クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―

オープニングイベント 上映会 & 講演会映像作家クエイ兄弟の今昔レポート2

前回に続いて「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」展の初日に行われた講演会のレポートをお届けします。クエイ兄弟の映像作品に込められた思い、舞台美術や商業的な仕事など多岐にわたる彼らの仕事を紹介していきます。

◆映像作品に込められたクエイ兄弟の思い

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年

(籾山昌夫さん)次に、『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』の翌年、1985年に作られた映像作品『ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、ハナー・ルウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』を採り上げます。長いタイトルです。今回の展覧会の前まで、日本では『ギルガメッシュ/小さなほうき』として紹介されていました。しかし、これは省略すると映像作品に込められた意味が解からなくなってしまいます。作品の冒頭に現れる数字は、クエイ兄弟のパスポート番号で、ふたりは1983年頃に、パスポートの期限が切れたために不法滞在者となり、移民局に呼び出されて、国外退去を命じられました。移民局が入っていたのが、ロンドン郊外にある「ルナー・ハウスLunar House」という巨大なビルです。タイトルの中の「ハナー・ルウスHunar Louse」というのは、この先頭の1文字を入れ替えたものです。この物語は宙に浮いた箱のような場所で展開し、周囲は真っ暗な空間です。おそらく、これはイギリスという島国を表しています。この映像作品の後半には、主人公がコオロギをその真っ暗な空間に捨てる場面がありますが、それは単に無邪気な子どもがコオロギを捨てるというのではない、別の意味があります。

クエイ兄弟『ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、ハナー・ルウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』1985年

クエイ兄弟『ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、ハナー・ルウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』1985年

コオロギを捨てるこの場面、背景に「Pepek」という文字があります。これが重要です。このアングルは意図的に撮られているのです。そして、「名つけ難い小さなほうき」とは、三輪車に乗ったこの奇妙な主人公です。ちなみに、映像では白目ですが、デコールでは黒目があります。この人物は、一昨年、亡くなったイギリスのロック・スター、デヴィッド・ボウイに似ているかもしれません。クエイ兄弟と同じ1947年生まれのボウイは、クエイ兄弟にとって、成功したイギリス人芸術家の象徴であったでしょう。

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年 部分

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年 部分

この映像作品では、コオロギの美しい鳴き声に誘われて飛んできたギルガメシュ叙事詩のエンキドウ、おそらくクエイ兄弟自身が、性的な誘いに乗って罠にかかり、おそらく「イギリス」を暗示するギルガメッシュから袋叩きにあう。現実では、クエイ兄弟がロンドンでアニメーション制作を始めたものの、およそ5年後に国外退去を命じる大英帝国は、「コオロギも用が済めば自然に返すことなく、捨ててしまう、そうした冷酷な場所だ」といったところでしょうか。

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年 部分

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年 部分

デコールの背景には「優雅な」カリグラフィで「ペペクPepek」と書かれています。「ペペク」とはチェコ語で「ポパイ」のことです。この文字の優雅さとは対照的に、第二次世界大戦中、ポパイはアメリカの敵を叩きのめす存在でした。

戦時ポスター《日本ナチスを叩きのめそう!今ここで戦争貯蓄切手を買おう!25セント切手1枚で弾丸12発》

戦時ポスター《日本ナチスを叩きのめそう!今ここで戦争貯蓄切手を買おう!25セント切手1枚で弾丸12発》

クエイ兄弟の作品で、「Pepek」という文字は、おそらく、国家の暴力を表しているのだと思います。彼らは国家の暴力を嫌っていました。クエイ兄弟がイギリスに留学した1969年までに、アメリカが参戦したベトナム戦争は激化して、若者を中心に反戦、厭戦気分が広がりました。1969年は、ヒッピー文化のひとつの頂点とされるウッドストック・フェスティバルが開かれた年です。クエイ兄弟は徴兵を避ける意味もあって、イギリスに留学しました。それから10年後にロンドンにスタジオを構えて、英国映画協会を始め、BBCやチャンネル4といったイギリスの放送局のために映像作品を作ってきたにも関わらず、国外に叩き出されそうになる。幸いにも、ある人物の取り成しで、国外退去は免れましたが、この事件が、クエイ兄弟にどれほどの衝撃を与えたことでしょう。

