Local Prospects 4

アーティスト インタビュー

「この隔たりを」というテーマのもと、公募に挑み、作品を作り、そして展示を実現した3人のアーティストたち。それぞれ作品や制作背景、思いなどについて話をうかがいました。

取材・文:木下貴子(Fukuoka Art Tips)

01入口写真

●寺江圭一朗
《あなたの反応が私をつくる。私の行動があなたをつくる。》は、寺江が2016年8月から2018年1月にかけて研修制度で滞在していた中国・重慶市で出会った、ホームレスの青年との約1年にわたる交流を記録した映像と、二重露光の写真、青年が描いた絵画、作家によるテキストで構成される。

《あなたの反応が私をつくる。私の行動があなたをつくる。》2017-2018 展示風景

《あなたの反応が私をつくる。私の行動があなたをつくる。》2017-2018 展示風景

《あなたの反応が私をつくる。私の行動があなたをつくる。》2017-2018 展示風景

はじめは中国の再開発地域をもとに作品を作ろうと考えていたという寺江。「中国の問題点というか、古い建物を壊して新しいビルを建てているエリアがあって。全部壊されているなか、一つだけしぶとく居続けている宿があり、そこに泊めてもらうようになったんですよ。そのエリアを散策していたらアイデアでも出てくるかなって、1カ月ぐらい通っていたたなかで、ホームレスの彼を知ったんです」。

青年に初めて声をかける場面を映す《出会う》からはじまる記録映像は全10作。うち半数以上が、椅子を作ったり、絵を描いたり、トウモロコシを焼いて食べたりと、寺江が青年に何かを提案し、それを受けての青年の行動が映し出される。青年がホームレスになった理由や社会背景などには特に触れることなく、2人の交流の様子が淡々と流れる。「作品には使ってないけど『なんでホームレスになったか』とか『働かないの?』とか、一応聞いてはいるんですね。話はしたけど、あんまり……。僕が選んでいるんでしょうね。提案はたくさんして彼がやらなかったこともすごくいっぱいあったし、要は彼がやってもいいよってことだけでできています」。2人の会話は、当然ながら中国語だ。寺江による手書きの字幕は、寺江自身も分からない箇所があり、それらは謎の記号やぐちゃぐちゃっとした線で表されている。通訳も翻訳も介さない。「訳してもいいんだろうけど、僕にとってはあんまり意味がなかったんで。夢の絵を描いてもらった《夢》という作品は、帰る直前に撮影してつい最近編集したんですけど、まじでなに言っているかわかんなくて。あれ、なんでこれしゃべれてるんだろう、なに言ってるんだ、みたいな(笑)」。

過去に寺江は、韓国で見知らぬ人に韓国語でトイレ掃除をさせてほしいとお願いする作品なども作っているが、本作も言語を強く意識したのだろうか。「作品に表れているか分かりませんが、基本的に人って考えたりするときも言葉を使うと思うんですよ。すごく理想的な概念みたいなのってたくさん生みだされてはいるけど、便利な言葉が。たとえば『平和』とか。だけど頭で思いついてはいるけど、基本的にはそれができていない。せっかく思いついてはいるけどできないっていうのは、まだ言葉で考えることができないからだと僕は考えていて。言葉の扱い方というか、そういうのを更新できるようなことができたらもうちょっとマシな人間になるというか、僕自身も世の中の人々も。言葉についてはそういうことを考えています」。『この隔たりを』というテーマは、これまで寺江が考えてきた言葉に対する意識に近かったともいえるかもしれない。

会場奥には、本展覧会直前に重慶に渡り、青年と再会した時の様子を記したテキストが展示される。

04寺江
「僕の提案によって彼が何かやってくれたり、話をしてくれたりしたものがカメラに映る。彼の反応や僕に話しかけている雰囲気が、僕のイメージを作ってくれているっていうふうに最初は考えましたね。彼の映像を通して、鑑賞者には僕自身がどういう人かっていうのも見えるんじゃないかと思ったんですよ。あとは、僕は外国人で彼は中国人で、彼はホームレスで僕は美術やってる人でって、まったく違う2人で、でも彼の生き方みたいなものがそのまま僕の生き方みたいなものにも少し関係するようになってきていて。いまは。だからといって僕はホームレスにはならないと思うけど、具体的に作品として見えにくい部分で、彼が僕に影響を与えているということは確実にありますね」。映像ではタイトルの《私の行動があなたをつくる。》の部分を感じられたが、会場奥にあるテキストこそタイトル全体を表しているように思える。「確かに作品として示せているのは、これが一番そうかもしれません」。とても長いテキストだが、ぜひ会場で読み通してほしい。映像を見るだけよりも、本作の感じ方、捉え方がきっと異なるだろう。

寺江圭一朗

寺江圭一朗

 

●木浦奈津子
3面の壁に展示される13点の絵画。《うみ》あるいは《こうえん》と題されたこれらの作品は、木浦の生活圏内である鹿児島の風景を描いたものである。「書道のように描きたい」というはやく勢いのある線で簡潔に描かれた画面。特定の場所や時間、作家の心情をできる限り排除し、他者に開かれた風景画として提示される。

展示風景

展示風景

展示風景

「あまり絵を作り込みたくないというか、作り込むと嘘になるんじゃないかというのを昔からずっと思っています」。作り込まずに出せる方法として、はやく描く。作品は構図を決めて撮った写真を参考に、色も印象を変えずに描くという。「対象物をみた印象をそのままに。写真を撮った後に描くわけなので、その写真を撮った時の自然なまま、自分の感情を入れずに絵を描くためにもはやく描く方法が一番いいかなと。(時間をかけてしまうと)いろんなものが変化するし、自分自身も変化します。その変わっていくことのが嘘じゃないかなって感じたことがあって。自分の意識というよりも見たそのものを描いていくというところが大きいですかね。じゃあ写真でいいじゃんって思うんですけど(笑)。でもそれを絵画でやりたいと思っています」。個人的な場所を表す風景でもなく、心象風景でもなく、他者に向けて。木浦の描く風景画は、だからこそ見る者にとっては、そこが未知なる場所にもかかわらず、昔行ったことがあるような、あるいは夢の中で見たような、感覚を共有するような作品となるのではなかろうか。

風景に人が入った作品もある。「昔は景色だけだったんですが、意図的にというわけではないですけど、最近人が増えてきました。人にちょっと興味がでてきたのかもしれません。いままで風景がおもしろいなって思っていたんですが、人が風景に入っているのもおもしろいなって思えてきたのも大きいかもしれません」。ただ人とはいっても、人影のように描かれ、性別も年齢も判断できない。ここでもまた、特定のものが排除されている。

《うみ》2018

《うみ》2018

自分を出さないように、感情を入れ込まないように描く一方で、「自分となかなか切り離せないというか、結局は自分のフィルターを通して絵を描かざるをえません。そこに矛盾というか『隔たり』があります」。

木浦奈津子

木浦奈津子

Local Prospectsの公募に応募したのは、今回で3回目。「受かるまで出そうと思っていた」と胸の内を明かしてくれた。「アルティアムのように有名なギャラリーで作家を公募するという企画自体がめずらしくて。ずいぶん前ですが、別の公募展(※「For Rent! For Talent!」)も企画されていましたよね。その時に、アルティアムは地元の作家を後押ししてくれるようなところなんだと思い、何度か展覧会も見にきて、ここで展示したいなと思っていました」。もう一つ、Local Prospectsの公募選出が作品そのものではなく作品展示プランであったことも大きい。いくつもの作品を壁に展示して生まれる「空気感」を木浦はとても大切にするからだ。会場ではぜひこの「空気感」まであわせて、鑑賞してほしい。

