岡崎京子展

今日マチ子が語る岡崎京子マンガの魅力 レポート1

好評開催中の「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」。初日12月3日(土)には人気マンガ家の今日マチ子さんをお招きしてトークイベントを行いました。聞き手は、世田谷文学館本展企画学芸員の庭山貴裕さんに登壇頂きました。本展への思いや岡崎京子さんの作品を語る、大変貴重なトークです。全2回に分けてご紹介いたします。(以下はトークを一部抜粋・編集したものです)

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(ディレクター・鈴田)本日はお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。本日からアルティアムで岡崎京子展が始まりました。本展は世田谷文学館で2015年に開催され、九州では初の開催となります。この度は、展覧会の主役である岡崎京子さんを語る場を設けたいと思い、世田谷文学館本展企画学芸員である庭山貴裕さんとマンガ家の今日マチ子さんにお越しいただきました。

(庭山貴裕さん/以下略)「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」が東京の世田谷で開催されたのはもう2年近く前になりますが、その企画や構成などをしていた者です。今日さんには本当にお忙しい中いらしてくださって、ありがとうございます。本展で今日さんには、カタログに素敵なトリビュート作品「リバーズ・エッジ2015」を描いていただいたり、東京の会場ではギャラリートークもしていただきました。福岡での展示の感想はいかがでしたか。

(今日マチ子さん/以下略)岡崎京子さんは純粋にファンというか、10代の頃に見ていた絵柄なので、見るたびにあの時の自由な気持ちが湧き上がってきます。マンガ家としてというよりは、ただひとりの10代の人間として見てしまうというところがありますね。

(庭山)東京でもそういった感想がすごく多くて、皆さんの記憶や思いが集まる場所のような感じがあったかもしれません。今日さんは、夏に伊丹市立美術館で開催された時も関連イベントに登壇されていましたし、今回もトークにご出演されることになったわけです。関連企画は各地の学芸員が独自に企画しているので、今、岡崎京子さんを語っていただくならこの人と、今日さんの名前が必ず挙がるのはすごいことですよね。

(今日)非常に光栄というよりは、私はただのファンというか、ファンにしてもディープなファンには怒られそうなくらいなんですけど、本当に岡崎京子さんを好きでよかったなと思いますね。関連イベントに呼んでいただいて、私なんかで良いんでしょうかというところですね。

(庭山)岡崎さんのコミックは普通より少し大きなA5サイズのものが多いですが、今日さんもそうしたコミックの世界でたくさんアーティスティックな作品を描かれていて。かつお二人ともマンガ雑誌以外にもいろんな媒体で、ジャンルを越境するようなお仕事をされている。ひとまずはそんなところで、お二人が重なって見えるのかなと思います。ただ、お二人にはそれ以上の共通項があるのではないかと思っていて、今日はそのあたりも垣間見えるお話になればと思います。
まず、お二人とも読者に長く読み継がれているという点が共通しているなと思うんです。今日さんの『センネン画報』や『cocoon』は、ずっと版を重ねられていますよね。

(今日)重版をされたからといって読まれているというわけでもないんですけど、いわゆるサブカル系のマンガにしては非常によく出ている方だとは思います。

(庭山)『センネン画報』はもう10年以上前になりますか?

(今日)2008年の初頭に出版されていて、でも描いてる期間を合わせると10年以上前なんです。

(庭山)少し前の作品が新しい読者に読まれて、感想や反応が届くことで感じることはありますか。

(今日)特に『センネン画報』は私にとっては処女作というか、描きたいというエネルギーをそのままぶつけていたような作品集なので、そういう力が若い人たちにも通じるのかなと思っています。それと、結構前の本になってしまうので「初恋の人にもらったけど、その人とは別れてしまって、でも本だけは読み継いでいます」という感想もありました(笑)。

