Local Prospects 2

トークイベント九州と震災とアートレポート2

11/6(土)に開催したトークイベント の様子を全4回にわたってお届けします!第1回レポートはこちらから。
今回は南阿蘇在住の写真家、野中元さんのお話です。

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プロフィール
野中 元
福岡県出身。写真家、百姓。外食産業勤務を経て、1994年26歳で南阿蘇に移住、無農薬田畑栽培22年目。竈に五右衛門風呂、ボットン便所にmacの暮らし。著書に妻の料理家かるべけいことの共著で『自然がくれた愛情ごはん』『かるべけいこのやさしいおやつ』。雑誌『九州の食卓』アドバイザー、TV『アグリンの家』『アリスのおいしい革命』スチール担当。
日々の発信はTwitter @NonakaHajime

(以下はトークを一部抜粋・編集したものです。)
自宅は本震の時に被害を受けました。20秒ほど揺れて、目を開けたら真っ暗闇の中で家が廃屋になっていたという。あらゆる建具はすべて崩れてガラスはほとんど割れました。柱もずれてしまって、土間の台所、竈、五右衛門風呂、そういったものも崩れてしまって。結論から言うと、そこには住めなくなって2週間ほど近くで避難しました。

本震後すぐにやったのは、周囲の家の老人たちを助け出すということ。とにかく外に出てもらいました。それを確認した後、車の中で道路で一晩明かしたのですが、余震でも震度6が連続で3回。家のガラスが割れたりものが崩れたりする、ボキ、バキ、という音がしてくるんですね。震度6、7くらいになってくると、もう何もできません。まずガスを止めましょうとか言いますけど、一切何もできないです。妻と息子、娘に覆いかぶさるので精一杯でした。その状態でさらにジェットコースターに揺られるみたいな、自分の身が剥がされそうになります。約20秒間考えていたことはたった一つです。「俺の上に物が落ちないでくれ」っていう。落ちるもの、額とか写真とかは片付けてはいたんですけれども、それでも物が落ちないでくれということだけを考えていました。

一瞬止まった隙に顔を上げて外を見ると、あるはずの窓がない。外が丸見えになっている。玄関に逃げようとすると、タイルとかあらゆるものが崩れている。靴はその下敷きになっているし、外に出るのにガラスだらけで外に出られないっていう。台所を通って外に出ようとすると、台所は散乱していて。外に出たら今度は2階から窓ガラスのサッシがまるごと落ちてきました。窓ガラスのサッシは普通鍵が閉まりますよね。あれがねじれて切れていました。たった20秒で人間ではできないことができてしまう。柱を押したってハンマーで叩いたって、家を崩すのって簡単じゃないんですね。重機がないとできない。それを自然はたった20秒でできちゃう。そのことにすごく衝撃を受けました。

たまたま僕は家の隣に5年前に牛小屋を改造した暗室兼ギャラリー持っていて、そこには水道も引いていたんです。その水道が10日後くらいで通るようになってからは、そこに台所のコンロを持ち込んで。そうするともう料理ができるってことです。
食べ物っていうのは命です。どうせ作るんだったら、美味しいもんが食べたいです。それは被災して家が崩れた翌朝でも、うまいものが食べたいです。美味しいもの、ご飯、味噌汁を食べたら、人間元気になるんです。そういうことは普段からしてないと、ダメなんですよ。都会暮らしで皆さん忙しくて、なかなか朝昼晩作るのは難しいとは思いますけども。でも1日一回くらいご飯と味噌汁食べようよって、どうやったら自分が元気でいられるか、自分の心を保てるか、体を保てるか、そういうことはすごく大事だなって思います。

その建物で9月まで暮らしていました。幸い、大工の助けがあったり、いろんな友人関係でネットワークがあったもんですから、おかげさまで9月に自宅を大改造して、復元をするという形で今は無事に。本当にこれはラッキーなことなんです。今の益城町、今の南阿蘇村、特に東海大学の周り、阿蘇大橋が落ちてしまったあたりなんかは未だに手付かずです。解体に入れるのが2年後というところもあります。
ただ、こういった解体も今、個人の場合はほぼ全額を国が負担することになっています。だから、逆に言うと解体する必要がない家、残しておくことができる家も心が折れてしまうと崩しちゃおうという話になっちゃう。ですから、田舎の風景はぐっと変わりますね。崩れてしまったら、まず、今後瓦を載せる家は少なくなると思います。家というのは頭が重いとそれだけ崩れて被害が大きくなるんですね。ですから、ほとんどの家はトタン葺きとか洋瓦になると思います。一つの震災がいろんな景観や、大事にしておきたいもの、残しておきたいものに対しても、影響を及ぼしてきます。

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「報道ステーション」で、今の生活を取材されたものが放映されています。本来は妻と私で冬から料理コーナーをやることになっていました。それがスタートする時に震災を受けまして、結果的に復興のコーナーへと変わってしまい、3ヶ月に1回のペースで放映されています。
自分としては自然の中で生きて行くこと自体が芸術だと思ってやってきました。しいて言えば商業的な、生計を立てる上でやっている経済的なものも大切なものですが、それ以前に自分が生命的な時間で生きている、自分の生きる喜びであったりとか、動物と一緒に生かされている感覚を大切にしながら生きて行くということが現実につながっていくんではないかなと普段から考えています。

