みえないものとの対話

アーティストトーク<谷口暁彦+渡邉朋也> レポート後編

「みえないものとの対話展」関連イベントのアーティスト・トーク〈谷口暁彦+渡邉朋也〉(後編)をご紹介します。

前編に続いて三名がゲームやスポーツを題材に、自身の制作と照らし合わせて考察を重ねるトークとなりました。和気あいあいと、でも白熱したトークレポ後編です。是非前編もあわせてご覧ください。

(以下はアーティストトークでのお話を一部抜粋・編集したものです。)

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◆ゲームにみる、現実とシュミレーションの関係性

(谷口)渡邉くんが落合を例にしていたように、現実とシュミレーションの関係、つまり一回性の現実と再現可能なシュミレーションの関係を考えたときに、ゲームってものすごく面白いメタファー、システムだなと思うんです。ゲームって誰もそこに関与しなければ、閉じたシュミレーションとして走るのだけれども、そこにある種のランダムなパラメーター、あるいは主体的な場面転換を与える要素としてプレイヤーがわずかなインターフェイスの中に介入していくっていう仕組みがある。そこにシミュレーションの中への没入具合、リアリティの濃淡があって、その点が面白いなと思うんですよね。昔プレイステーションのゲームで『リベログランデ』というサッカーゲームがありました。

これは普通のサッカーゲームとは全く違った仕組みになっていて、試合中全編に渡ってひとりの選手しか動かせないんです。現実のサッカーのプレイヤーのように本当にリアルにひとりの選手しか動かせないというのは、このゲームが初めてだった。すると、同時にこれまでの普通のサッカーゲームの仕組みの方が実はヤバいってことに気づいたんです。

(最新のウィニングイレブンの映像)

(谷口)これだけリアルな映像なのに、ある部分が全然リアルじゃない。それは、自動的にボールにもっとも近い選手が動かせるようになるという仕組みです。これは通常のサッカーゲームの仕組みで、このウィニングイレブンでもそうですね。僕らは自然に囲碁やチェスみたいなボードゲームのイメージでやってると思うんです。でもそれって一種の幽体離脱で、ここでは選手間でボールがパスされてるんだけど、それは同時に操作者の魂自体がパスされてるんです。つまりボールが魂なんですね。

(渡邉)友達じゃないんだ。

(谷口)ボールがプレイヤーの主体なんです。だから相手に自分の主体性が奪われるのを取り返しにいくゲームになっている。

(渡邉)こういう視点みたいなものをプロのスポーツ選手たちは獲得しようと頑張ってるんじゃないかな。

(谷口)いろいろとゲームのシステムが作られていく中で、人間の魂の形みたいなものがいとも簡単にリデザインされて、幽体離脱も簡単にしちゃっていいんだ、ということが起きてるんですよね。これはある種フィクションの枠組みの中だからこそ可能になっているんですよね。ゲーム内で限定的に表現されるアヴァターにいとも簡単に魂が仮託される。さっき渡邊くんが言っていたプロの選手たちの幽体離脱という話では自分の体から離れた視点を獲得するというか、むしろ自分の輪郭線を曖昧にするようなところがある。

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◆リアリティが剥がされる瞬間

(谷口)『電車でGO』というゲームは、現実の運転席からの風景を3DCGでリアルタイムで表現して、実際に走っている様子をみせるという、鉄道のシュミレーターとして凄く有名なゲームソフトです。それは別に『Train Simulator』というゲームがあります。

これは運転席からの映像がCGじゃなくて実写の映像なんですよね。撮影する時は全て駅を通過した映像を記録してるんです。だから駅に停車した瞬間どうなるかというと、歩いている人が徐々にスローモーションになって、最終的には映像のフレームが停止するからみんな止まり始めて、階段上ろうとしてる人も止まっちゃうんです。それで何に気づかされるかというと、結局これは鉄道の線路の上を走っているんじゃなくて、映像のタイムラインの上を走ってるっていうことなんです。つまり、再生速度の調整で駅に正しく停車するかどうかっていうゲームになってることに気づく。ゲームの仕組みがあばかれてしまう瞬間、リアリティが剥がされちゃう瞬間がここにあるなと。僕はこれにかなり影響されて作品をつくったりしましたね。

(鈴田)今日聞いていて、特にゲームの話が続いているんですけど、実際に日頃からゲームをプレイしていたりもするんですか?