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(庭山)そうやっていろんな人びとの思い出の本になっていくんですね。今日さんと違って、岡崎さんの場合は残念ながら多くの作品が書店で手に入る状況ではなくて、時々ネットですごい高値がついていたりもします。岡崎作品のファン層はかつて読んだ30~40代位の女性が多いと思うので、来場者もそういう方で占められるのかなと思っていたんですが、東京で展覧会の蓋を開けてみると60代以上の方も沢山いらしていましたし、10〜20代の若い方が思いつめたように原画を見つめているのを会場でよく見かけたりして、岡崎作品は世代を超えるのだなと嬉しかったですね。そういえば余談ですが、今日さんにギャラリートークをしていただいた時に、70才位かなという女性の参加者がいて、この方も読者なのかなと思ったら女優の京マチ子さんの話が聴けると思って来た方でした…(笑)。でも楽しんで帰られたようだし、その方は例外としても、幅広い層の方が来ていました。
さて、お二人のデビューについていうと、マンガ雑誌で受賞してという通常のデビューの仕方とは違う形で人気を博していかれたのも少し共通しています。岡崎さんが最初に注目されたのは、全頁が一般読者からの投稿で埋まっている「ポンプ」という雑誌で、そこに岡崎さんは毎号のようにイラストや文章を投稿されています。「ポンプ」の編集長だった橘川幸夫さんが最近、『ロッキングオンの時代』という本を出版されましたが、それによると岡崎さんは、イラストを束になるほどの量で毎月送っていたそうですね。時期としては岡崎さんが高校生から短大に通われていた頃ですが、その頃すでに岡崎京子ファンクラブまでできていたそうです。今日さんも学生時代は、ノートにたくさん絵を描いたりするような少女だったんですか。

(今日)そうですね。ただマンガ家になりたいわけじゃなかったので、岡崎さん的だったと思うんですよね。ただマンガっぽい絵が描きたいみたいな。ストーリーは出てこないけれども、断片を描きたいという感じでしたね。高校でも1ページマンガを描いてたことは描いてたんです。それがマンガだとは認識してなくて、1ページ内にレイアウトされたイラストと、ややストーリーみたいなものがある感じですかね。

(庭山)あまりマンガと認識せずに描いていた、というのは面白いですね。

(今日)マンガは好きでしたけど、マンガ家になろうとは思っていなくて、志望としてはイラストレーターに近かったですね。ただイラストレーターだけだと物足りなくて、物語のようなものを描く人なりたいと思っていました。もしかしたら絵本作家とか、そういうものの方が近かったかもしれない。

(庭山)それは今に繋がっていますね。

(今日)ただ「そういうあやふやな志望だと職業にならないよ」みたいなことを先生に言われて、それはそうだと思いましたね。

(庭山)マンガをよく読まれていたということですが、どんなマンガを読まれていたんですか。

(今日)高校生の頃は本当に「ガロ」が大好きで、丸尾末広先生とか花輪和一先生とか、そういう方面を読んでいました。

(庭山)いわゆる少女マンガ雑誌などは読まなかったんですか。

(今日)私そもそも恋愛が大嫌いで(笑)、自分も女性誌に描いているんですけど、読者としては読めないんです。なんか突っ込んじゃうんですよね。「こんなやついないよ」みたいなことを。 

(庭山)女子中高生の王道みたいなものは通らずに来たと…

(今日)多分「女子ならみんな恋愛好きだろう」みたいな押し付けがそもそも当時から嫌で、そういうのもあって読んでいなかったっていうのもあるかもしれないですね。でも本当に名作は読んでいるので、大丈夫です。

(会場)

(庭山)すごく清潔な少女を描いていらっしゃるイメージがあるので少し意外ですね…けっしてガロが不潔ということではないのですが(笑)、そこから何か転換があったんですか。

(今日)転換はないんですけど、絵の線の数を減らしていくうちに自然とですね。でもガロでも鈴木翁二さんとか、線の数の少ない方っていらっしゃるので、そちらの方を参考にしつつ、内容はガロ的なもので進んでいった。そうすると『cocoon』なんかに繋がっていくんです。

(庭山)さっきのお話に戻ると、岡崎さんが束になるようなイラストを毎月描いていたとか、今日さんもノートにたくさん1ページマンガを描かれていた。それは作品をつくるというより、日々描くという行為の方が根底にあるという感じなのでしょうか。