会場風景

会場風景


●吉濱 翔

吉濱は新作と過去作で空間を構成した。映像はいずれも大きなスクリーンではなくタブレットを使用し、タブロイド紙のテキスト《僕は舟でゆこう》は前に1人掛けの小さなベンチを置き、座った目線でみられる高さにするなど、1つの作品と1人の観客が向き合う展示となっている。

会場風景

会場風景

はじめに展示される《魂のゆくえ》は、吉濱の知人女性が「マブイグミ」という沖縄の風習をおこなっているドキュメント映像作品だ。とにかく音のインパクトがすごい。「マブイグミ」とは身体から抜け落ちた魂(マブイ)をもう一度身体に込めるおまじないというが、小さい画面にもかかわらず映し出されたその場所に、まさに自分の魂が入りこんでいるような感覚にさえなる。「音がきれいでしょう。バイノーラル録音という方法で、360度音を拾って撮っています。僕がカメラをもち、僕が実際に聴いている音がそのまま入っているんで、距離とか位置とかが伝わるんです」。園児らの声がするシーンに至っては、つい振り向いてしまったほどリアルだ。「儀式をやってくれた(出演者の)彼女との関わりが重要な作品ですが、もう一つ、音に気持ちや時間を込めると聴こえ方が変わるのではないかということを試してみたかった作品です。石を川に投げるシーンがあるんですが、彼女にはその石を一週間もち続けてもらいました。石が川の水面に当たるとおそらくポチャンと鳴るんだろうけど、一週間もち続けた石だとその音の響きが違うんじゃないか、心まで響いてくるんじゃないかってことを音楽的に考えたんです。彼女には好きなように行動してもらいましたが、その石の演出だけはお願いしましたね」。

《魂のゆくえ》2014

《魂のゆくえ》2014

新作《寄り道しながらゆこう》は、吉濱が普天間基地移設問題に向き合うために高江に向ったプロジェクトだ。「僕は基地反対だけど、デモとか座りこみとかに参加するときに労働歌を歌ったりとか、みんなで『基地反対』とか声を揃えることに対してすごく居心地が悪くなって、デモの現場に行きたくなくなるんです。他に関わり方がないかなと自分なりに考えた答えが、じゃあいろんなものを挟んで現場に行こうって……。おいしいご飯食べて、海みて、観光して、友達とふつうのことしゃべってとかしつつ、北上して現場に近づくにつれてみんなの意識も現場に近づいていく。どんどん頭の中の割合を占めるようになってようやく、体も心も辺野古や高江にチャンネルを合わすことができるんじゃないか。そういう試みというか、アクションです。現場で見て、歴史を学ぼうとか戦争がどうとかいうのは自分一人では抱えきれないから、そういうのではなく、美味しい物食べて行った先にそういう問題があるという関わり方もあるんじゃないでしょうか」。プロジェクト実行時の記録映像ではなく、プロジェクト実施後にイメージとして作られた映像と、プロジェクトに関するメモや地図が展示される。

「僕にとって大事なのは現場性だったり即興性だったりするので、そうじゃないものを展示することになるので作品とはいいにくい。個人的な思い入れとか、記憶とか、体験とかを振り返って、じゃあそれをどうもっていくのか。今回は、見せるためにものを作って展示したというよりは、どちらかいうと日記のようなもので、個人的なものをこの期間だけちょっとお見せするというのがイメージとして近いですかね」と話す。その日記のような視点から、見えない(あるいは見たことのない)沖縄の一部が見えたように感じた。

吉濱 翔

吉濱 翔

 

●活動する地域、あるいは見つめる地域について
今年で4回目となるシリーズ展「Local Prospects」は、地域を見つめる多様な視点の創出を一つの継続するテーマに開催している。3人それぞれに活動する地域、あるいは見つめる地域についてどう捉えているか尋ねてみた。

寺江は東京在住だが、大学卒業後は福岡で活動を長く行い、現在も福岡市西区にアトリエを構えている。
寺江:僕にとっては、場所ってすごく大きくて。アトリエもそうです。たとえば一軒家をアトリエにしているのと、アパートをアトリエにしているのではできあがるものがまったく変わってきます。できることが変わるんで。というのと一緒で、たとえば福岡で作れるものと東京で作れるものって僕は絶対違うと思うから、そういう意味でいまのところ僕は福岡のアトリエは大事にしています。僕にとって福岡は、すごく作品を作るにはいい場所だと思っています。地域性も含めて。

大学時代から数年は離れたが、いままた故郷・鹿児島を拠点に活動する木浦。
木浦:私にとっては、制作がしやすいところが一番の場所。鹿児島じゃなくほかの県でもいいんですけど、何にも属していない自分が……何か理由があればいいんです。大学があるとか、会社があるとか、働いているとか。何の理由もないのにその土地に住む理由はないなと思っていて。鹿児島は生まれた土地なので、住む理由としては生まれた土地、育った土地っていうのがあるし、その場所を描いてもいい権利があるという気がしています。他の場所を描いていると負い目があるというか、その地域のことも知らないのに、私なんかが描いていいんだろうかと……。逆に自分の身近な場所だと、描く理由があるというか、描くときにストレスを感じないんです。

沖縄生まれの吉濱は、大学卒業後、京都、東京に住み、昨年ロンドンに一年間滞在。この春、沖縄へ戻った。
吉濱:最近移動していて思ったのが、どこの土地も似ていて、そこにどれだけ根付いて生活できるか、足を下ろせるかということです。京都には4年住んでいましたが、1年住んだら出るかもしれないとか思っていて、そうすると地に足がついた活動がまったくできなくて。地域の人たちと関わる場所に出向かないとか、顔なじみの店を作らないようにしようとかやってたら、どこにも観光にいけなかったし、お店も知れなかったし、結局作品も1つも作らなかったんです。ロンドンでも同じ現象が起きてしまったのも、自分がいつ出てもいい状況だったからの結果なのかと。だから今回沖縄に戻ってきて、いつまで住むのかは分からないんですけど、今度は覚悟をもって土地と関わろうかなって。そうしないと自分の土地にならないことがわかりました。生まれた場所だけど5年ほど離れていたので、沖縄ももう自分の手元にはない。扱いにくいというか、自分の場所がない場所になっていたので、過ごしやすく生活できる場所を作ろうと意識したのかもしれません。沖縄、九州、日本がというふうに場所で分けて考えるというのではなく、自分とその土地の関わり、つまり自分の問題なのかなという感じですね。

【展覧会ページ】
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この隔たりを

2018/10/27 − 11/18

Local Prospects 4

オープニングレセプション レポート

初日10/27(土)に木浦奈津子さん、寺江圭一朗さん、吉濱翔さん、そして公募審査員のお三方を迎え、開催したオープニングレセプションのレポートをお届けします。
(以下はオープニングレセプションでのトークを一部抜粋・編集したものです。)

(アルティアム・山田)「Local Prospects 4 この隔たりを」のレセプションにお越しくださり、誠にありがとうございます。本日は、公募で選出された3名の作家と、公募審査員の皆様にお越しいただいております。この企画は2015年から九州・沖縄ゆかりの作家を取り上げて発信するという趣旨のもと、はじまったシリーズ企画です。まずは、作家の皆様からそれぞれご挨拶いただきたいと思います。

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(寺江圭一朗さん)寺江と申します。今回は、2017年から1年間くらいかけて撮影していた映像と写真などを展示しました。いろいろ意見をいただけたらうれしいなと思っています。

