安野光雅のふしぎな絵本展

遊び×芸術×科学 トークイベントレポート1前編

九州大学芸術工学研究院連携企画

『「遊びの博物館」展(1979年)からひもとく遊びと芸術と科学』と題した、馬 定延(ま・じょんよん)さん、城一裕さんによるトークイベントのレポート前編です。トークで取り上げた「遊びの博物館」展について、また、その展覧会を手がけた坂根厳夫さん、安野光雅さんとのつながりは、トークイベントについてを是非お読みください。(※本文は、本イベントのトークを一部抜粋・編集したものです。)

 

(城さん)城です。よろしくお願いします。僕はこの春から大橋にある九州大学芸術工学研究院に着任したのですが、元々は前身に当たる九州芸術工科大学音響設計学科(2003年に九州大学に統合)の卒業生で、1996年から2002年までの学部から修士の間この福岡で過ごしています。その後、幾つかの場所を経てこの春まで岐阜県にある情報科学芸術大学院大学、通称IAMASというところで教えていました。このIAMASの設立時の学長だったのが坂根厳夫さん(名誉学長)です。坂根さんは元々朝日新聞の科学部の記者で、その後、慶応大学SFCの立ち上げなどに参加されています。今は引退されているのですが、ジャーナリストが出自ということもあり、膨大な資料をお持ちなんですね。撮影されたビデオテープのコレクションもすごい数でして,そのコレクションの活用に関するプロジェクトというのを今日お招きした馬さんとIAMASの卒業生でもあるライゾマティクスの真鍋大度くんと一緒にやっています。

今回のトークは、春先にアルティアムの笠井さんから、安野さんの展覧会を開催するんですよというお話を伺い、直感的に閃いたものです。その上で一緒に企画をさせていただき、ここsolid&liquidのご協力もあって開催することができました。

今日は、まず馬さんに「遊びの博物館」展を中心に、いろいろな話をしていただき、後半では会場の方も交えて質疑、という形で話を膨らませていけたらと考えています。いま僕のいる九州大学芸術工学研究院の前身にあたる九州芸術工科大学は、設立されたのが1968年で、「技術の人間化」という大きなキーワードを持っています。専門が専門のままに分化していくのではなく、各々をつないでいく人を育てる、というのが学校の最初の理念としてあり、これは今回の「遊び×芸術×科学」というテーマともかなり近しいのでは、と思っています。その点についても、このトークシリーズを通じて深めて行ければいいなと考えています。では、馬さん、よろしくお願いします。

(馬さん)よろしくおねがいします。まず、みなさんの中で、安野光雅さんのことを前からご存知だったという方は?

(会場)半分くらい挙手

(馬さん)坂根厳夫さんをご存知の方?

(会場)数人挙手

(馬さん)実は、メディア・アート界隈の人なら国内外を問わず、誰でも知っている名前なんです。先ほどの城さんの紹介がありましたけど、まずは著書のタイトルから言葉を拾ってみましょう。『美の座標』(1973)『かたち曼荼羅』(1976)『遊びの博物誌』(1977)『新・遊びの博物誌』(1982)『境界線の旅』(1984)『科学と芸術の間』(1986)『拡張された次元』(2003)『メディア・アートの創世記:科学と芸術の出会い』(2010)…全部ではないんですけど、坂根さんは、こういうことに興味を持っている方です。

私は外国生まれということもありまして、安野さんの作品を直接見たのは今日が初めてのことですが、坂根さんの著作を通して、安野さんの名前と作品は見たことがありました。坂根さんの著作のなかでは安野さんによる装幀がたくさんあるので、最初は本の話からはじめてみました。いま見ているのは、『メディア・アートの創世記:科学と芸術の出会い』という本に載った、安野さんと坂根さんの写真です。坂根さんの依頼で安野が描いた《無限階段》を当時のコンピュータで一緒に見ていますね。今日この作品がアルティアムの会場の最初のところに展示されていることを見て、とても嬉しかったんです。

図1『メディア・アートの創世記』(工作舎)より

図1『メディア・アートの創世記』(工作舎)より

さて、坂根さんは、1975年から朝日新聞の家庭欄に週1回「遊びの博物誌」というタイトルで連載していました。それがものすごく人気だったので、本になりました。そうしたら、本物が見てみたいと読者の要望に応じて、今度は「遊びの博物館」(1979)という展覧会になりました。それでももっと見たいという声があって、もう一回「新・遊びの博物誌」という連載が始まり、それがまた本になって、そのあともう一回「遊びの博物館 Part II」(1984、85)という展覧会になりました。それくらい人気だったんですね。その頃から坂根さんがおっしゃっていたのは、「芸術も科学も純粋な遊びの精神から生まれてきた」ということです。

図2-1 遊びの博物誌

図2-1 遊びの博物誌

図2-2 新・遊びの博物誌

図2-2 新・遊びの博物誌

この『遊びの博物誌』には、安野さんの作品を取り上げたコラムも載っています。そのときに取り上げたのは、海外で話題になって、日本人であることさえ向こうの人たちは知らなかったという「ANNO’S ALPHABET」(日本での発行タイトルは『ABCの本 へそまがりのアルファベット』)が取り上げられています。今回のアルティアムの展覧会でも取り上げられていますよね。実際、原画を見てすごく面白いと思いました。

