を撮ってないし、他に使える写真あるでしょ」と。報道カメラマンもいっぱいいるわけですから。そこでデザイナーが言ったのが、「もう見たくないんです。大変な家だとか、崩れた町の風景だとか見たくないんです」と。元気を出せるような話を、直接的な震災云々と本当に無関係で良いから、野中さんなりの詩を書いてほしいというのと、写真を提供してほしいという依頼でした。その時にこの写真を出したんですね。風景を娘が見ている写真なんですけども。娘に5年経って、「この写真を今度新聞で使うけど、どう?この時どんなふうに思ってたの?どういうタイトルが良い?」って聞いたら、「心の中の美術館」かなって言ってましたね。娘の自分の中で、この風景が美術館として写っている、そのことが素晴らしいなと思ったし、結果的にこういったものが震災の後に必要とされる、そういったことを記録しておいて、5年前の写真がこういった事態に必要とされることもあるんだなと思いました。

今を撮るっていうのは写真家としての一つの使命ですけども、その時間を超えたところで必要とされるのも、写真の本質的なあり方だなというふうに感じました。そういうふうに仕事をいただくというのは、僕にとってものすごく支援になるわけです。僕は被災して常々、自分で立てなくなるような支援はあまり必要ないんじゃないかと思っています。もちろん緊急支援は別のことですが。みんなはお前みたいに強くないよって言われるかもしれないけど、人間って何もない時が一番強いです。金も何もない時は知恵を絞るしかありませんから。ただ生きてるんだっていうのを自覚した時が一番強いんだと思います。知人の編集者が東北の震災の時に言っていたんですが、「困ってる、飢えてる人には魚を与えちゃダメなんだよ、釣りざおを与えなくちゃダメだよ」って。釣りざおがあればそれで魚を釣ろうとするでしょって。魚は食べたら終わりですから。そういった意味では、震災2日後に僕に仕事を振ってきたのは、釣りざおをくれたことになるんです。僕は冷静になれたし、ギャラも後からもらえますし、写真や文章を提出することができる。こういうことが他の人にもできたらいいなって、痛感しました。

東北の震災から1年経った頃から、写真の仕事で何度も何度も東北各県回りました。取材した人の中には、僕と同じ年の息子を亡くした人もいました。みんなものすごくあたたかく迎えてくれました。それは取材陣だからというのもあるけど、単純に来てくれてありがとうと言われる。
僕は今それがすごくよく分かるんです。何したらいいですかってしょっちゅう言われます。何もしなくてもいいんですよ、何もできないとか、足手まといになるとか、そんなのよくて、ただ顔を見せに来てくれるだけでいいです。元気?って。ふざけんなとか言われると思うかもしれないけど、意外とそんなことないです。こんな忙しい時、大変な時に行って、とか思いませんよ。来てくれたら、気がまぎれる。人の顔とかエネルギーってすごいんですよ。来てくれて、話をするだけで、気がまぎれるし、そのことで頭がいっぱいになっているときに、自分が軽くなるのが分かる。これはものすごく大事なことだなと思うんですよね。何をするかじゃなくて、そこに行くってことがそれだけで支援になるよってことは覚えていてほしいですね。

それと現地に行けない方は関心を持つことですね。起きた事実を覚えておく。四六時中被災者のことを考えてとは言わないです、そんなのは無理です。僕だって、東北のこと四六時中考えてはいませんでした。何が起きたのか、今どうなってるのかを知ることはすごく大切です。今、半年経った熊本でものすごく報道も関心も減ってると思いますけども、僕みたいにラッキーに復興、復元しましたよって話せる人もいます。でも一方では、復興のスタートすら切れないところもある。僕もメディアにいる人間として、こういうイベントに出ることで、関心を向けていただくっていうのも大切だと思って、出ています。そういった取材を続けてもらったり、情報を出してもらったり、個人でもSNSでもそうですね、そういった話題を出してもらうっていうのは、重い話題じゃなくて軽くでもいいんです、行ったら元気でしたよってそういうのでも良いんです。そういった情報を発信するっていうのはものすごく大切なんじゃないかと思います。
トークレポートは第3回以降へと続きます。ぜひご覧ください!