 

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(木浦奈津子さん)油絵を描いている木浦奈津子です。ここにある景色は全部自分が実際に見た、本当にある景色で、瞬間的に切りとって絵画にしています。

 

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(吉濱翔さん)皆さんお越しいただき、ありがとうございます。こちらの通路のような展示室で展示させていただいています吉濱です。福岡で展示をするのは2回目で、前回はStudio kuraでやっていて、皆さんの目に留まっているかどうか分からないんですけれども。初めましてみたいな意味で、最近考えていることとか、過去の作品を少しずつ持ってきて構成しました。よかったらご覧になっていただければと思います。

(山田)公募審査は、私も含め、後小路雅弘先生、宮本初音さん、阿佐美淑子さんで行いました。「この隔たりを」というテーマを独自に解釈した展示プランを作家の皆様に提出していただいたのですが、審査のことも含め、実際にたちあがった展覧会を見て、審査員の皆様からコメントを頂戴したいと思います。

 

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(後小路雅弘さん)私は初めてこの展覧会の審査をしたので、比較はできませんが、応募の数が予想していたより多く46件ありました。半分くらいは箸にも棒にもかからないのではないかと思っていたんですが、実際に見てみるとすごくレベルが高くて、真剣に向き合って審査しましたし、選ぶのも非常に苦労しました。それぞれ自分が住んでいる、生きている場所のことを考え、意識している、そういう作品を意識して選んだつもりです。

 

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(宮本初音さん)私は審査員の中で唯一彼らの過去の作品を知っているのではないかと思います。つまり、前の作品を見たことがあるうえで、今回のプランを見るというのは、条件が違ったのではないかと思います。甘くなる部分とハードルを上げた部分もあったかなと思います。
今朝ここに見に来て、思っていたよりおもしろい!と思いました。今度は人が少ない時にじっくり見させてもらおうかなと思っていて、そういう楽しみをもらったことにすごく感謝しております。ありがとうございます。

 

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(阿佐美淑子さん)東京の三菱一号館美術館で学芸員をしております。アルティアムと一号館美術館の母体が三菱地所であること、そして以前北九州市立美術館で学芸員をしていて福岡のことを知っているということもあって、こちらに呼んでいただいております。
応募書類のレベルが年々あがっており、後小路先生がおっしゃっていましたが、審査の最後には、本当に何点も、どれを選びましょう、という感じになりましたが、最終的にこのお三方に決まりました。私としては、シリーズを通じて展覧会と公募が育ったということで、関わっていて大変うれしいです。作品を楽しんでいただければと思います。

(山田)出展作家の皆さま、関係者の皆さま、そして公募に応募してくださった作家の皆さま、多くの方のおかげで無事に初日を迎えることができました。心から感謝申し上げます。本日は誠にありがとうございました。

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会場は寺江圭一朗さんによる、映像、絵画、写真、テキストで構成された作品《あなたの反応が私をつくる。私の行動があなたをつくる。》からはじまります。続く展示室に、木浦奈津子さんの絵画作品やドローイングが並び、最後に、吉濱翔さんの映像作品などを展示しています。
会期中は毎週末イベントをおこないます。これからアーティストトーク(11/4 寺江11/10 吉濱)や吉濱さんのイベント「be here」も開催予定です。会期は11/18(日)まで!11/6(火)休館。ご来場お待ちしております。

【展覧会ページ】
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2018/10/27 − 11/18

バスキアとNYアーティストたち

ローランド・ハーゲンバーグ×小柳帝 トークイベント1980年代のニューヨーク レポート

9/9(日)に開催したトークイベントのレポートをお届けします。美術や映画など様々な分野に造詣の深い小柳帝さんを聞き手としてお迎えし、ローランド・ハーゲンバーグさんに1980年代のニューヨークについて語っていただきました。
(以下はトークイベントの内容を一部抜粋・編集したものです。)

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(小柳帝さん)ライター・編集者の小柳帝と申します。今日は、トークイベントの聞き手をつとめさせていただきます。私は東京在住ですが、実は福岡出身なので、三菱地所アルティアムでローランド・ハーゲンバーグさんの写真展が開催されることをうれしく思い、勇んで駆けつけた次第です。
アートシーンが非常に熱かった80年代のニューヨークに実際に住み、さまざまなアーティストたちと接してこられたローランドさんのお話を通して、皆さんに当時の空気感や熱が伝わればと思い、今日はお話をお聞きしていきたいと思っています。

(ローランド・ハーゲンバーグさん)皆さま、こんにちは。本日はたくさんの方に来ていただき、感謝しています。今日は、80年代に若いアーティストたちがどのようにニューヨークのアートシーンを生きていたかということをお話できればと思います。

(小柳さん)本題に移る前に、ローランドさんはオーストリアのご出身ですが、まず、その頃のことをお話いただけますでしょうか。

(ハーゲンバーグさん)当時、オーストリアは、日本と同じで、独自の歴史や文化が色濃く残る保守的な国でした。
オーストリアにいた私は、ニューヨークに対して、未来志向で自由あふれる夢の都市という印象を持っていました。10代の頃に、ヘンリー・ミラーというアメリカ人作家が書いたニューヨークに関する本を読み、ニューヨークにあこがれ、住みたい、そこに行かねばならないと思うようになりました。ヘンリー・ミラーはのちに日本人の徳田ホキと結婚したことでも知られていますね。
ヘンリー・ミラーの本で、ニューヨークにはFedExやバイク便などの宅急便サービスがあると知り、感動しました。当時オーストリアでは、国営の郵便局しかなく、民間に門戸が開かれているこの街はどんなに素晴らしいところだろうと思いました。

(小柳さん)ニューヨークに行く前には、ドイツのベルリンにもいらっしゃいましたよね。ベルリン時代のこともお話いただけますか。

(ハーゲンバーグさん)雑誌社で働くためにベルリンに行きました。当時ベルリンには、ライターのコミュニティーがありました。近代化された都市でしたが、ベルリンの壁があり、誰もが住みたいと思うような都市ではありませんでした。ベルリンから出ていきたいと思う人はいても、住みたいと思う人はあまりいなかったんです。政府は、人口の流出を防ぐために、実際の給料に12〜15%上乗せする制度を在住者に与えていました。それでも人口流出は防ぐことができず、そうしている間にアーティストが集まる場所になっていきました。当時、デヴィッド・ボウイも、ベルリンでレコーディングをしているんですよ。福岡の街が壁に包囲されている状況を想像してみてください。今でも本当に不思議な環境だったと思います。

(小柳さん)当時、ベルリンではどんなアーティストを取材しましたか。

(ハーゲンバーグさん)当時のベルリンには非常に多くのアーティストが住んでいて、まさにコンテンポラリーアートの中心地でした。当時私はコンテンポラリーアートに関する書籍を出版しました。私にとって最初の本です。
アンゼルム・キーファーやフランチェスコ・クレメンテにもドイツで会いました。当時、クレメンテやアンディ・ウォーホルもベルリンを訪れており、それがきっかけでニューヨークに取材に行くことになりました。