図3『ABCの本 へそまがりのアルファベット』1974年 ©空想工房 画像提供:津和野町立安野光雅美術館

図3『ABCの本 へそまがりのアルファベット』1974年
©空想工房 画像提供:津和野町立安野光雅美術館

「遊びの博物館」展は、安野さんと坂根さんと、もう一人、福田繁雄さんというグラフィックデザイナーの方が協力して一緒に展覧会をおこなったものです。公式的な統計資料までは確認できていませんが、『メディア・アートの創世記』によると全国で60万人を動員したらしく、本当に人気だったようです。残念ながら1979年には福岡には来ていないですが、1985年にパート2の時には福岡の大丸で展示されたそうです。ご覧のように、日本全国を巡回していました。アメリカのMITに高等視覚研究所(CAVES: Center for Advanced Visual Studies)ニューヨーク近代美術館(MoMA)、サンフランシスコにある科学博物館のEXPLORATORIUM、イギリスの大英博物館など、海外から協力した機関の名前から想像するイメージとはちょっと違うかもしれませんが、会場はほとんどデパートです。アルティアムも商業施設と美術館が一緒になっていますが、日本の美術史を調べていく中で、デパートの中の美術館がものすごく重要なんですね。単なる催し物だけじゃなくて、本当にシリアスなものも境界なくおこなわれていました。これはローアート、これはハイアートというような区別なく、面白いものを作る人の作品なら誰の作品でも選んで、できるだけたくさんの人が楽しめるような会場を選んでこういう展示をしていました。

図4「遊びの博物館」展 会場・巡回リスト

図4「遊びの博物館」展 会場・巡回リスト

(城さん)EXPLORATORIUMはサンフランシスコにある科学館の発祥の施設なんですね。福岡でも今、六本松にできようとしていますが、世界各地の科学館にある体験型の展示というものがここで初めて作られて、いろんなところに普及していった、そういう場所です。

(馬さん)坂根さんの映像コレクションの中には、テレビ番組を録画したものもありました。当時、この展覧会がどれだけ話題になっていたかを見られる資料があったのでお見せします。

図5 ニュースの記録映像のキャプチャ

図5 ニュースの記録映像のキャプチャ

いくつかの番組で紹介されていますけど、ご本人が説明する場面を除いては、だいたい同じ作品を映していて、コメントも似ていますよね。カタログを読むと、安野さんと坂根さんの企画した「遊びの博物館展」が、いまでも人を集めているほかのだまし絵展より、もっと深いメッセージを伝えようとしていることが伝わってきますが、こうやって数分のTV番組で残ったものを見てみると、いまの私たちが見て驚いたり、感動したり、楽しんだりするものがあまりありません。文字や写真よりたくさんの情報を残すことができる記録メディアがビデオなので、ビデオで撮っておくと安心しがちですが、本当にそうでしょうか。坂根さんのビデオ資料を見ていると、私たちの記憶と映像記録に関わる問題について考えさせられます。

ここからはビデオではなく、『遊びの博物誌』の図録に掲載された作品を中心に、どういう安野さんと坂根さんが面白いと思った作品がどのようなものだったのか、一緒に考えてみたいと思います。まず、「アナモルフォーシス」という手法が最初のチャプターです。この絵の真ん中のあたりに斜めに歪んだ骸骨が隠されていますよね?この絵が16世紀くらいのハンス・ホルバインの《大使たち》という有名な絵なんですけど、ちょうど遠近法が発明された頃です。遠近法がなぜすごいかというと、一人の人が世界を見るのと同じように絵が描けるようになったという発明だったからです。その遠近法が発明された直後から、遠近法がよくわかっているからこそ歪めるという手法が画家さんたちの間で遊ばれるようになりました。骸骨という死のイメージは、「知識の前にいつも謙虚になれ」という人間の有限性を意識しろというメッセージを伝えていました。

図6 雑誌「数理科学」展示風景

図6 雑誌「数理科学」展示風景

これ(図6手前の作品「奴江戸兵衛」)は安野さんに描いてもらったもので「数理科学」の表紙にもなっていて上の展覧会でご覧になった方もいらっしゃると思います。

坂根さんの展覧会には含まれていませんでしたが、南アフリカ出身のウィリアム・ケントリッジという作家は今でもアナモルフォーシスを使っています。木炭で描かれた絵からなるアニメーションですが、南アフリカの社会問題を批判する作品をいつも作っているこの作家にとって、見る角度を変えて、円筒の鏡を当てることでやがて見えてくる真実というメッセージを伝えるには有効な手法です。次は「不可能な図形」というセクションですが、この絵を描いたエッシャーという作家をご存知の方は?

図7『無限回廊』 ©2008 Sony Computer Entertainment Inc.

図7『無限回廊』
©2008 Sony Computer Entertainment Inc.

(会場)半分以上挙手

(馬さん)実は、エッシャーが日本であまり知られていなかった時に、エッシャーを本格的に日本で紹介されたのが坂根さんでした。1898年生のエッシャーが亡くなったのが1972年でしたが、その前の年に、坂根さんは本人に会いに行って、その後も、エッシャーの本を翻訳したり紹介したりしていました。次の画像は、年齢的に展覧会には出ていませんが、関連する同時代の作品の例として紹介できるのが、藤木淳(1978年生)という、九州大学芸術工学部のご出身の研究者が作ったゲーム《無限回廊》です。文化庁メディア芸術祭アート部門で優秀賞を受賞した《OLE Coordinate System》がプレイステーションのゲームソフトになったもので、このゲームもその続編も、同芸術祭のエンターテインメント部門で表彰されました。いまの社会のなかで多様化された作品のあり方を見せてくれるいい例だと思います。坂根さんは藤木さんをとても高く評価していて、いろんなところで紹介しました。エッシャーと藤木さんのあいだに、最初に紹介した、安野さんの《無限階段》を入れて並べてみると面白いですよね。

トークレポートは後編に続きます!

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