(渡邉)自分の場合、驚くぐらいテレビゲームしないんですよね。ただ、野球と同じで、ひとつのきっかけにはなっていると思います。

(藤岡)テレビゲームってコンピューターですよね。要は自然をどうシュミレーションするかという意味では野球やサッカーとテレビゲームには共通点があって、そこからインスピレーションを受けているというのはポストインターネットというかコンピューターを考える上では正当な感じがする。

(谷口)僕らがなにか作品をつくろうとか、あるいはものをつくろうって思ったときに手つかずの本当にカオスな自然状態ではだめなわけですよ。なんらかの形でそれを文節化してコントロール可能にする、抽象化するってことが必要で、その抽象化の仕方っていうのが多分様々な記述方法の違い、世界をどう記述するかってことの違いとして表れてくると思うんです。そうしたときにゲームは世界の捉え方が自由で、どう捉えてどう改変するかというモデルとして、シュミレーターとしてのゲームというのはすごくいいと思う。現実と比較した時にゲームの異常さに気づくことが大事なのかなと思うんですよね。

(藤岡)要はコンピューターは人間の妄想なので、最終的には人間ってすごい、スキルがすごいというところに落とし込まれるところはありますね。

◆三者によるコンピューターの捉え方

(谷口)コンピューターばっかりじゃなくて体動かそうよとか、コンピューターがあたかも非人間的なもののように感じられがちなんだけど、そもそもコンピューターの中にある様々なソフトウェアって、人間が一文字一文字文字を書いて作られたプログラムなんですよね。それってつまり、ものすごい分厚い物語が描かれてる。それを使って僕らが別の世界を作り出してるっていうことをやってるんだなと思って。go toとかstopとかifとか、言葉で書かれている物語がものすごい膨大に書かれた世界がコンピューターなんだなと最近気づいてはっとしたんですね。

(渡邉)僕は平たく言うとコンピューターのことを分からなくなりたいっていうのがあって、要するにブラックボックスとして、ただの現象として受け止めたい。自分も関わっている秘密結社IDPWの活動で、いわゆる第三世界におけるインターネットという問題を取り上げることがあるのですが、よく引き合いに出すのが西アフリカのガーナのサカワと、バングラディシュのいいね!工場です。サカワはインターネット詐欺、フィッシング詐欺をやってる集団なんですが、特筆すべき点は、伝統的な黒魔術を使ってインターネット詐欺をしてるんですよ。というふうにいうと我々は笑っちゃうじゃないですか。黒魔術ってコンピューター関係ないし。

(藤岡)黒魔術用のインターフェイス無いからね。

(渡邉)黒魔術の呪いが、インターフェース経由なのか、コンピューターの回路にダイレクトなのかわからないけど、影響を及ぼしてしまっているらしい。というか、むしろ逆で、あらゆる帰結を黒魔術に回収できる想像力があるのかもしれない。もちろん黒魔術が自己暗示とか自己催眠みたいに、自分の心身の動きに影響を与えてるとかそういうのはあるでしょうね。いずれにせよ、彼らは黒魔術はコンピューターに通用して当たり前だと思っているんだと思います。

(藤岡)僕もやっぱり谷口さんと同じくコンピューターで制作する時は言葉で作品をつくっていくという感覚があって、最終的に神話というかそういうところに繋がっているんだなと思っています。例えば、0と1で構成していくという概念はアルファベットの概念と一緒なんです。アルファベットも、神が作った完全な物体から天使が一部を切り取ってアルファベットにしたと言われていて、それをまた組み合わせることで全てのものを表すことができるっていうのがアルファベットの概念で、それがまさにコンピューター。コンピューターでやってるバーチャルな世界ってまさに本と一緒で、全然遠くないなと。

(渡邉)それはもしかしたら、この展覧会のテーマのみえないもの、コンピューターをある種の自然というかナチュラルなものとして考えるとかね、もしかしたらそういった感性にも通ずるのかもしれないですね。

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ここで語られた三者のインスピレーション源や興味を持っていることは、野球やサッカー、漫画、テレビゲームなど身近なもの。

ただそれらを見つめる視点は、オリジナリティ溢れる独自のものがあり、私達に日常で見落としていた様々な事柄があることを教えてくれます。30代前半の作家たちなので、特に同世代の人は感覚で理解できるかもしれませんね。

「みえないものとの対話展」も今週末11月8日(日)までです。是非レポートと合わせてご鑑賞ください♪

【展覧会ページ】
みえないものとの対話:
Dialogue with Something Invisible

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