(小柳さん)クレメンテはイタリア出身のアーティストですが、ニューヨークでも活躍しました。ウォーホルも来ていたとは、当時ベルリンはとても面白い街だったんですね。

(ハーゲンバーグさん)ベルリンはニューヨークの縮小版といった感じで、非常にクレイジーな場所でした。規模は小さいけれど、多くのアーティストを惹きつける街でした。

(小柳さん)そして、いよいよローランドさんはニューヨークに行きますが、何年のことですか。

(ハーゲンバーグさん)1983年に初めてニューヨークに渡りました。当時ヨーロッパからニューヨークに行くのは難しく、航空チケットが現在の5〜7倍くらいで、非常に高価でした。しかし格安航空券会社が出き、当時およそ100ドルで航空券を入手し、ロンドンに4日ほど滞在し、自分の番になるのを待って、ようやくニューヨーク行きの飛行機に乗ることができました。
ニューヨークに行った目的のひとつは、ニューヨークのアーティストに関する記事を書くことでした。バスキアやマイケル・スチュアート、キース・ヘリングなどのグラフィティー・アーティストです。彼らは地下鉄にスプレーでペインティングをしていました。不法行為のため取り締まられ、バスキアの友人でもあったマイケル・スチュアートは、警察につかまり抗ったことで命を落とすという、ショッキングな事件が起こりました。私はこの事件について記事を書き、ドイツで発表したところ大きなニュースになりました。

(小柳さん)その頃のニューヨークを、ビビットな写真で紹介をしていっていただければと思います。これはどういった写真ですか。

©︎ Roland Hagenberg

©︎ Roland Hagenberg

(ハーゲンバーグさん)これは、ウエストブロードウェイ、ソーホー地区の写真です。ワールドトレードセンターが奥に見えます。このエリアが、コンテンポラリーアートの中心でした。
今では、この地域は表参道のようになっています。きれいで安全で物価が高い。当時は世界中のアーティストが憧れ目指す場所で、ここに住んでキャリアをスタートさせ、有名になり、ビッグになるという夢を叶えるための場所でした。何千もの若いアーティストを惹きつけたこの街で、実際に有名になったのはバスキアなどごく限られた人たちだけです。

(小柳さん)1983年ですと、バスキアが23歳。ローランドさんはその頃何歳でしたか。

(ハーゲンバーグさん)28歳です。

(小柳さん)みんな20代くらいの若者だったんですね。

(ハーゲンバーグさん)私はジャーナリストとして、特にバスキアに興味を持っていました。これまで白人主流だったアート界に初めて誕生した黒人アーティストだったからです。美術館に展示されるレベルの初めての黒人アーティストです。アート界のオバマとも言えましょう。

©︎ Roland Hagenberg

©︎ Roland Hagenberg

これは、バスキアのアトリエの写真です。当時のアーティストの大半がこういったスタジオを持っていました。うらぶれているように見えますが、冒険、危険、夢といったものを醸し出していますね。

(小柳さん)バスキアとはどうやって知り合ったんですか。

(ハーゲンバーグさん)最初に会ったのはギャラリーです。バスキアのエージェントをしていたギャラリーオーナーのアニナ・ノセイと面識がありました。彼女のギャラリーがあるビルに、私のオフィスもあったので。当時、バスキアはすでに有名だったので、展覧会で作品は見ていました。バスキアとは初めて会って以来、何度か会う機会がありました。
その後、雑誌の仕事でバスキアの取材に行きました。その時バスキアは制作中で、制作を邪魔されて、私たちの来訪を喜んでいませんでした。そのため、最初の会話は少しぎこちないものでした。
今回の展覧会では、この時の取材テープから、3分間の音声を編集し映像作品として展示しています。バスキア、私、私の友人の間で交わされたやりとりです。緊張感のある、生の声を聞くことができます。バスキアが怒って「もう帰ってくれ」と言っている音声も入っています。
日本と欧米ではインタビューのやり方が違います。日本では、質問が事前に準備され、それに沿って取材がおこなわれます。欧米では質問を事前に準備はしません。生の声やその時の感情を引き出すこと、そして話していて初めて気づくこと等を引き出すことがとても重要です。この取材ではうまく引き出せたと思っています。実録の音声をぜひ展覧会会場でご堪能ください。

(小柳さん)録音したカセットテープは40分くらいあるらしいのですが、一番熱くバトルしているところを編集したそうです。少し居心地が悪くなるくらいですが、ぜひ聞いていただきたいと思います。次の写真です。

©︎ Roland Hagenberg

©︎ Roland Hagenberg

(ハーゲンバーグさん)ニューヨークで最初に住んだアパートです。
一生懸命どうにか日々の生活をやりくりしていました。アーティストの大半は昼頃起きて制作し、夜はクラブに行って交流していました。クラブが現在のインターネットの役割を果たしていたと思います。私の情報源はクラブでした。

(小柳さん)ニューヨークはクラブ・ディスコ文化が非常に華やかだったと思いますが、どんなクラブに行かれていましたか。

(ハーゲンバーグさん)磯崎新が設計した「ザ・パラディアム」が人気でした。オーナーは、「クラブ54」を運営していた人です。展覧会のオープニング後にこぞって、こういったクラブに繰り出していました。

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(ハーゲンバーグさん)左の写真は私がニューヨークに到着した1日目です。髪型が今とは少し違いますね(笑)。
私にとっては、ワールドトレードセンターこそが自由の国アメリカのシンボルでした。ヨーロッパでは、入国や移民の管理が厳しく、警察であってもパスポートを見せろといってきます。一方で、当時のアメリカは、警察は人民を守る存在で、移民者に対しても優しい文化でした。それが、2011年の9.11で一変してしまいました。それでも、私にとっては、ワールドトレードセンターは自由のシンボルであり続けています。
当時は、ギャラリーやアーティストのネットワークを通じて、多くの人が仕事を得ていました。私は、キース・ヘリングから、彼の大きな彫刻作品を、彼のアップタウンのアトリエからダウンタウンのギャラリーまで運ぶという仕事を依頼され、地下鉄で運びました。この仕事で、キース・ヘリングから50ドルをもらいました。その彫刻は今では非常に高価なものになっていると思います。
(右の写真について)この写真は、ギャラリーの壁に描かれたソル・ルウィットの作品を塗りつぶして、壁を白色に戻しているところです。こうした仕事をして、どうにか収入を得ていました。

(小柳さん)ソル・ルウィットは、ミニマル・アート、コンセプチュアル・アートの第一人者ですが、キース・ヘリングなどのグラフィティー・アーティストとも同時代に生きていたということですね。

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(ハーゲンバーグさん)次は、寄稿していたベルリンの雑誌の表紙(左)とその中の1ページ(右)です。見開きページの、右上の写真はキース・ヘリングとケニー・シャーフ、その二人の上にいるのがギャラリーオーナーです。その左隣のページの下に写っているのが、バスキアとウォーホル。同ページの右上には、のちにバスキアの映画を撮ったジュリアン・シュナーベル。そして、左中央に写っているのが、ナム・ジュン・パイクの奥さんでもある久保田成子。のちに私が初めて一緒にお寿司を食べた人です。イタリア人アーティストやグラフィティー・アーティスト、黒人アーティスト、様々なアートがニューヨークに同時に存在しているということを紹介した記事です。

(小柳さん)錚々たる面子ですね。

(ハーゲンバーグさん)今気づきましたが、アメリカ人ですがドイツ系の名前がたくさんありますね。ドイツ語でヘリングは「釣り針」、シャーフは「辛い」、シュナーベルは「くちばし」という意味です。

(小柳さん)面白いですね。次、コンタクトシートが出てきました。

©︎ Roland Hagenberg

©︎ Roland Hagenberg

(ハーゲンバーグさん)当時、写真フィルムは高価でしたが、白黒フィルムは比較的安価だったので、私は白黒写真を撮っていました。取材時間に限りはあるし、ドラッグをやっているアーティストは気分がどんどん変わるし、フィルムを無駄に使わないためにも、取材時は緊張して集中してシャッターを押していました。