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トークイベント九州と震災とアートレポート1

11/6(土)に開催したトークイベントの様子を全4回にわたってお届けします!
最初に登壇されたのは、宮本初音さん。過去の地震に関するご自身の活動を紹介後、今回の熊本・大分地震での活動、アートによる支援についてお話くださいました。

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プロフィール
宮本初音(アートコーディネーター、ART BASE 88 代表)
1962年生、福岡在住。1980年代より街なかのアートプロジェクト等を企画。独立型アートセンター「ART BASE 88」代表。WATAGATA Arts Network、「筑後アート往来」等が進行中。
http://artbase88.wordpress.com/

(以下はトークを一部抜粋・編集したものです。)
福岡でアート企画の事務所、ART BASE 88 を運営しております宮本初音と申します。今年の4月14日と16日の揺れの時は福岡にいました。18日にFacebookで「九州アート相談」というページを開設しました。5月のゴールデンウィーク時期から熊本県益城町の方にボランティアで行くようになり、10月からは益城町の病院に非常勤として通うようになりました。
10月は博多阪急のアートキューブで熊本大分の作家の作品展をおこないました。熊本と大分の作家に限定し、熊本から8人、大分から6人。立体、絵画、ソフトスカルプチャー、映像、書。デパートなんでいろんな方に見ていただける機会がえられました。作家にも評判がよかったし、アート関係者にも福岡であんまり見ない作家の作品に出会えてよかったと言われています。

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2016/04/26 災害ボランティア講座「平成28年熊本地震 災害ボランティア活動に向けて」福岡市NPO・ボランティア交流センター あすみん セミナールーム(福岡市中央区)

実際に福岡でおこなわれたこととしては、まず4月に旧大名小学校で救援物資の受け入れがありました。この写真は「福岡市NPO・ボランティア交流センター あすみん」でおこなわれたボランティアの説明会の様子です。旧大名小学校は非常に賑わいましたし、あすみんも入れないほどの人たちが集まっていました。でも結果的には物資は余りましたし、ゴールデンウィークを境に急速に人が減った。この説明会の時も「あんまり来ないで欲しい」という結論で、聞きに行った人は非常にがっかりして帰っていました。

私が入ったのは日本財団が益城町の自宅避難者と避難所の個別調査をおこなうというものでした。有償ボランティアで行きました。とにかく益城町はいろんなものが大変な状態でした。6月には雨が降って壊れた家が水を吸ってとても大変でした。

2016/06/16 益城町 仮設住宅の設営中。

2016/06/16 益城町 仮設住宅の設営中。

 

2016/06/16 益城町

2016/06/16 益城町

 

2016/06/16 益城町

2016/06/16 益城町

 

Gallery ADOが蔦屋書店熊本三年坂の地下スペースで展覧会活動を再開した。

Gallery ADOが蔦屋書店熊本三年坂の地下スペースで展覧会活動を再開した。

こちらの写真は仮設住宅の建設の様子。熊本市内にギャラリーADOさんというギャラリーがあるんですが、そこが自分のギャラリーは震災で使えなくなったので、熊本市のTSUTAYAの地下で展覧会を再開しました。7月になるとお盆明けに避難所が閉鎖されるということだったのでかなりの方が仮設住宅に移られていきました。まだガレキはあまり片付いていないです。左側の避難所は仕切られていますが人はほとんどいないです。最初はこの仕切りもなかったです。

新しい建物の建設を伝える張り紙。(団地はA〜Fに別れている)

新しい建物の建設を伝える張り紙。(団地はA〜Fに別れている)

 

D地区の集会所

D地区の集会所

 

団地内にあるバス停

団地内にあるバス停

 

団地の様子

団地の様子

 

団地内にあるスーパーマーケット。隣接して個人商店や飲食店がある。

団地内にあるスーパーマーケット。隣接して個人商店や飲食店がある。

これは10月に行った時の益城町のテクノ仮設団地の様子です。AからFまで分かれていて、かなり大きな団地です。私たちはD地区にお邪魔しました。バス停があって、巡回バスが走っています。スーパーマーケットもあるんですが、がっかりしたのは入った真正面に出来合いの幕の内弁当が売ってるんですよ。それって避難所でいつも配られていたお弁当とほとんど一緒なんです。生鮮食品がほとんどない。あとはカップ麺とペットボトルしかなくて。仮設に入ってそういう生活から抜け出して自分たちでご飯を作るようになったはずなのに、こういうつくりなんだなってがっかりしました。D地区の方とはバーベキューをして、普通に宴会もしました。おひとりずつ地震の前後の話をすると、涙ぐまれる方もいらっしゃいました。

