安野光雅のふしぎな絵本展

遊び×芸術×科学 トークイベントレポート2前編

九州大学芸術工学研究院連携企画

「現代においては、過去を考えることが、未来を考えることよりも、より自由な気がする」と題した、アーティストの八木良太さん、城一裕さんによるトークイベントのレポート前編です。シリーズ全体についてはこちらを是非お読みください。(※本文は、本イベントのトークを一部抜粋・編集したものです。)

(アルティアム・笠井)「安野光雅のふしぎな絵本展」とこのトークの関連性なんですけれども、芸術であると同時に、科学へのまなざしというのが非常に特徴的な作家さんで、幅広い学識に裏打ちされた作品を作られています。そのことを出発点に、芸術と科学、遊びなど領域横断的に、今、活躍している方をお招きして、その活動を伺っていくというトークシリーズ企画です。今回お招きした八木良太さんは神奈川県民ホールギャラリーで2014年に開催された個展のタイトルが「サイエンス/フィクション」でした。「ふしぎ」という言葉で切り取ってみても、お二人の創作には、根っこの方で通じるものがあるのかなと思っています。

(城さん)今回は、その「サイエンス/フィクション」の話や、さらに、最近八木さんが東京のギャラリー・無人島プロダクションで開催された個展「メタ考古学」を受けつつ、その解説に書かれていた言葉であり今回の企画名でもある「現代においては、過去を考えることが、未来を考えることよりも、より自由な気がする」について話していきたいと思います。この言葉は、安野さんの初期の作品、僕らが子どもの頃に見ていた絵本をいま、あとがきと共に読み返す、ということに通じるものがあると思っています。
今日は八木さんから作品の紹介をしていただいた後、僕から「車輪の再発明」というプロジェクトのことをお話しします。そして、「phono/graph」という八木さんと他のメンバーと一緒にやっている活動を紹介します。その後は会場の皆さんも交えて、過去と未来を考えていきましょう。

(八木さん)八木良太です。今日は宜しくお願いします。
私は普段、現代美術というフィールドで、主にサウンドやメディアを扱って作品を制作しています。自己紹介がわりに、普段作っている作品のスライドを見せながら紹介していきます。まず、2005年に一番最初に作った作品がこれでした。氷で作ったレコードを制作しました。これはシリコンゴムでレコードの型取りをして、レコードの代わりに水を入れて冷凍庫で凍らせたものを、プレーヤーでかけると、ちゃんと音楽が流れるんですね。

こんな感じで結構クリアに音が流れるんです。これを発見したときにすごくびっくりして。レコードっていうのは、溝をひっかくと音が出るんですね。その音がどこから来るかということがすごく不思議で。その不思議ということをベースにいつも作品を作っている感じです。
次は、カセットテープの球体です。

ノイズみたいな音が鳴っていますが、これは球体に巻いたカセットテープが出している音なんです。プレーヤーって言ってるんですけど、玉を回転させる台を作って、磁気ヘッドというカセットデッキから取り出したヘッドでこすって音を出しています。元々の音を再現するのは極めて難しいです。放っておくと、球の回転する道筋は変わっていくので、始まりも終わりもない。普通はA面、B面があって、直線的に時間が流れていくのに対して、球体にすることでぐちゃぐちゃに混ざる。重なったり、方向も変わったりします。

Animated Clock

Animated Clock

このAnimated Clockは、安野さんのイメージに近いと思っている作品です。フェナキストスコープ、驚き盤とも呼ばれる、アニメーションの原型のようなものです。時計の文字盤を反転させて、スリットから鏡をのぞいてみると、文字盤の数字が回転して、アニメーションに見えるんですね。ただの文字盤に秘められていた動きが可視化されるような作品です。作品の紹介は、こんな感じで。