(小柳さん)僕も編集者として仕事を始めた頃は、このようにコンタクトシートから写真をセレクトして、それをプリントするというやり方をしていました。一枚ずつプリントするとお金がかかりますからね。
今ローランドさんは写真家として活躍されていますが、元々ジャーナリストとして、アーティストに取材をしてテキストを書き、写真も自分で撮っていたんですね。

(ハーゲンバーグさん)ジャーナリストとしてインタビューをすることで、被写体であるアーティストと関係を築くことができます。私は写真家である前にライターです。ライターとして1時間ほどかけて入念にインタビューをし、その後にポートレート写真を撮るというのが、私のスタイルです。インタビューすると、被写体は徐々にリラックスしてオープンになる。そうした空気が私の写真には表れているのではないかと思っています。書くことと撮ることは、私にとってはひとつなのです。
マックス・エルンストの奥さんでもある、ドロテア・タニングも取材したことがあります。彼女は当時84歳でした。彼女は写真嫌いで、どんなに頼んでも写真を撮らせてくれませんでした。なので、彼女の手のひらをコピーしたものと、30年ほど前にエルンストと一緒にうつっている写真を使って記事を書きました。その雑誌を彼女に見せたところ非常に怒られて、その雑誌で叩かれました(笑)。

(小柳さん)ドロテア・タニングは、シュールレアリストとして活動していた作家で、近年フェミニズムの文脈で再評価されている画家の一人ですね。次は。

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(ハーゲンバーグさん)これは私の作業風景を撮ったものです。当時、いろいろなアーティストとコラボレーションし、カタログや冊子などを作っていました。荒川修作についての記事も書きました。左側の写真は、私がタイプライターで台割を作成しているところです。
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これは当時私が作っていたギャラリーガイド雑誌『アートファインダー』で、この2号はコンピューターで作ったもので、1984年と1985年ですね。コンピューターを導入して作業が非常に楽になって感動しました。テクノロジーはアートや編集にも影響を及ぼします。
ただ、80年代のニューヨークは今に比べるとローテクで、人と人の距離が近かった時代でした。私はアーティストたちとともに過ごすことを大切にしていました。

(小柳さん)その場にいなければ見られない、みたいなことも大きかったかもしれませんね。

Keith Haring ©︎ Roland Hagenberg

Keith Haring
©︎ Roland Hagenberg

(ハーゲンバーグさん)キース・ヘリングやバスキアは当時のシンボル的存在でした。特に、キース・ヘリングは、自身がゲイであると初めて公言したアーティストで、ゲイのサポート活動やエイズの対策活動を行い、エイズの危険性を広く普及したという意味で、アーティストでありながら活動家でもあった。
現在、こういった政治的な活動をおこなうアーティストがどれだけいるでしょうか。80年代は社会問題に対し、活動を起こすアーティストがたくさんいました。今も様々な世界規模の問題があるけれど、政治的活動を起こすところまではいっていない印象を受けます。

(小柳さん)次は、先ほどもお話に出たクレメンテですね。

Francesco Clemente ©︎ Roland Hagenberg

Francesco Clemente
©︎ Roland Hagenberg

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(ハーゲンバーグさん)クレメンテは、イタリアからニューヨークに移ったアーティストです。飼っていたカラスが写っています。これは、私がドイツで初めて出版した本にも載せました。
下の絵は、彼が私を描いたポートレートです。「今から描くから、そこに座って」と言われて。自分をクレメンテに描いてもらえることに感動しました。とてもうれしかったです。この絵は展覧会にも出され、その後どうなったのかなと思って、クレメンテに電話したのですがイタリアに行ってしまって連絡が取れず、ギャラリーに電話すると、もうスイスに売られてしまったと言われて、がっかりしました。

(小柳さん)この頃、私は東京に住んでいて、クレメンテが大好きでした。当時学生で、高かったけど頑張ってアルバイトをして3〜5万円もする画集を買いました。そんなクレメンテに絵を描かれた人と今、こうやってお話をさせていただけるというのは、奇跡のような話です(笑)。ありがとうございます。

©︎ Roland Hagenberg

©︎ Roland Hagenberg

次はどうでしょうか。ルイーズ・ブルジョワ。六本木ヒルズの広場にある蜘蛛のオブジェを作った方ですね。

(ハーゲンバーグさん)ルイーズ・ブルジョワは、私のおばあちゃんを思い起こさせる人で、彼女もおばあちゃんのように私に接してくれました。人として魅力溢れる方でした。

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(ハーゲンバーグさん)これは私の仕事場だったアパートで、スイスのアーティストとシェアしていました。当時の仲間とは今でも連絡を取り合っています。こうした繋がりを通じて、いまも展覧会などのプロジェクトをおこなっています。

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(ハーゲンバーグさん)これは私が作ったギャラリーガイド誌『アートファインダー』です。表紙は、ご存知の通り、アンディ・ウォーホルです。ウォーホルには、この頃何度も会いました。いつもウィッグをかぶっていて、面白いスーパースターでした。

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これはインタビューを収録したテープです。

(小柳さん)これもそのまま展示してありますので、ぜひご覧ください。

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(ハーゲンバーグさん)右下の書籍『HAPPY HAPPY』は、ユニセフのプロジェクトで作った子ども用のぬりえの本です。マーク・コスタビなど多くのアーティストが参加してくれました。
左の写真は、当時の出版チームのメンバーです。彼らは今、イラストレーター、経営者、美術評論家などになっています。

Julian Schnabel ©︎ Roland Hagenberg

Julian Schnabel
©︎ Roland Hagenberg

(小柳さん)ぬりえの本は、当時親交のあった方や、過去に仕事をした方に依頼して、作られたんですね。

(ハーゲンバーグさん)この写真は、80年代のシンボル的写真のひとつと言えるでしょう。当時のアートシーンは男性主流で、ペインター、評論家、印刷会社まで主に男だらけで、女性の活動は限られていました。「ゴリラガールズ」と称するアート業界の女性たちが、この写真に対して「どうしてこんなマッチョな男性社会なんだ」と抗議をおこしました。ゴリラのお面を付けて、美術館などをジャックして、看板を持って抗議活動をおこなっていました。

(小柳さん)写っているのはジュリアン・シュナーベルですね。アーティストでもあり、バスキアの映画を監督したりもしています。ちょうど、ホットニュースですが、ウィレム・デフォーがベネチア国際映画祭で今回主演男優賞を獲ったんですが、その映画(『At Eternity’s Gate(原題)』)を撮ったのがジュリアン・シュナーベルです。

(ハーゲンバーグさん)今日の話はこれで終わりです。トークを通して、皆さんが少しでも80年代のニューヨークの雰囲気や感覚的なものを味わっていただけたのであれば、幸いです。最後にお伝えしたいのですが、テクノロジーの進歩によって、アート、アーティスト、それを鑑賞する人の距離が少し広くなってしまったことが、当時と現代の大きな違いだと感じています。もちろんSNSなどのテクノロジーは、私たちをより緊密に結びつけてはくれます。私のいう「距離」とは、実際の身体的、物理的な距離のことです。
今日は本当にありがとうございました。

(小柳さん)今日は若い世代の方もたくさんいらっしゃっていますが、ハーゲンバーグさんがおっしゃったように、80年代はみんなが近いところで活動して、お互いに影響を受け合っていて、その空気感や雰囲気がみなさんに伝わったらいいなと思います。そのうえで、展覧会も改めてご覧いただければ幸いです。今日はこのような形でお話をお聞きいただき、ありがとうございました。

