クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―

オープニングイベント 上映会 & 講演会映像作家クエイ兄弟の今昔レポート1

現在、アルティアムでは「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」展を開催中です。展覧会の初日には、関連イベントとして、神奈川県立近代美術館主任学芸員の籾山昌夫さんをお招きして「映像作家クエイ兄弟の今昔」と題した講演会をおこないました。当日の様子をレポートでご紹介します♪

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(籾山昌夫さん)皆さん、こんにちは。神奈川県立近代美術館の籾山です。三菱地所アルティアムで話しをさせていただくのは、11年前、2006年のシュヴァンクマイエル展でのギャラリートーク、2010年のノルシュテイン展での講演会に続いて3回目です。今日は、アルティアムの展覧会オープニング・イベントとして「映像作家クエイ兄弟の今昔」、過去と現在について話をします。この「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」展は、昨年7月に私が勤める神奈川県立近代美術館 葉山で始まりました。

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こちらがクエイ兄弟です。葉山のエントランスで撮影しました。左がスティーヴン、右がティモシーの一卵性双生児です。同じ服装をしていると、なかなか見分けがつきませんが、しばらく話をしていると性格の違いが、よくわかります。右のティモシーが、このポースからもおわかりの通り、やんちゃで芸術家タイプであるのに対して、左のスティーヴンが落ち着いた理論家タイプです。ふたりとも日本で何でもよく食べましたが、ティモシーの方は、サザエのつぼ焼きの蓋を面白がって、ロンドンに持って帰りました。
さて、葉山では、このふたりに、展覧会会場で初めての公開制作をお願いしました。映像は神奈川県の公式サイトで公開しています。クエイ兄弟の最初の長編映画、1995年の『ベンヤメンタ学院、または人々が人生と呼ぶこの夢』に関連するデコールの再制作です。双子の息の合った様子がよくわかります。

神奈川県立近代美術館 葉山でのクエイ兄弟の公開制作 2016年7月23日

神奈川県立近代美術館 葉山でのクエイ兄弟の公開制作 2016年7月23日

クエイ兄弟 デコール《「粉末化した鹿の精液」の匂いを嗅いでください》中央部分 1995年

クエイ兄弟 デコール《「粉末化した鹿の精液」の匂いを嗅いでください》中央部分 1995年

デコールの中央部分は映画に登場しますが、本当に鹿のそれっぽい匂いがします。というのも、鹿の角は、ワシントン条約で日本に輸入できないため、葉山では北海道産の鹿の角を使いました。それをノコギリで頭骨から切り離したときに出た粉と岩塩を混ぜたものが中に盛られています。葉山では僕がその粉を刷毛で集めましたが、かなり生々しい匂いがしました。その時、クエイ兄弟は「粉を残しちゃダメ」と言って、必要な量ではなく、全部かき集めさせました。それは、ある種の儀式のようでした。

◆クエイ兄弟の学生時代

クエイ兄弟は1947年にアメリカ東海岸のペンシルヴァニア州、ニューヨークとワシントンDCのほぼ中間のノーリスタウンという町に生まれました。今年の6月で70歳になります。ふたりは18歳でフィラデルフィア芸術大学に入学し、イラストレーションを勉強しました。最初からアニメーションを勉強したのではありません。ただ、20歳頃から16ミリ・フィルムで切り紙アニメーションを撮っていました。「切り紙アニメーション」とは、人やモノの形に切った紙を少しずつ動かしながら、撮影するアニメーションです。

クエイ兄弟『おとぎ話』1968-69年頃

クエイ兄弟『おとぎ話』1968-69年頃

これが、クエイ兄弟の最も早いアニメーション『おとぎ話』の静止画像です。残念ながら、クエイ兄弟は学生時代の映像作品を、動画としては見せてくれません。
1967年に、クエイ兄弟は通っていたフィラデルフィア芸術大学で開催された「ポーランドのポスター芸術展」を見て、ヨーロッパの芸術文化に強い関心を持つようになります。

「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」展 三菱地所アルティアム

「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」展 三菱地所アルティアム

三菱地所アルティアムの展覧会のこれらのポスター5点は、クエイ兄弟の作品ではありません。それ以外はすべてふたりの作品です。私が勤めている神奈川県立近代美術館は、1950年代から1980年までのポーランドのポスターを約300点収蔵しています。これらはその中から、クエイ兄弟が影響を受けたポスターを、彼ら自身に選んでもらったものです。その内の1点は、ヤン・レニーツァが1964年に描いたアルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』のためのポスターです。レニーツァはポーランドのポスター・デザイナーであると同時に、『迷宮』などの作品で知られるアニメーション作家でもあります。クエイ兄弟は1969年に、フィラデルフィア芸術大学を卒業して、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに進学します。このロンドンの大学院でも、クエイ兄弟は当初、イラストレーション学科で勉強していました。ただ、この学校には映画テレビ学科があって、その機材を使って、彼らはアニメーションを作るようになります。実際には、学科を移っているようです。