こういった震災の直後なんかは自分は写真家として何をするんだろう?実際に南阿蘇村の中にいらっしゃる有名なカメラマンの方で、崩れた家などの記録を出している方もいらっしゃいますが、僕は報道カメラマンではないですからそこではないかな…というより単純に僕にはできませんでした。その代わり、すぐにツイッターで、第一報の家が崩れた、というところから逃げながらずっとツイートをしていました。僕のツイートを見つけた共同通信の記者や「天然生活」という雑誌の編集長の方や、いろんな方から、避難している2日目くらいに「記事を書いてくれ」と言われて。僕から怒られるかもと思っていたみたいですけど、僕自身にとっては、写真をむしろ撮るというよりもものを書くということの方が非常に自分を冷静にしてくれる。自分を客観的に見ることができる。文章を書くということは、そういう効果がありますから、それが非常に、ある意味自分を支える助けにはなりましたね。

もちろん、僕自身はそういう風になるとなるべく明るく元気なところを出していきたいという性格なもんですから、基本的には暗い話ではなくてちょっとギャグも織り交ぜつつ、たのしく、いろんなネタを混ぜながら発信していたわけです。結果的に、おかげで各地で今日も含めてお話する機会をいただいていますし、そういったものが逆に被災を受けていない、物理的に被災を受けていない日本全国の遠方の方にとって、すごく元気がもらえたとか、安心できたとか、必要以上につらい気持ちにならなくて済んだとか言われることがあります。

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今ここに出ている写真は、いまは10歳の娘が4歳くらいの頃に撮った写真です。地震から一ヶ月経った頃、余震が1500回弱来てました。その時に、新聞の中のライフスタイルを提案する広告の中で写真を使いたいという連絡を受けました。熊本では一番大きな新聞で、熊本日日新聞です。僕は「崩れた家の写真持ってないですよ。そういった写真を撮ってないし、他に使える写真あるでしょ」と。報道カメラマンもいっぱいいるわけですから。そこでデザイナーが言ったのが、「もう見たくないんです。大変な家だとか、崩れた町の風景だとか見たくないんです」と。元気を出せるような話を、直接的な震災云々と本当に無関係で良いから、野中さんなりの詩を書いてほしいというのと、写真を提供してほしいという依頼でした。その時にこの写真を出したんですね。風景を娘が見ている写真なんですけども。娘に5年経って、「この写真を今度新聞で使うけど、どう?この時どんなふうに思ってたの?どういうタイトルが良い?」って聞いたら、「心の中の美術館」かなって言ってましたね。娘の自分の中で、この風景が美術館として写っている、そのことが素晴らしいなと思ったし、結果的にこういったものが震災の後に必要とされる、そういったことを記録しておいて、5年前の写真がこういった事態に必要とされることもあるんだなと思いました。

今を撮るっていうのは写真家としての一つの使命ですけども、その時間を超えたところで必要とされるのも、写真の本質的なあり方だなというふうに感じました。そういうふうに仕事をいただくというのは、僕にとってものすごく支援になるわけです。僕は被災して常々、自分で立てなくなるような支援はあまり必要ないんじゃないかと思っています。もちろん緊急支援は別のことですが。みんなはお前みたいに強くないよって言われるかもしれないけど、人間って何もない時が一番強いです。金も何もない時は知恵を絞るしかありませんから。ただ生きてるんだっていうのを自覚した時が一番強いんだと思います。知人の編集者が東北の震災の時に言っていたんですが、「困ってる、飢えてる人には魚を与えちゃダメなんだよ、釣りざおを与えなくちゃダメだよ」って。釣りざおがあればそれで魚を釣ろうとするでしょって。魚は食べたら終わりですから。そういった意味では、震災2日後に僕に仕事を振ってきたのは、釣りざおをくれたことになるんです。僕は冷静になれたし、ギャラも後からもらえますし、写真や文章を提出することができる。こういうことが他の人にもできたらいいなって、痛感しました。

東北の震災から1年経った頃から、写真の仕事で何度も何度も東北各県回りました。取材した人の中には、僕と同じ年の息子を亡くした人もいました。みんなものすごくあたたかく迎えてくれました。それは取材陣だからというのもあるけど、単純に来てくれてありがとうと言われる。
僕は今それがすごくよく分かるんです。何したらいいですかってしょっちゅう言われます。何もしなくてもいいんですよ、何もできないとか、足手まといになるとか、そんなのよくて、ただ顔を見せに来てくれるだけでいいです。元気?って。ふざけんなとか言われると思うかもしれないけど、意外とそんなことないです。こんな忙しい時、大変な時に行って、とか思いませんよ。来てくれたら、気がまぎれる。人の顔とかエネルギーってすごいんですよ。来てくれて、話をするだけで、気がまぎれるし、そのことで頭がいっぱいになっているときに、自分が軽くなるのが分かる。これはものすごく大事なことだなと思うんですよね。何をするかじゃなくて、そこに行くってことがそれだけで支援になるよってことは覚えていてほしいですね。

それと現地に行けない方は関心を持つことですね。起きた事実を覚えておく。四六時中被災者のことを考えてとは言わないです、そんなのは無理です。僕だって、東北のこと四六時中考えてはいませんでした。何が起きたのか、今どうなってるのかを知ることはすごく大切です。今、半年経った熊本でものすごく報道も関心も減ってると思いますけども、僕みたいにラッキーに復興、復元しましたよって話せる人もいます。でも一方では、復興のスタートすら切れないところもある。僕もメディアにいる人間として、こういうイベントに出ることで、関心を向けていただくっていうのも大切だと思って、出ています。そういった取材を続けてもらったり、情報を出してもらったり、個人でもSNSでもそうですね、そういった話題を出してもらうっていうのは、重い話題じゃなくて軽くでもいいんです、行ったら元気でしたよってそういうのでも良いんです。そういった情報を発信するっていうのはものすごく大切なんじゃないかと思います。
トークレポートは第3回以降へと続きます。ぜひご覧ください!

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