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1980年代のニューヨークのアーティストやアートシーンの様子を知る以外にも、ローランド・ハーゲンバーグさんの時代における洞察力をうかがい知ることができる貴重なトークとなりました。会期は残り4日となりました。ご来場、お待ちしております。

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バスキアとNYアーティストたち
Roland Hagenberg 写真展

2018/9/8 − 10/21

バスキアとNYアーティストたち

オープニングレセプション レポート

開幕初日9/8(土)にローランド・ハーゲンバーグさんをお迎えし、オープニングレセプションをおこないました。その模様をレポートでお届けします。
(以下はオープニングレセプションでのトークを一部抜粋・編集したものです。)

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(ローランド・ハーゲンバーグさん)本日はお越しいただき、ありがとうございます。ローランド・ハーゲンバーグです。このような機会をいただき、感謝します。
こんなに多くの方に興味を持っていただき、感動しています。過去の思い出に浸るように感傷的に80年代を振り返ることもありますが、そうした気持ちとは別に、80年代のNYには、確かに独特で特別なものがありました。そのことについて、少しお話したいと思います。
当時、成功したいと願うアーティストにとって、NYにアトリエを構えてキャリアを築くということは必須であり大前提でした。NYはそういった世界で唯一の場所でした。
時代を遡ると、1940〜1950年代の芸術の中心はパリでした。例えば、ピカソやマチスなどの有名な巨匠たちも、その時代にパリで活躍していました。時代は変わり、特に音楽の分野からロンドンに芸術の中心が移りました。その後、ベルリンに移行し、70〜80年代には芸術の中心地がNYになりました。
今はどうでしょうか。インターネットが普及し、スマートホンがあり、どこにスタジオを構えても大差はありません。アーティストはどこでも展覧会を開催できますし、飛行機でどこにでも行くことができます。スカイプでのやりとりも可能です。私個人の考えですが、そういった意味で、歴史の中で、NYは「アーティストにとって、そこに居なければいけない場所」という最後の都市であったと考えています。

私もその一人で、アーティストとして夢を抱え、80年代にNYに渡りました。アンディ・ウォーホルなどの有名なアーティストに会いたいと思うと同時に、自分自身も有名になりたいという野望を持ち、成功を夢見て、NYに向かったわけです。そういった、すべての人が夢を見ることができる、魅力のある都市がNYでした。
同時に、危険な街でもありました。強盗事件が多発し、ドラッグ中毒者も多くいましたし、エイズなどの病気も広がりつつありました。NYは、危険と隣り合わせた街でありながら、ロマンチックな生活を夢見られる街。そういったイメージを抱いて、ヨーロッパや南アフリカなど世界各地から、NYのソーホー、イーストヴィレッジ、マンハッタンを目指して、アーティストたちが集まってきていました。
往々にしてこうしたアーティストは3人くらいでロフトを借り、生活し、制作していました。
私が見ていた限り、ほとんどのアーティストは、大体お昼の12時くらいに起きて、午後に制作し、夜はディスコのパーティーに繰り出していました。このディスコが、今でいうインターネットの役割を果たしていたと思います。情報収集ができ、いろんな人に会える。ウォーホルやキース・ヘリングにも会える重要な場所、それがディスコでした。名刺を交換し、新しいネットワークを作ったりということができました。

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当時の私はいつもカメラを持ち歩いていました。今はみんなスマホを持っていますが、当時はカメラを持ち歩くこと自体珍しかったと思います。そういった状況下で撮影した写真を、今回展示しています。当時はモノクロフィルムも高価で貴重なものでした。今のようにスマホで簡単にたくさん撮った中からベストの一枚を選ぶのではなく、常に集中して構図を考え、カメラのシャッターを押していました。いろいろな話を伺ったあとに写真を撮ったので、被写体と私の間に緊張感のない、ありのままの作家の姿が撮れたのではないかと思っています。
当時、私はドイツのスターンという雑誌社から仕事の依頼を受け、働いていました。はじめは、ライターとして執筆活動だけをおこなっていました。ある日、取材の日にカメラマンが来なかったんです。その時、ライターとしてそこにいた私が、持っていたカメラで代わりに写真を撮ることになりました。それ以来、ライターとフォトグラファー両方の活動をおこなっていくことになりました。
ご存知のように、『VOGUE』などの大きな雑誌は、ライターとカメラマン両方の仕事を一人に担当させることを好みません。個別に依頼することが多いため、なかなか両方担当することは叶わないことが多いのですが。

最後に、一番奥に展示している短い映像は、バスキアのインタビュー音声です。当時インタビューはカセットテープに録音していました。全体では約50分あるインタビューの中から、前半3分をまとめています。単なる質疑応答という単調なものではなく、ディスカッションしている生き生きとした生の声です。バスキアが感情的になり、怒り出し、そして鎮まっていく場面もあります。どうぞご覧ください。

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ご挨拶のあとは、来場者の質問に答えたり、本展のために作ったパンフレットにサインをされたりと、来場者とのやりとりを楽しまれていました。
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会期は10/21(日)まで。※10/16(火)は休館日。
併設ショップでは、本展で展示しているポートレート作品が収録されたパンフレットのほか、バスキアやウォーホル、キース・ヘリングなどの関連グッズも販売中です。日本初公開の貴重なポートレート写真をぜひ会場でご覧ください!

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バスキアとNYアーティストたち
Roland Hagenberg 写真展

2018/9/8 − 10/21

トンコハウス展

長砂賀洋さん ギャラリーツアー レポート

8/25(土)にトンコハウスのコンセプトアーティスト長砂賀洋さんをお迎えし、ギャラリーツアーをおこないました。終了後に開催したライブペインティング&サイン会と合わせて、レポートします!

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福岡は初めてという長砂さん。参加者と会場をまわりながら、ここぞとばかりにたくさんの制作秘話を打ち明けてくださいました。なかには、ここだけの話という内容もありましたが、以下、一部抜粋・編集してお届けします!

ー「光」と「影」のためのマケット

(長砂賀洋さん)2Dアニメーションで、なぜ「マケット」をつくるのか。傾向として、日本のアニメは平面的な捉え方をしますが、海外のアニメは西洋絵画がベースになっていて、「光」と「影」が基本にあります。どういう影の入り方をするか、特に短編映画『ダム・キーパー』は、フルペイントで光を表現しているんですよね。キャラクターにどういう光が当たって、どういう影ができているか。マケットを見ることで、光や影の入り方を理解することができます。
というと、ちゃんとマケットを作ってもらえるので、そう言いますけど(笑)。一方で、制作スタッフのテンションが上がるから、楽しいからという理由もあります!制作スタッフのテンションが上がるというのは重要で、現場が楽しくないと良いアニメーションはできないんですよね。

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ーCG制作は世界の仕組みを知ること

(長砂さん)(会場の長編テスト映像を見ながら)これは長編映画に向けて、東京のアニマさんという制作会社とコラボレーションしてテスト用に作りました。このクオリティのCG映像を制作するには、非常に高い技術が必要で、日本の会社とこのような3DCGの映像を作れたことはものすごく意味のあることだと思います。
平面の絵は、割と感覚的に描けるところもありますが、CGは全て具体的になるんです。例えば、ブタくんは、この3DCGのアニメーションで見ると、毛が生えています。他にも、着ているデニム生地のオーバーオールの縫い目がどれくらいの大きさになっているか、具体的にひとつひとつ考えていかないといけないんですね。そういう面では、知識や作業がより必要になってきます。だから、CG映像を作るのは世界を知ることに近い。世界の仕組みを勉強することにかなり近いんですよね。