(今日)10代で体力、気力ともに有り余っていて、そこにマンガとかアートが好きとなると、自分でやってみたくなるんだと思うんです。とにかく作品にする気はないんですけど、ぶつけていくっていうのが岡崎さんのその紙の束だったと思うんですよね。

(庭山)岡崎さんの初期作品にも、そんな衝動が感じられると。

(今日)やっぱり描く絵柄とか、「今この東京に生きている私」みたいなものが、ものすごくぶつけられているなと思いますね。

(庭山)『センネン画報』と表現の仕方は違いますが、瞬間的なものやその場の空気感を写し取っているという意味では、初期の岡崎作品も似たところを感じます。岡崎さんのデビューのきっかけになったのはミニコミ誌の「東京おとなクラブ」ですが、今日さんもご自身で、「Juicy Fruits」というミニコミ誌を大学時代につくられていたんですよね。

(今日)そうですね。でも岡崎さんは編集さんがちゃんといるようなミニコミで、私は完全に自分でしか作っていないので、天と地の差があるという感じですけど。

(庭山)どんなものだったのでしょうか?

(今日)雑誌でもなんでもなくて、1ページのイラスト新聞みたいなものをずっと描いていて、それが貯まったら10枚セットにして本屋さんで売ってもらうというものですね、本当に手作りです。学校に通う時間が長すぎたので、通学時間で描いていました。行きで描いて、駅で降りたらコンビニでコピーして学校に貼って帰って来るみたいなシステムでした。

(庭山)その「Juicy Fruits」は、編集方針みたいなものってあったんですか。

(今日)「Olive」を「GOMES」っぽくするみたいな(笑)。単語知らないと何のことやらな感じですが、ガーリーだけど、すごいアングラ感ある感じのサブカルみたいな。でもポップみたいな。

(庭山)「GOMES」はパルコが発行していたフリーペーパーで岡崎さんも描いていたんですよね。それも当時お読みになっていたんですね。

(今日)そうですね。「GOMES」が大好きで、毎号発行の日にパルコに取りに行くっていうくらい好きだったんです。

(庭山)そういうフリーペーパーの執筆や編集が今のお仕事に生きている部分はありますか。

(今日)当時D.I.Y.女子みたいなブームがヒロミックス以降10年くらいあって、自分を大手のメディアに載せてもらうために合わせるんじゃなくて、「自分でメディアを作っちゃえばいいんじゃないか」みたいな機運があったんですよね。私も、自分で本を作った方が早いと思って、誰からも文句言われない媒体を勝手に作って載せていたというところですね。

(庭山)この展覧会のイベントでもZINEづくりのワークショップがあるみたいですけど、今、個人店主の新しい本屋さんなどに行くとたくさんZINEがあったりして、またそういう機運が盛り上がっているのかなという感じがしますね。

(今日)今のZINEは割ときれいめに、読みやすいように皆さん努力されているという感じですよね。昔のミニコミって本当に汚くて「汚い方がかっこいい」みたいな感覚があったんです。私はそれが割と好きで、もっとコピー用紙で作りましたみたいなのもいいんじゃないかなと思いますね。

(庭山)今日さんの作品や発言を読んでいると、とても取材を大切にされているんだなということを感じます。例えば『ぱらいそ』では長崎に、『アノネ、』ではアウシュヴィッツにまで行かれたり、それが全然別の象徴的な表現になっていたりするのが面白いなと思うんですけど。

(今日)わりとフィクションを描くということを大事にしていて、別に事実に沿ったことは私自身の表現には必要ないなと思っているんですけど、事実を知った上でアレンジしないと、ただの空想のファンタジーよりもさらに違うところになってしまう。まず最初に、一次資料ありきみたいなところで、できるならば取材をするようにはしてます。フィクションの手前の段階で、ちゃんと必ず現実に向き合って描こうということはありますね。

(庭山)面白いですね。いろんな取材先で出会ったものの中から、何かのエピソードや出会った方のお話が、今日さんの中で眠っているものにカチッと歯車がかみ合って、ひとつのエピソードが作品の中心になっていくわけですね。

(今日)そうですね。だから必ず行くようにはしてますね。宇宙とか無理なところはありますけど(笑)、行ける場所は行こうというふうには思いますね。

レポートは第二回目に続きます!

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