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トークイベント九州と震災とアートレポート3

11/6(土)に開催したトークイベント の様子を全4回にわたってお届けしています!第1回第2回もそれぞれお読みください。
今回は熊本市現代美術館主任学芸員の坂本顕子さんのお話です。

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プロフィール
坂本顕子
1976年熊本市生まれ。熊本市現代美術館主任学芸員。http://www.camk.or.jp/。準備室時代より同館の立ち上げに関わる。館内では、展覧会企画や教育普及を担当し、地域に開かれた美術館を目指して活動している。

(以下はトークを一部抜粋・編集したものです。)

私は熊本市現代美術館で働いているのですが、熊本市も被害があったとはいえ、より被害の大きかった益城や南阿蘇といった地域と比べると、復興はどんどんと進んでいっている印象です。もちろん、熊本城はやはり何十年と時間がかかると思いますが、熊本市中心部においては、「本当にここで地震があったのか」とちょっと思ってしまうくらいスピードがあって。なかなか復興が進まない地域との差がジレンマというか…同じということは物理的に無理なのですが、心はそわせつつ、進んでいきたいなという思いを持って、美術館を運営しています。

 今日は地震から現在まで、美術館が文化施設としてどういった活動をやってきたかということをお話ししていきたいと思います。4月14日の前震は21:30頃のことでしたので、まだ館内に職員がおりました。幸い、お客様はもういらっしゃらない時間でしたので、すぐに職員が作品の安全を確認し、館外に避難をいたしました。市の方から帰宅困難者があれば、受け入れをして欲しいとの連絡が入りましたが、平日夜のまだ交通機関が動いている時間のことでしたので、事実上その受け入れはございませんでした。

 翌日は、全員が出勤して館内の被害状況を記録しました。その後も余震が続くといけませんので、作品を再固定したり、退避させたり、安全確保をして、この時は「これが落ち着けば、来週には美術館は開けられるんじゃないか」と思っていました。まずは17日まで臨時休館をして、ちょうど、エッシャーを中心にしただまし絵の展覧会が始まったばかりでしたので、そこからまた仕切り直して頑張ろうというところでした。

 一回目の地震の被害で顕著だったのは、展示室内の可動壁が前後にガクッとずれてしまったということでした。

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収蔵庫の方は、壁に立てかけている作品が、ズズッと流れて倒れた状態になっていたものが多かったです。これらは、幸い箱に入っておりましたので、著しく損壊しているものはありませんでしたが、これから先、箱を開けていって、作品が痛んでいないかというコンディション・チェックを続けていかなくてはいけないなと思っております。幸い、作品そのものに大きなダメージがあるものは比較的少なく、額やSカンなどの展示金具などが壊れてしまうという被害が、当館においては多かったと言えます。


そのあと、16日に本震が起こりました。この時は深夜でしたので、館内に職員は誰もおりませんでした。余震がひどく、私も家族で小学校の校庭に車で避難し、明け方まで眠ることができませんでした。翌朝は、管理職がまず出勤をして、被害状況を確認、借用先に再度の連絡をし、やはりこれはすぐに美術館を開けられる状態ではないだろうということで職員の待機を決定し、当面の間休館に変更しました。

 前震の時に作品の退避は可能な限りしておりましたので、「あの時、出来るだけ対処していたからきっと大丈夫だ」と自分に言い聞かせながら過ごしました。当館は日航ホテルと同じ建物にあり、収蔵庫をはじめ、空調が24時間稼働できない状態になったという連絡がその頃入ってきていました。

 館内で一番被害が大きかったのが、ジェームズ・タレルの作品がある、無料で図書を読めるホームギャラリーというスペースでした。特につり天井のところに大きな亀裂が入っていました。館内の扉が外れていたり、本がさらに散乱していたり、前回は動かなかった作品が揺れで飛んでしまったりしていました。

ホームギャラリーの様子

ホームギャラリーの様子

ホームギャラリーの本棚の様子

ホームギャラリーの本棚の様子

展示室内の様子

展示室内の様子

 

やはり一番心配だったのは、空調復旧のめどが立たないことでした。動ける職員で、まずは作品をチェックして、収蔵庫にしまい、しっかり封をすることで温湿度の急激な変化を避けようと決定しました。皆さん被災している中だったのですが、日通の美術の方に来ていただいて、展示している作品を全部、収蔵庫内に入れました。ただし、借用作品など収蔵庫に入りきらない作品については、県外の空調が機能している倉庫を探してもらって、急いで作品をそちらに退避させるということも致しました。その後は、まずは空調の復旧を急ぎ、現状において作品の安全確保が完了出来たというのが、本震から8日後くらいのことでした。

 その後、問題になってきたのは、美術館を「どこから、いつ、どうやって開けるか」ということでした。ちょうどその頃、5月の連休が近かったので、「連休に美術館は開いていますか」というお問合せのお電話がいくつかかかってきていたのです。こんな時でも、美術館を利用して頂ける方がいるんだな、と新鮮に感じました。ただし、まだ安全点検が済んでおりませんでしたし、業者さんの確保や、その費用をどうするかということも考えなくてはいけませんでした。