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ー堤大介さんとロバート・コンドウさん

(長砂さん) 堤さんとロバートは、トンコハウスを代表する二人で、同じコンセプト・アーティストですが、実は役割が違っています。ロバートはピクサーではデザイナーだったのですが、この線画はロバートが描いたもので、世界観の構造をつくるための絵です。(絵の中には、まるで設計図のようにストーリー設定の説明が描かれている)
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ペインターとして堤さんが描いた色が付いている絵は、世界観の雰囲気、匂い、光をつくる。
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デザイナーとペインターで分かれているのは、デザインする能力と、ペイントする能力が違うからです。二人の異なる才能が奇跡的に合わさって、気が合って、会社をつくるというのは、絵描きからしたらとても羨ましい、すごいことだと思います。

 

ー短編映画『Moom』

(長砂さん)最近では『君の名は』でも知られる、映画プロデューサー・川村元気さんが文章を書いた絵本『ムーム』(2014年、白泉社)があります。この絵本を短編映画にした作品『Moom』で、僕はアートディレクターとしていろんな絵を描きました。これはフルCGで作っていて、トンコハウスと日本のマーザさんという会社と制作しました。
これは『Moom』の 「エモーショナルチャート」と「カラースクリプト」と呼ばれるものです。これらはセットのようなもので、大人数のスタッフとどういう映画を作りたいかということをシェアするために、この二つがあります。 エモーショナルチャートは、縦線が観客の心の動き、悲しい時と嬉しい時。横線が時間になっています。グラフにすることで、一番高いところで観客が一番テンションが高い、というふうに設定します。音楽と一緒で、曲にはイントロがあり、サビがあり、アウトロがありますよね。観客に物語を飽きずに見てもらうために画面にどう写すかをエモーショナルチャートで、全スタッフで共有するわけです。 それで、カラースクリプトで、こういう絵が入りますというのを具体的に示していく。『Moom』で照らし合わせてみると、感情的に最も高ぶるところで花火が上がっています。そういったことを、この二つで、スタッフ同士でより共有していきます。僕の仕事はこういうことがメインですね。

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ギャラリーツアー終了後、ライブペインティングをおこないました。長砂さんは、来場者からの質問に答えたり、エピソードを話したり、お話をしながら描くスタイルで、オーディエンスを終始楽しませてくださいました!
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長砂さんがアートディレクターを務めた短編映画『Moom』に登場するムームやルミン、そして『ダム・キーパー』のブタくんたちが共演したイラストを描いてくださいました!「TONKO(TSU) HOUSE」の仲間たちのイラストは会場でお楽しみください♪

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サイン会では、これまでに来場したトンコハウスの皆さんのサインが揃った書籍を持参されたファンの方の姿も。ここでも『Moom』からムームやルミンを描いてくださっていました。
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エリック・オーさんにはじまり、総監督である堤大介さん、福岡出身の中村俊博さん、そして最後に長砂賀洋さんと、会期中にトンコハウスファミリーが続々と来場してくださいました。『ダム・キーパー』の長編作品など、トンコハウスのこれからが本当に楽しみです! 本展では、制作途中の作品も含めて、作品の制作過程やマケット、スケッチなども展示しています。会期は9/2(日)まで。どうぞお見逃しなく!

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トンコハウス展
「ダム・キーパー」の旅

2018/7/21 − 9/2

トンコハウス展

中村俊博さん アニメーションワークショップ レポート

九州産業大学4年、博物館実習生の野村です。
8月18日(日)におこなわれたアニメーションワークショップの様子をレポートします。

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福岡出身でトンコハウスのアニメーター中村俊博さんにお越しいただき、ゾートロープを作りました。ゾートロープとは、パラパラ漫画のような連続した動きのある絵や写真を、縦にスリットの入った円筒に入れて回転させるとアニメーションのようにみえる原始的な映像装置のことです。この装置を作ることで、アニメーションの仕組みを体験することができました。

まず、外側の枠を作ります。
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木の棒を差し込む筒をボンドで貼り付けます。
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いよいよ、内側に貼るアニメーションのイラストを描いていきます。今回、特別に中村さんが「ダム・キーパー」に登場するブタくん、キツネくん、カバくんが歩いたり、走ったりするゾートロープ用イラストをご用意くださいました!

そして急遽、中村さんにも参加者の皆さまと一緒にゾートロープを制作していただきました!
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中村さんよりゾートロープのアニメーション制作のポイントとして、「動きが繰り返されるサイクルアニメーションなので、複雑なものよりもシンプルな動きの方が見栄えが良く、最初と終わりのイラストが似ているときれいにループした動きになる」とアドバイスをいただきました。
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中村さん作のアニメーションのイラストに色を塗ったり、動きを参考にしながらオリジナルのイラストを描いたりと皆さま思い思いに作っていました。

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この段階では動く姿がわからないので、どんなアニメーションになるのかワクワクしますね!

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中村さんは、『ピッグ 丘の上のダム・キーパー』に登場するさかなが水浴びしながらダンスするアニメーションを描かれていました。

イラストが完成したら、切り離してゾートロープの土台に貼ります。

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すべて貼り終えると、ゾートロープの完成です。

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回転させながらスリットの間から覗くと絵が動いて見えます。完成して初めて、自分で作ったアニメーションを見ることができ、静止画だったイラストが動き出すとついつい笑顔になってしまいますね!

完成後は自分の作品について発表し、一つ一つの作品に中村さんがコメントしてくださいました。
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中村さんの「アニメーションは言語ではないので世界中の人と繋がることができる」という言葉を聞き、さらにアニメーションの奥深さを感じました。
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アルティアムの受付で、中村さん作のゾートロープを実際にご覧いただけます!お手にとってお楽しみください!ずっと回して見ていたくなります。

ワークショップ終了後、会場でライブペインティングとサイン会をおこないました!
たくさんの来場者と取材カメラが見守るなか、どんどん描き進めていきます。
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福岡出身の中村さんならでは、かつ豪華キャラクターが勢揃いのイラストに仕上がっていました。ご来場の際は、近くでご覧ください!
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サイン会にもたくさんの方にお並びいただき、ありがとうございました!

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アニメーションワークショップは終了しましたが、アルティアム会場内で随時ワークショップ「風車をつくろう」を開催中です。
8/25(土)には、トンコハウスのペインター長砂賀洋さんが来場し、ギャラリーツアーとライブペインティングをおこないます!こちらもどうぞお楽しみに♪
会期は残り10日間!ご来場お待ちしております。

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トンコハウス展
「ダム・キーパー」の旅

2018/7/21 − 9/2

トンコハウス展

堤大介監督 in 福岡 レポート

8/3(金)にトンコハウスの総監督である堤大介さんをお招きし、特別上映会+トークを開催しました。堤監督の滞在中は連日、会場内でサイン会やライブペインティングをおこないました。監督が滞在した3日間をまとめてレポートします!