(城さん)ありがとうございました。次に、僕が今年の春までいたIAMAS(情報科学芸術大学院大学)でおこなっていたプロジェクト「車輪の再発明」を少しご紹介します。

メディア考古学 パーソナルファブリケーション

このプロジェクトは、第3回のゲストでお呼びするクワクボリョウタさんとも一緒にやっていたプロジェクトです。「メディア考古学」と「パーソナル・ファブリケーション」をキーワードとしています。ここが八木さんと共通する、過去を見るというものかなと思っています。
この2冊が各々を代表する書籍なのですが、両方とも読むと色々インスパイアされる本です。まず「メディア考古学」というのは、考古学、すなわち歴史を遡って研究する対象を「メディア」というものに特化させたものです。この10数年、インターネットより具体的にはgoogleのサービスのお陰で、いろんなメディア、例えばビデオや、カセット、プロジェクターなど、の歴史がすごく遡りやすくなってきていて、いろんな知見が明らかになっています。これは、作品を作る側から見ると宝の山のようにも見えます。一方、ファブリケーションとよばれる世界では、3Dプリンタなどの、コンピュータと組み合わせてものを作るツールというのが非常に気軽に扱えるようになった。今までは、工業製品は型を作って、大量に作ってこそコストに見合うものだった。でも、これからはむしろ、小ロットのものをたくさん作る。個々人が必要なものを作っていくという多品種少量生産のほうが理にかなうのではないか。ということが社会的な流れになりつつあります。この作ろうと思えばかなりのモノが作り出せるという状況と、あり得たかもしれないメディアの可能性を示してくれる「メディア考古学」はすごく相性がいいのではないか、と思ったのがプロジェクトの出発点です。
具体的に、学生と一緒にプロジェクトをやってきた中からの成果をいくつか紹介しますね。まずは、ここに実物があるコイルと磁石に分解されてヘッドフォンのような形になっているスピーカー。

学生作品

これはjohnsmithくんという学生の作品なのですが、丸いのがコイルで、この先につながっているステレオのミニジャックをiPhoneなんかにつないで、白い布で覆われた磁石を耳にくっつけてコイルを近づけると音がなるんです。原理としてはコイルに音声信号(電気)が流れることで磁界が変化して磁石が振動する、その振動が耳に伝わることで音として聞こえる、ということで、物理としては当たり前のことが起きているだけなんですけど、体験としては結構意外なんですよね。その他には、クワクボさんを中心に、印刷の技法である網点や写植というものを高輝度のLEDを組み合わせて、別種のプロジェクションの技法を作るということもしています。
これは僕がphono/graphに参加するきっかけにもなったものなんですけど、紙や木、アクリルで作る(予め吹き込まれた音響のない)レコードってのがあります。八木さんの氷のレコードとは、作り方がちょっと違っていて、普通、レコードは音が鳴っている状態を針に伝えて、そこから原盤を作って、その型を取ってという原理でできますが、僕の場合は、音の代わりにAdobeのIllustratorというグラフィックのソフトを使っています。このソフトのジグザグっていう機能を使って、直接波形を絵として描く。描いた絵をペーパーカッターやレーザーカッターという機械に送って、紙や木、アクリルを刻む。そしてレコードプレーヤーにかけると、音がなる。こういう仕組みで作っています。文字通りにはそもそもレコードは「記録」という意味ですよね。でも、このレコードの場合は音が記録されているのではなくて、絵しかないところから音が出るんです。レコードとは言っているけれどレコードではないとも言えるのではないかなあと。で、このようなメディアの別な可能性を実際にものとして作ることって先程お話したような技術的な環境があることですごくやりやすくなってきています。高輝度なLEDだって、せいぜいここ10年くらいのもの。さっきの磁石も1980年代に出てきたネオジムという強力なものです。その意味でレコードも含め、僕らがやっていることは100年前ではできなかっただろうな、と。この、今じゃないと作れない、違う今という、そこに面白さを感じています。