先ほど説明したFacebookページ「九州アート相談」なんですが、編集メンバーはこちらに書いてある通りで福岡熊本大分のアート関係者、報道関係者の方です。自分が目に付いた記事や見聞きした熊本、大分の様子を書き込んでいただいて、現場の声をなるだけ近い所で聞くことができたらと作りました。しかしあまり当事者からは直接の利用はありませんでした。

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初期のころは主に被害状況。徐々に復興の報せがメインになってきた。

初期のころは主に被害状況。徐々に復興の報せがメインになってきた。

左側に挙げている記事が熊本市現代美術館の坂本顕子さんがシェアしてくれた記事です。九州美術ゼミナールという予備校の石膏像が壊れてしまったのでこれに対してヘルプを出されたんですが、あっという間にシェアされて広がりまして。いろんな方から連絡があって、坂本さん自信がシェアをストップしてくださいと言っているという投稿ですね。結果的にこれが一番シェアされた記事になっています。
4/18にスタートして11/5までの時点で全部で342件の記事があります。記事件数としては4月に圧倒的に多く翌月には半分以下。6月にはまだ67件あるんですが、7月から9月はもう一桁です。10月は半年ということもあって盛り返していますが、がくっと落ちていて、これが関心の度合いを示しているのではないかと考えています。内容はまだ吟味できていないので、それについてはまた別の機会に発表しようと思います。

アートによる支援ということは、地震直後から何度か口にしているんですけど、考えるときに出てきたキーワードを幾つか挙げています。

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アートに関わるような支援をやった場合に、本当にそれが受け手にとっていいことなのか。「東北では?」とクエスチョンをつけているのは、東北ではあまり表には出てきませんけれども、「余計なことだった」とか、「木を植えたりしても何の意味もない」とか、現場では不満も結構あるみたいで。やっぱりニーズがどうなのかなということですね。

福岡からだとかなりの方が行ってはいるんですけど、個人で動いている方が多くて、誰がどう動いているのかがわかりにくいというのと、受け手のニーズがわかりにくい。それから、立場、博物館美術館やホール、大学といった組織だったところの人たちは、他の地域の知恵の出し合いがある程度できると思うんですけど、ある程度バラバラであるアートファンの市民とか、ファンでもない市民っていうのは声を出しにくい。
それから美術系のアーティストは個人で活動している方が多いので、これくらいは我慢しなきゃっていうことで、あまりどういう被害が起きているかが伝わってこないです。

構想中のアイデアとして挙げてみます。
釜山にTOTATOGAといういろんなアーティストを束ねている組織があって、そこが主催して貧困家庭にデリバリー型サービスをしているのですが、これを応用できないかという案です。
絵を描いたり、音楽を演奏したり、踊ったり、映画を上映したりっていうプログラムを持っていて、受け手である貧困家庭の方に選んでもらって、そこへアーティストが来てやるというプログラムなんですけど、この仕組みを利用して、仮設とかみなし仮設のかたとか。特にみなし仮設の方はバラバラな状況に置かれているので、そういうことができないかなと考えています。

緊急事態が発生して半年、長期的な支援の段階に今は変わってきています。発生当初より、よくボランティアの話が出てきます。ボランティアというよりは、プロの仕事が必要になっているなと現場に入ると思います。そういう緊急のときにどうするかっていうことは普段から考えておく。同じエリアで他ジャンルの人と交流する、違うエリアで同じジャンルの人と交流するという、やっぱり普段からまたいでいくような活動、視点がいるのかなと。テーマを掲げたイベントがあるといいなと思うのが、結局お祭りとかがおこなわれる仕組みが社会の中にあると、防災上も、被害を受けた後の回復にとっても役に立つのかなと。
私個人はアートと医療の両方に関わっていますが、今まではその二つは割とバラバラに考えていて、あまり融合させることはしなかったんです。が、ジャンルにこだわってられないなと私も思って、これから先はその二つを融合できる方向で個人的にも動いてみようかなと思います。以上です。

トークレポートは第2回以降へと続きます。ぜひご覧ください!