特別上映会+トーク
アメリカから堤監督が来日し開催する貴重なイベントということで、遠方からもたくさんの方にお越しいただきました。特別上映会で上映されたのは、オープニングイベントで来日したエリック・オー監督によるシリーズ作『ピッグ 丘の上のダム・キーパー』。当日は、劇場版として編集された全10話をまとめてご覧いただきました。堤さんとロバートさんお二人の総監督、そしてエリック監督によってつくられた本作。時に可笑しく、時に切ない展開に、会場は笑いと涙に包まれました。
(以下は、特別上映会後のトークを一部抜粋・編集したものです。)

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ー福岡での開催について

(堤大介監督)僕はピクサーに在籍していた頃、日本全国を『トイ・ストーリー3』のPRツアーで回ったんですが、一番大好きだった街がここ福岡です。食べ物も美味しいし、街の雰囲気もすごくエネルギーがあって。やっとまた戻ってくることができて、そして福岡でトンコハウス展をできて、本当にうれしいです。

トンコハウス展は、2年前に銀座・クリエイションギャラリーG8で、去年は石巻の石ノ森萬画館で、そして今回アルティアムでやらせていただきました。僕たちはまだ作品の数も少ないですし、普通、展覧会というのは大きな作品をつくって、そのあとに発表するのが普通だと思います。ただ、トンコハウスを立ち上げて、苦労と大変な思いもしながら、みんなで作り上げる楽しさをシェアしたいという気持ちがあるんです。僕らが展覧会でやっていることは、今こうして制作途中のものも含めて、制作の過程からみんなと共有していこうというところから来ています。なので、制作途中の作品も含めてトンコハウス展では展示をしています。イムズプラザの「ようこそ!トンコタウン!」も含めて、ワクワクする気持ちで福岡にやってきました。

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ートンコハウスのはじまり

(堤監督)トンコハウスを始めて、4年が経ちます。すごく小さなグループです。原点となる『ダム・キーパー』という18分の短編映画は、僕とロバートがまだピクサーにいた時に、自主制作として、休みの日や早朝、夜に集まって9ヶ月かけて作った作品です。それが良い形でいろんなところで評価を得て、アカデミー賞にノミネートされるという幸運がありました。ピクサーというすべてが整った環境で、夢のような仕事をさせていただいていたんですけど、その時、この自主制作の経験を通じて、新しいことに挑戦したいという気持ちになりました。自分自身になにかを課すとすれば、これ以上待ってはいけないと。

僕はこの時に2歳になる子どもがいましたし、ロバートも結婚したばかりの時でした。二人とも家のローンも抱えていて、普通で言ったら一番最悪な時期にピクサーを辞めて、トンコハウスという会社をつくりました。

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ー映像だけにとどまらないクリエーション

(堤監督)僕らは映像だけでなく、本もつくります。アルティアムの併設ショップでも、「グラフィック・ノベル」と呼ばれる本を販売しています。グラフィック・ノベルは、漫画と絵本を足して二で割ったような日本にはないタイプの作品です。『ダム・キーパー』の長編の構想があって、その原作となるストーリーを、3冊のグラフィック・ノベルとしてつくっています。これまでのストーリーとは違って、ピッグとフォックスがもう少し大人になった時に、ダムの外にピッグのお父さんを探しに行くというお話です。

トンコハウスは、手描きアニメーションもCGアニメーションもやりますし、お話がつくれて、絵が描けて、世界観やキャラクターがつくれる人がいるんだから、いろんなことをやっていこうよという態度で活動をしています。

 

ー福岡出身の中村俊博さんについて

(堤監督)今日上映したシリーズ作品『ピッグ 丘の上のダム・キーパー』で、エリックの右腕のような存在だったのが、トンコハウスにいる中村俊博なんですね。地元が福岡で、アメリカに留学して、初期の頃からトンコハウスにいて、短編の『ダム・キーパー』の時から活躍しています。今回福岡で展覧会をやらせていただけて、とても喜んでいました。8/18(土)にアメリカから彼がやってきます。その時には僕と同じように、ギャラリーの壁に落書きもするので、ぜひ皆さん会いに来てください!

トークの最後に質疑応答コーナーを設けました。

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(来場者)今まで作品をつくるなかで、伝えたいと思っていることを作品で伝えられなかったらどうしようというようなことを思ったことはありますか。

(堤監督)すごくあります。作品って結局自分自身だと思うんですよね。日常でも、自身が信じていることや、こんな自分でいたいと思うことを、周りが理解してくれないことってありますよね。それと同じで、それは苦しいですよね。でも、作品は自分の手を離れたらいろんなことを言われるわけです。辛辣なことを言われたこともあります。それはクリエーターの宿命というか、そのリスクは負ってつくるという覚悟はあります。

僕らが心がけているのは、客観的な目で意見を言ってくれる人を側に置くことです。僕とロバートは常にペアで、どちらかが客観的な立場をとる。伝わっているのかいないのか、遠慮をしないで正直に言ってあげる。そういう存在を自分の周りにつくるというのが大事だと思います。

 

サイン会&ライブペインティング
特別上映会+トークイベント翌日、急遽、堤監督によるサイン会をおこないました。前日のお知らせにも関わらず、たくさんの方にお集まりいただきました。サインと一緒に描かれるイラストは一つ一つ違っていて、並ばれた皆さまもとても喜ばれていました。

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また、福岡滞在中の合間を縫って、会場入り口に堤監督が絵を描いてくれました!

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たくさんのオーディエンスに見守られながら、どんどん描き進めていく堤監督。

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ほぼ日のプロジェクト「ENOMONO」でトンコハウスと一緒に制作をしている京都在住の画家・junaida(ジュナイダ)さんも飛び入り参加してくださいました。ENOMONOやjunaidaさんのグッズも、会期中、併設ショップで販売していますよ♪

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ご来場の際は、お二人の合作をぜひ近くでご覧ください!ダム・キーパーのキャラクターやjunaidaさんの小人など、見ているといろんな発見があります♪
堤さんがトーク中に触れていた中村俊博さんのライブペインティングは、8/18(土)17時〜アルティアムでおこないます!8/25(土)14時〜は、トンコハウスの長砂賀洋さんによるギャラリーツアーも決定しました!最終日9/2(日)には追加の上映会も♪たくさんのご来場、お待ちしております。

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「ダム・キーパー」の旅

2018/7/21 − 9/2

トンコハウス展

ワークショップ 風車をつくろう! レポート

九州産業大学4年、博物館実習生の野村です。

現在開催中のトンコハウス展会場内にて行われているワークショップ「風車をつくろう!」をご紹介していきます。
このワークショップでは、トンコハウスの初作品である短編映画『ダム・キーパー』に登場する丘に自分で作った風車を飾ることができます。
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まずは、おりがみの白い面に絵を描いていきます。黄色い面には、ブタくんがプリントされた会場オリジナルのおりがみです!

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ワークショップスペースには、色鉛筆やクレヨンを置いています。どんな風車にするか考えながら、好きな色を塗ったり、形を描いたりしてみてくださいね♪
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次は、はさみでちょきちょきと切り込みを入れて、中心に向かって折り、のりで貼ると、平らだった紙が風車の形になります。

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最後に、風車の中央につまようじを刺して、ストローに差し込むと風車の完成です!
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完成した風車はブタくんたちが待っている丘に飾るか、お持ち帰りいただくこともできます!
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カラフルな模様やトンコハウス作品に登場するキャラクターが描かれたものなど、素敵な風車が丘一面に広がっています。
丘の上でくるくると回る風車はとてもきれいですね♪

『ダム・キーパー』は大気汚染に覆われた街が舞台です。 主人公のブタくんは闇から街を守るために大きな風車を回す役目を負っています。 ブタくんと一緒に風車の力で闇から街を守りたいという気持ちがこのワークショップに込められています。

会期中、子どもから大人までどなたでも参加できます。会場にお越しの際は是非風車を作ってみてくださいね♪お待ちしております。

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「ダム・キーパー」の旅

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