クエイ兄弟『宙返り』1971年

クエイ兄弟『宙返り』1971年

これはクエイ兄弟が1971年に作ったアニメーション『宙返り』の静止画像です。これも、平面的な切り紙アニメーションで、まだ人形アニメーションではありません。しかし、映画テレビ学科で、キース・グリフィスと知り合ったことは重要で、約10年後にクエイ兄弟とグリフィスはロンドンに共同でスタジオを設立することになります。イギリス人キース・グリフィスも1947年生まれ、クエイ兄弟と同い年です。今では、世界的な映画プロデューサー、映画監督です。クエイ兄弟の多くの作品のプロデューサーであり、チェコのヤン・シュヴァンクマイエル監督の『オテサーネク』(2000年)やカンヌ国際映画祭でパルム・ドールをとったタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『ブンミおじさんの森』(2010年)などのプロデューサーです。
さて、1972年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業して、フィラデルフィアに戻ったクエイ兄弟は、雑誌の挿絵や表紙を描いて生活していました。葉山では、クエイ兄弟がデザインした本の表紙などを相当数、展示しました。ただし、そのすべてが出版されたわけではありません。

クエイ兄弟 架空の書籍の表紙デザイン《MISHIMA》1971年頃

クエイ兄弟 架空の書籍の表紙デザイン《MISHIMA》1971年頃 Courtesy of Museum of Modern Art,New York

ひとつ例を挙げるならば、この《MISHIMA》は、実際の本ではなく、自分たちが読んだものに対して、クエイ兄弟が勝手に考えた表紙のデザインです。三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をしたのは、この前の年、1970年です。クエイ兄弟にとっても、衝撃的な事件であったのでしょう。また、クエイ兄弟は、自分たちが読んだ戯曲に基づいて、架空の演劇公演のポスターも作っています。

クエイ兄弟 架空の演劇のポスター原画『カスパー』(ペーター・ハントケの1967年の戯曲)1980年頃

クエイ兄弟 架空の演劇のポスター原画『カスパー』(ペーター・ハントケの1967年の戯曲)1980年頃 Courtesy of Museum of Modern Art,New York

これは少し時期が下りますが、ペーター・ハントケの戯曲に対して、実際には存在しない演劇公演のポスターをデザインしたものです。

◆イラストレーションから映像作品へ

クエイ兄弟《憎悪を行使する恋人》1975年頃

クエイ兄弟《憎悪を行使する恋人》1975年頃 Courtesy of Museum of Modern Art,New York

一方で、クエイ兄弟は、1975年頃に「黒の素描」と呼ばれる鉛筆のドローイングを描いています。これはそのひとつ、《憎悪を行使する恋人》です。ここでは鉛筆を何度も往復させて、背景を真っ黒に塗りつぶしてしています。この絵は、今から4年前の2013年にポーランドの作曲家ヴィトルト・ルトスワフスキの生誕100年を記念して作られた映像作品に出てきます。

クエイ兄弟『ヴィトルト・ルトスワフスキ 弦楽四重奏曲』2013年

クエイ兄弟『ヴィトルト・ルトスワフスキ 弦楽四重奏曲』2013年

この映像作品では、ルトスワフスキが1964年に作曲した弦楽四重奏曲に、クエイ兄弟が光と影の効果を加えながらアニメーションと実写を組み合わせています。これもペーター・ハントケの1992年の戯曲『私たちがたがいに何も知らなかったとき』をイメージしています。このように、クエイ兄弟の映像作品には、古い作品が頻繁に再利用され、今と昔がしばしば混じり合います。また、クエイ兄弟の作品には実写が多く、必ずしもアニメーション作家という範疇では収まりきれません。
さて、クエイ兄弟が本格的にアニメーションに取り組むのは、先ほどのキース・グリフィスに再会して、3人がロンドンにコーニンク・スタジオという拠点を構えた1979年以降です。スタジオの名称は、クエイ兄弟とグリフィスがアントワープで飲んだビール「デ・コーニンク」にちなんで名付けられました。クエイ兄弟がプロの映像作家として作った最初のアニメーションは、英国映画協会の依頼による1979年の『人工の夜景―欲望果てしなき者ども』です。これは、人形アニメーションですが、「黒の素描」の《ラボネキュイエール城》が用いられています。