 5月の連休中に工事をしまして、まずは無料のスペースを開けようということになりました。この頃、すごく印象的だったのは、館長の桜井が「美術館を美術館として、一刻も早く開けましょう」と言っていたことです。ふと、「避難所として開けたほうがいいんじゃないか」、「こんな時に美術を見に来てくれる人がいるのだろうか」、「こんな時に美術なんて不謹慎だ、などと言われるのではないだろうか」と、何となく悶々としつつも、まず館長の「開けましょう」という声に従って作業していた感じでした。

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本震から24日後の5月11日に、まずはフリーのスペースだけオープンしました。まだ、周辺の商店街もお昼だけの短縮営業をしているような状況でしたので、こんな時にお客様が来てくれるのかなと思っていましたが、初日には214人の方が来てくださいました。印象にすごく残っているエピソードがあって、朝10時に開けた時に、一番にベビーカーを押したお母さんが入ってこられたそうなのですね。美術館の中には、熊本市と共同で運営する「街中子育てひろば」というスペースがあって、アドバイザーが常駐しています。まだ余震も続いている状況で、昼間は、お父さんは仕事に行っちゃうし、子どもと二人で家にいると気が滅入る、どこか出かけて気を紛らわせたい、ということで美術館に来てくれたようです。

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同時に、館内では、なるべく気分転換になるような、大人向け、子ども向けの上映会を多くおこないました。漫画の特集コーナーを設置したり、簡単にできる、お絵かき、塗り絵、折り紙などのワークショップコーナーを用意して、お迎えしました。その際、塗り絵などは、すごくたくさんはけていくのです。みんな、少しの時間、集中して、達成感があるような作業を好まれるのですね。地震の処理や片付けなど、見通しが立たないことが多い中で、小さなぬり絵でも、達成感が得られると、気分転換になるのかなと思いました。

 その頃の館内アンケートでは、「開けてくれてよかった」という声を多くもらって、逆に私たちが励まされるような思いでした。「美術をやっていてよかったな」「美術館は美術館として、開けていいんだな」という自信が、この時初めて出てきたかな…と思っております。

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館内ではその後、フリースペース以外の展示室をどう開けていくかということを考え始めました。展示を再開しても、余震などでお客様や作品に再度被害が起こったら…というのが一番怖いことでしたので、九州国立博物館、東京文化財研究所、福岡市美術館、展示業者さんなどに相談して、展示金具や照明などに、二重のストッパーやワイヤーを付けたりするなど、安全な状態で展示をするために話合いをしました。
また、ハウステンボス美術館さんから、エッシャー作品をたくさんお借りしていたのですが、「熊本の皆さんの励ましになるのであれば、ぜひ再度展示してください」という本当にありがたいお言葉を頂戴しました。無料のスペースでエッシャー作品のみ架け替えをして、展示を再開したところ、初日には195人の方に見に来ていただきました。

それから、最終段階として、有料の企画展示ギャラリーを開けよう、ということで、展示室の可動壁の点検を始めました。そして、本震から70日後、夏休みを前に「帰ってきた!魔法の美術館」展をもって、美術館を全館開館させることが出来ました。
この展示の際に、印象的だったエピソードに、「地震の後、子どもがこんなにはしゃいでいる姿を初めて見ました」と言うものがあります。初日は、前回の2倍くらいの人数の方に来ていただいて、非常に賑わいました。

 当館は、商店街のど真ん中にあるということもあって、元々かなりの数の地域との連携事業を実施してきたという経緯があります。地震の前には18事業を計画していました。当館は、現代系の美術館なので、例えば地震で被害を受けた文化財レスキューなどを専門にやるわけではありません。「現代美術館」としてできる、地域のための復興事業ってなんだろうなと考えていた時に、「現美で復興イベントを何かできませんか」というオファーをすごく頂いたのですね。当時、県立劇場をはじめ、まだ開館できない文化施設が大部分でした。街なかで利便性があって、色々やっているから声をかけやすいということもあったと思うのですが、「うちでできることだったらどうぞ」ということで、いろんな団体と連携事業を行うことが、地震後ものすごく増えました。元々計画していたものが18事業、地震後にプラスで15事業。本当に毎週のように何かをやっている状況です。

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展覧会としては、ちょうどその時期、私は「魔法の美術館」展と、もう一つ、天草にある丸尾焼という窯元の三兄弟の焼き物の展覧会を夏に企画していました。天草は、比較的被害が少なかったのが幸いでしたが、本震の3日後に、三兄弟から電話がかかってきて「ただ作品を並べるような展覧会をやるのは、今はちょっと違うんじゃないか。できれば、焼き物屋として、自分たちにできる展示をしたい」と彼らが言ってくれて。まだみんな紙皿でご飯を食べていた頃でした。「自分たちの焼き物を無料で持っていって貰っていい代わりに、その皿を使った食卓の写真を撮って送ってもらいたい。皿が会場内から全部なくなった時に、今度は食卓の写真でいっぱいになる展覧会はどうだろうか」と言われました。私もまだ避難所で、車中泊していて、資金の目途も何もなかったのですが「それいいね、私もお皿欲しいわ!」みたいな感じで、スタートしました。そのあたりから、自分の中でぱちっとスイッチが切り替わって、「この展覧会を絶対成功させてやろう」と、とても楽しみな気持ちになってきました。