(八木さん)phono/graphっていう活動について補足しておくと、城さん、デザイナーの鈴木大義さん、ニコール・シュミットさん、デザイナー・アーティストユニットのsoftpad、intextの方たちと一緒にやっていて、アーティストの藤本由紀夫さんが発起人です。すごく領域横断的で、アートの人もいれば、デザインの人もいる。城さんみたいに研究者でもある人も。様々な分野の人が入り混じって、みんなでわいわいやって。それこそ、「遊ぶ」感覚に近いです。集まって実験しながらプロジェクトを進めていく。テーマは、音、文字、グラフィックで、その三者の関係性について考えるプロジェクトです。phonographはそもそもエジソンの発明したレコードプレーヤーのことなんです。昨年、レコード自体を作ってしまうという城さんの存在を聞きつけて、じゃあ、この人にはちょっと入ってもらわないとまずいよな、と一番最近入ってもらいました。
先ほどの「車輪の再発明」もそうなんですけどphono/graphも古いものを見つめるという姿勢を大事にしています。最新のテクノロジーももちろん好きなんだけど、「平たく見る」というか。
メディアアートって随分誤解されているような時期があって、今でも誤解され続けているかもしれない。プロジェクターを使って、最新のテクノロジーでインタラクティブなものがメディアアートとイメージされてしまっている。そもそもメディアアートって、言葉自体を考えたときに、メディアそのものについて向き合わないといけないと思うんです。でも、ついついそれを忘れて、テクノロジーにばっかり固執しちゃう。そうはなりたくないと思っています。僕はメディアって、何かを乗せて運ぶ装置のようなものだと捉えています。石に何かメッセージが書いてあれば、石はメディアだと思うし、馬だったり、船だったり、Emailもテレビも手紙も。そういうものを平たく見ることができないと気持ち悪い。phono/graphの活動はそのあたりがうまくバランスがとれていて、エキサイティングなプロジェクトです。
さっき「メディア考古学」というキーワードを城さんが話されていましたが、僕がつい最近開催していた個展のタイトルは「メタ考古学」でした。そこで展示していた作品は、ランダムドットステレオグラムという昔の裸眼立体視のテクノロジーを応用しています。特別なメガネをかけなくても平面が立体に見えるという方法ですね。一昨年に世界遺産を巡って作品を作るという不思議な展覧会に誘われまして、イタリアのValcamonicaという谷にある遺跡に行ったんです。そこには1万年から3000年くらい前の人たちが掘った絵柄がいっぱい残ってるんです。その図像をモチーフに、石にランダムドットステレオグラムのパターンとして貼り付けました。立体視するとさっきの図像が浮かび上がって出てくるという作品です。ランダムドットステレオグラムのパターンが石の模様みたいなんですね。アクリルでカバーしてみると、御影石のピカピカに磨いたような質感になるんです。それを立体視すると、崖に掘られた仏様の絵だったり、アルファベットの元になったものだったりが浮かび上がる。あとは「発掘」ということで、砂を掘って行って音を掘り当てる作品も作りました。どれも考古学的な手法を参照しながら作品を作っていきました。

(城さん)冒頭でも少し触れましたが、その個展「メタ考古学」に寄せられた言葉で、今回のトークのタイトルにもなっている「現代においては、過去を考えることが、未来を考えることよりも、より自由な気がする」、これについてもう少しお話を聞かせてください。

(八木さん)なんで今「考古学」なのかな、って考えていたんです。僕らが小さい頃って、未来のイメージって宇宙船が飛んでて、ロボットがいて、なんとなく明るくて開けたイメージだった。特に宇宙はイメージしやすくて、僕の中では宇宙と自由は、ニアイコールと言って良いくらいなんです。ところが、今、将来を考えるときに、宇宙につながる絵がイメージできないんです。それより古い、考古物とか土器とか、何千年、何万年前の物を目の前にした時の方が、より宇宙が近づいてきた。理屈じゃないんですよね。そういう直感みたいなものを言葉にしています。

(城さん)「車輪の再発明」も、未来に対する違和感が根底にあります。当時のありえたかもしれない未来を今、再現する。子どもの頃を思い返してみると、携帯電話とか全然違うものとして描かれていたりします。今、その携帯電話は作れる。一方、今の技術があればそっち(過去にとっての未来)も実現することができる。それが、今のものと全然違うものになったりする。

(八木さん)昔のことを捨ててしまいすぎているように感じているというか。つい、新しいものに目がいってしまう。でも、最近のドキドキするような発明ってiPhoneが出た時くらい。レコードやカセットには、それよりも大きいドキドキがあった気がするんです。懐古趣味ってわけじゃないんですけど、新しいものも好きだけどそればっかりにならないようにと考えています。

レポートは後編へ続きます!

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