【展覧会ページ】
Local Prospects 2
アイデンティティ

2016/11/5 − 11/27

Local Prospects 2

アーティストトーク〈潘 逸舟〉レポート&会場内のご紹介2

11/6(日)に潘 逸舟さんのアーティストトークを開催しました。本展では、今年撮影された映像作品《Follow in footprints》(19分15秒)を展示しております。アーティストトークでは、展示作品のほか、これまでの作品や潘さんが制作するうえで興味を持っているテーマについて、お話ししていただきました。会場内の様子とあわせて是非ご覧ください。

(以下はアーティストトークを一部抜粋・編集したものです。)

これは、今年北海道でのレジデンス滞在中に撮影したものです。誰かが雪の上に残した足跡にそって歩いている映像で、その痕跡と身体の関係性を一つの風景として捉えた作品です。映像上に出発到着地点はなく、どこから来てどこへ行くのか分からない、その中間地点だけの映像になっています。歴史を学ぶこと、見えない誰かが作ったものに沿って歩いていくこと、あるいは難民・移民が移動することなど様々なテーマについて、考えながらつくった作品です。

映像に出てくる5人には、この作品の中では、人が風景の中に入ってきて、最終的にその風景から消えるということが、重要であることを伝えました。

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私は、映像だけでなく様々な作品をつくっていますが、最近では「アイデンティティ」という重要なテーマの中でも身体の存在にフォーカスし、モノクロの映像として制作しているものが多いです。今回は関連作品を幾つかお見せしたいと思います。

アヒルを蒔く

《White on White》2008年 映像 © Han Ishu

《White on White》2008年 映像 © Han Ishu

この作品《White on White》が一番最初につくったモノクロの映像作品です。私は上海で生まれて、青森で育ちました。上海に私の親戚がいるんですけど、アヒルを飼ってて。そのアヒルの毛を青森の雪の中に蒔くっていう作品です。白の上に白を蒔くっていう行為をしています。一人の人間が、どう社会と繋がっていくのか、どう関係としてそこにあるのかっていうことに興味があります。私の映像、白黒映像とかは特にポエティックに捉えている部分があります。それと同時に、身体が物語ること、またその政治性を切り離すことができないっていうことをずっと考えていて、私の映像作品で多いテーマですね。この作品では、育った青森っていう場所だったり、そこにある雪っていう自分にとっての記憶だったりとか、親戚のアヒルの毛が、白と白で繋がっています。大きい存在の二つっていうわけじゃなくて、自分にとってものすごくローカルな二つの存在を繋げるっていうものでもあります。

この作品のタイトル《White on White》は、ロシアのカジミール・マレーヴィチっていう画家が、ソビエトが崩壊した時、白の上に白を描いた作品に付けたタイトルと同じものです。もう一つ言うと、去年ニューヨークに半年間レジデンスしてて、すごく感じたことがありました。それは向こう側でいう他者っていう言葉の存在と、日本に帰ってきて、この東アジアの中でいう他者っていう言葉の意味みたいなものに感じる違いです。そこにある言語の問題でもあるし、それはすごく身体的な言語の問題でもある気がしてて、そのことについて最近はすごく興味があります。

 

2012年の作品《呼吸》についてお話しされている様子

2012年の作品《呼吸》についてお話しされている様子

潘逸舟《呼吸_蘇州号》 2013年  映像 © Han Ishu

潘逸舟《呼吸_蘇州号》 2013年  映像 © Han Ishu

《呼吸》は、映像作品で、自分と同じ重さの石を自分のお腹に載せ、呼吸している時の石の動きをカメラで撮影しています。これは17分間のループ作品ですが、続編として、大阪と上海を往復している船に、同じ重さの石を載せて、渡っている様子をドキュメントしたのが《呼吸_蘇州号》です。ここでは、風景の中で見えない身体というのを捉えようとしており、なおかつ何かを物語ることの意味や、物語るという行為の存在そのものをどう捉えていくかということにフォーカスした作品です。これらの作品を見るとやはり、私は、とても社会的である身体について興味があるのだと思います。