 お陰様で展示は盛況で、会場に並べると器はすぐに無くなっていきました。地震にちなんだことから、全く地震に関係ないことまで、コメントとともにたくさんの写真が送られてきて、見ている私たちも「美味しそうね」とか「オシャレね」とか、「これは張り切って、いつもより絶対一品多いな」とか笑。そういうツッコミを入れながらも、見ていると、こちらが励まされ、お腹が減ってくるような感じの、あたたかい展覧会になりました。最終的に会期50日間で、500枚の器を配布し、300枚の写真が送り返されてきて、36,000人くらいの方に見ていただきました。

「丸尾三兄弟 〇о(マルオ)の食卓展」に寄せられた写真の一部

「丸尾三兄弟 〇о(マルオ)の食卓展」に寄せられた写真の一部

 熊本市の中心部ですと、幸いなことに地震の被害が軽くて、一見、あまり以前と変わらないような日常を送っている方も多いのですが、「お皿が割れてしまった」というのは皆に共通する体験なのですね。しかし、「このくらいのこと、他の被害がひどかった人に比べたら…」と思って、グッと飲み込んでしまう。そういう小さくて目立たないけれども、‘欠ける’という、心の傷のような共通の感覚がやっぱりあるのだなと思いました。あるいは、地震を共有していない人が感じる疎外感みたいなものもある。みんな地震を一つの共通体験として、「あの時は大変だったね」とか「こうしたもんね」みたいな話をするけれども、その時に、避難とか疎開をしていたら、そこにちょっと入りにくい。被害は決して一律でなく、人の数だけ様々なのだなと思いました。

食べるということは、最も身近なアートと言ったら言い過ぎかもしれませんが、器がちょっと変わることで、新しい気持ちになったり、勇気付けられたり、生きる楽しみにもなります。「いつも通りの日常」とは、こんなに幸せなことだったか、と気づかされた展示になりました。

 現在、10月30日時点で非常に多く方にご来館いただいています。地震後に、元々予定していたものではありましたが、「魔法の美術館」や「ジブリの立体建造物展」など、家族連れなどに人気のある展示のラインナップが続きましたので、子どもたちで賑わい、楽しく体験してくれています。

ちょうど先日、熊本地震から半年ほどたって、「災害時における文化施設の役割」について、館長以下、職員で振り返りを行いました。その振り返りの中で、二つの視点を館内で共有しましたので、ご紹介いたします。

 一つは、災害が起こった時に、もちろんライフラインなど一定の生活を復旧させることがまず一番なのですが、その時に市民が求める日常、あるいは非日常を与えてくれるスポットとしての文化施設、ほっとできるような空間って大事なんだな、ということを実感した、ということです。それらは、被災後、10日程たった頃からお問い合わせが増えたり、3か月で10万人の来場者、開館後半年で20万人という数字も物語っていると思います。避難所にいると、見知らぬ人と生活空間を共有する緊張があったり、家もなかなか修理が進まないし、地震のことばかり考えてしまって‘くさくさする’。

 正直、文化施設に勤めていながら、復興のための優先順位の中で、「文化は最後の方」かなと私たち自身も思っていたところがありました。でも、非常に僭越ではありますが、「文化による復興」は、被災者の生活再建のずっと後ではなく、「少し後ろ」とか「同じくらい」にちょっとずつ進めてもいいんじゃないか。そういう動きは、実はすごく必要だなと思いました。

 それと、もう一つ、地震後に「地域文化の受け皿」としての活動を、非常に多く、また迅速にできた理由には、「日常的に市民と関与しているからこそ」だと実感しました。「アートにふれる」というのも、もちろんですが、「子育てひろばで子どもを遊ばせよう」とか、「映画も無料だし」とか、「1日マンガ読んでいても、うるさいこと言われんもんね」みたいな「心の避難所」的な空間を、日頃から運営していたとも言えます。

そして、地域の商店街の皆さん、文化施設の皆さんから、「現美で何かできないか」と言われると、「やっぱり何かせんといかん」と思うところがあります。日頃の関係性がなければ、震災後、たくさんの連携事業の相談や、来館者もいなかったかもしれない。特にうちは、街なかにあるコミュニティを非常に意識した館ですので、常日頃の、顔が見える人と人のお付き合いがあってこその復興なのだと感じました。

 熊本地震からまだ半年ですが、これから「地域に災害が起こった時、文化施設に何ができるのか」ということ、私たちの経験を、未来の被災地や文化施設の人たちに、「私たちの時はこうだったよ」と伝えていくことが大事なのではないか、と言いながら美術館を運営して行っています。

次は最終回!お三方によるトークレポートもどうぞお楽しみに!

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