クエイ兄弟『人工の夜景―欲望果てしなき者ども』1979年

クエイ兄弟『人工の夜景―欲望果てしなき者ども』1979年

クエイ兄弟《ラボネキュイエール城》1975年頃

クエイ兄弟《ラボネキュイエール城》1975年頃 Courtesy of Museum of Modern Art,New York

◆ヤン・シュヴァンクマイエルからの影響

この5年後の1984年の『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』は、キース・グリフィスが監督したチャンネル4のためのドキュメンタリー番組のアニメーション部分をクエイ兄弟が担当し、それをまとめたものです。『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』は、アメリカ人の少年が、チェコのプラハに住んでいるアニメーション作家を訪ねて、教えを受けるという内容です。実際にクエイ兄弟とキース・グリフィスは、制作の前年、1983年にプラハのシュヴァンクマイエルのスタジオを訪問しています。

クエイ兄弟 デコール《プラハの錬金術師》1984年

クエイ兄弟 デコール《プラハの錬金術師》1984年

アルティアムの会場に入ると、この映像作品のデコール《プラハの錬金術師》があります。「デコール」というのは、映像作品で実際に使った人形などと背景の舞台装置を組み合わせたボックス・アートのことです。
細かな縦の線が特徴的な空間の中央に、シュヴァンクマイエルがいます。頭も胴体が本、両腕はコンパスになっています。その右にいる少年はクエイ兄弟を表しています。テーブルの上にあるのは、少年の頭からシュヴァンクマイエルが引き出したものです。デコールでは、櫛と髪の毛、緑色の自動車、そしてピストルです。映像作品では、赤いオートバイが出てきます。いずれにしても、これらはクエイ兄弟の母国、アメリカを象徴しています。
手前のプレートには、「シュヴァンクマイエルの部屋、プラハの映画錬金術師」と記されています。

デコール《プラハの錬金術師》部分

デコール《プラハの錬金術師》部分

机の下には本が並んでいて、左には1974年に刊行された、ドイツの小説家フィヒテの『思春期についての試み』があり、その右には、順にルドルフ2世、ロートレアルモン、カフカ、ネズヴァル、ポー、カレル・タイゲ、ルイス・キャロル、ブルトン、アルチンボルドという、プラハやシュルレアリスムに関係する詩人や芸術家の書籍が並んでいます。デコールの右壁にはアルチンボルドの絵による「トリック・アート」と、その手前にはプラハ城のペーパー模型があります。

デコール《プラハの錬金術師》部分(背景右の窓)

デコール《プラハの錬金術師》部分(背景右の窓)

背景右の窓から覗くネオンサイン「スタロプロメン」は1869年創業のプラハのビール醸造所です。左の窓から覗く赤いネオンサイン「ルデー・プラーヴォ(赤い真実)」は、チェコスロヴァキア共産党の機関紙のことで、今でも民間の新聞社によって継続されています。このように、クエイ兄弟のデコールには、細部にこだわりがあります。

◆「24分の1秒の授業」とは

次の場面では、シュヴァンクマイエルが少年にアニメーションの作り方を伝授します。章タイトルは「子どもは24分の1秒の授業を受ける」です。シュヴァンクマイエルやクエイ兄弟の映像作品は、「ストップモーション」あるいは「コマ撮りアニメーション」と呼ばれます。切り紙アニメーションも人形アニメーションも、コマ撮りアニメーションの一種です。切った紙を動かして撮影すれば「切り紙アニメーション」、人形を動かせば、「人形アニメーション」または「パペット・アニメーション」と言います。ところで、このコマ撮りアニメーションでは、切り紙や人形などを少しずつ動かして、彼らの場合は、1秒間に24コマ、24枚の写真を撮って、それをパラパラ漫画のようにして映像を動かします。つまり、1コマが24分の1秒ですから、たった1分の映像を作るのに、1440回も人形などを動かして、カメラのシャッターを切っています。今はデジタルカメラがありますから、撮った映像をすぐに確認できますが、当時はデジタルカメラがありません。クエイ兄弟がデジタルカメラを使い始めるのは、2005年頃です。人形などをちょっとずつ動かして、24分の1秒ずつ撮影する、こうした気の遠くなるような作業によって、彼らは映像作品を作っていました。「24分の1秒の授業」とはこのことです。最後の場面は、シュヴァンクマイエルが少年の頭の中に、真実を見る目を入れ、知識としての本を挿し込みます。少年は感謝して帰ります。
『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』では、シュヴァンクマイエルの1967年の映像作品『自然の歴史』や1968年の『部屋』の音楽が使われています。それらはズデニェク・リシュカによるものです。そして、このクエイ兄弟の映像作品『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』は、日本にシュヴァンクマイエルその人を紹介した点でも重要です。

レポートは第二回目に続きます!

【展覧会ページ】
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