縦2m×横6mの大きなスクリーンの前に立ち、「アイデンティティ」とは何かということに想いをめぐらせながら、改めて潘さんの作品を観ると、様々な考えが浮かんでくるのではないでしょうか。

【展覧会ページ】
Local Prospects 2
アイデンティティ

2016/11/5 − 11/27

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アーティストトーク〈角田奈々〉レポート&会場内のご紹介1

11/6(日)に角田奈々さんのアーティストトークを開催しました。本展では、《母とあの時》シリーズより写真16点と、ご自身の母親や何度も撮影で足を運んでいるベトナムでのエピソードのテキストを展示しています。その展示室内で行われた今回のトークでは、角田さんがどのような心境や経緯の中で、撮影を続けてきたのかお話いただきました。会場内の様子とあわせて是非ご覧ください。

(以下はアーティストトークを一部抜粋・編集したものです。)

母を撮ったのは、2006〜2010年までの間ですが、ここで展示している作品は、2009年と2010年、2016年に撮影したものです。まず、母を撮ったきっかけについてお話しします。母は食品会社に勤めているのですが、そこで髪の毛が食品の中に入っていたことがありました。その後、自分のせいでもないのに母が急に坊主にしました。当時私は大学3年生だったのですが、家に帰り、母に「おかえり」と言われた時には、もう坊主姿でした。そのことをきっかけに、撮影を始めました。今回の展示に坊主の写真を入れなかったのは、写真としてとても刺激的だと感じたからです。私がいま見せたいものは、母と向き合って感じた母の生き様や生き方だと思い、今回はこのような展示構成にしました。

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母を撮ることは、2010年で止めていました。写真を撮ることで母を傷つけているのではないかと考えつつ、母からも撮られたくないと言われました。2010年に母を撮ることを止めて、上京しました。

この展覧会への参加が決まったときに、母と「あなたは何を出すの?」という話になりました。母からは「絶対私の写真を出したほうがいいわよ。」と言われました。私はいま作品としてベトナムで撮影をしていて、ベトナムの写真を展示したいとも思っていましたが、母の言葉をきっかけに、母の写真のシリーズを展示することにしました。

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2010年で止まっていた作品を今回新しく撮り足したいと母に話しました。以前から母は、母(角田さんの祖母)が生まれ育った高知県越知町に行きたいと話しており、良いきっかけになったので、一緒にそこへ行ってきました。母は、高知に住んでいたわけではなく、小さい頃に少し訪れたことがあるだけですが、その場に行くことで、母(祖母)の面影を少しでも感じたい、母(祖母)がどうやって生まれて、育ったのか知りたいという想いがあったようです。母が25歳の時に祖母は亡くなっており、25歳で時は止まっているのだろうなと思いながら、写真を撮りに行きました。誰しもお母さんから生まれてくるので、母を見つめること、撮ることで社会と繋がりが生まれてくるのではないかと思いながら撮っていました。

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母の写真とは別の作品にはなりますが、ベトナムに撮影に行ったときのものもスライドでお見せします。母という一人の人をたくさん撮ってきましたが、ベトナムでは道端を歩き、そこに生活している見ず知らずの人に声を掛けて写真を撮らせてもらっていました。ベトナムでもやはり、人の人生とかそういうものに興味がありました。歩いていて偶然人に出会うことが面白いと感じ、自分の中で刺激を受けながら撮影しています。母を撮るということも、ベトナムに行って写真を撮るということも、自分の中では、つながっています。人の生き方や営みといったところに主体を置いて、これからも作品を撮っていきたいと思っています。

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過ぎゆく日常の中で、改めて自分と他者との関係や距離感を見つめ直すきっかけがもらえる作品となっているのではないでしょうか。会場内に展示している撮影時のエピソードをまとめたテキストは、「APG(Asia photographer’s gallery)通信」というシリーズで、角田さんが定期的に発行しているA5サイズの印刷物です。写真とテキストが裏表に印刷されています。全50回の発行を予定しており、現在45回まで発行されています。この「APG通信」(45回分)は、アルティアムの併設ショップで販売中ですので、会場内の作品とあわせて、ぜひご覧ください。

【展覧会ページ】
Local Prospects 2
アイデンティティ

2016/11/5 − 11/27

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