◆舞台デザインへの進出

『ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、ハナー・ルウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』は、もともとアニメーションと実写を組み合わせた作品として企画されましたが、資金不足から、アニメーション部分だけが完成されました。一方、俳優を使って劇場で撮影された実写部分には、バレエ振付師のキム・ブランドストラップが参加してました。人形を動かすことと、人間に振付すること、クエイ兄弟はそこに共通点を見出したのだと思います。ブランドストラップは、デンマークのコペンハーゲン大学で映画とメディアの研究をしましたから、クエイ兄弟の創作に理解があったのだと思います。ブランドストラップは、この3年後の1988年に、自らのバレエ公演『ディブック』の舞台デザインをクエイ兄弟に依頼します。それをきっかけに、クエイ兄弟はバレエ、オペラ、演劇の舞台デザインの分野に進出します。

オペラ『三つのオレンジへの恋』1988年

オペラ『三つのオレンジへの恋』1988年

残念ながら『ディブック』の舞台そのものを写した映像はありません。これは『ディブック』と同じ、1988年にクエイ兄弟が舞台デザインを手掛けた、リチャード・ジョーンズ演出によるプロコフィエフのオペラ『三つのオレンジへの恋』です。この布の襞や歪んだ窓枠、こうしたところに、クエイ兄弟らしさが認められます。

演劇『耳に蚤』1989年

演劇『耳に蚤』1989年

同じくジョーンズの演出による、ジョルジュ・フェドーの演劇『耳に蚤』の1989年の舞台デザインも、クエイ兄弟によるものです。この細かな縦の線は『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』にも見ることができます。

オペラ『マゼーパ』1991年

オペラ『マゼーパ』1991年

これもジョーンズの演出によるチャイコフスキーのオペラ『マゼーパ』の1991年の舞台デザインです。路面電車もクエイ兄弟が多用するモチーフです。

オペラ『世界の劇場』2016年

オペラ『世界の劇場』2016年

これは、昨年に初演されたオランダの作曲家ルイ・アンドリーセンの新作オペラ『世界の劇場』です。クエイ兄弟が舞台デザインと映像を提供しています。

ところで、ブランドストラップの振付によるバレエを、クエイ兄弟が監督した2000年の映像『砂男』では、人間が人形を演じます。ここに、クエイ兄弟が見出した「人形を動かすことと、人間に振付すること」の共通点を認めることができるでしょう。

クエイ兄弟『砂男』2000年

クエイ兄弟『砂男』2000年

◆クエイ兄弟の映像作品の特徴

クエイ兄弟の映像作品の特徴を確認しましょう。まずは、モノに近づいて撮影するクローズアップです。クエイ兄弟は、しばしば接写レンズを使って、対象を極端に拡大して撮影します。次に、人形などの不自然に速い動きです。本来であれば、アニメーションでは本物らしい動作を追求します。しかし、クエイ兄弟の場合は、あえて現実にはないような動きを映像に採り入れています。そして、音楽と映像との一致です。普通、映画やテレビ・ドラマでは、映像が準備されて、それに音楽がバックミュージックとしてつけられます。しかし、クエイ兄弟の場合は、音楽に合わせて映像を修正するため、映像と音楽がシンクロしています。これらの特徴を意識しながら、クエイ兄弟の映像作品を見ると面白いと思います。

クエイ兄弟 デコール《ブルーノ・シュルツ『ストリート・オブ・クロコダイル』》1986年

クエイ兄弟 デコール《ブルーノ・シュルツ『ストリート・オブ・クロコダイル』》1986年

「ストリート・オブ・クロコダイル」のデコールを見てみましょう。左上の部分と右下の部分を見ていきます。まず、左上にはシンバルを叩くサルの人形がありますが、映像で見た時とは違っていて、胴体から下が骨組みだけになっています。映像では、このシンバルが不自然なほど早く叩かれていました。
そして、デコールの右下にはネジが通り抜けた時計が組み込まれています。この時計の裏は機械仕掛けではなく、「肉」が詰まっていて、「非日常的」なものを表していました。そして、中央部分は、この映像作品のラストシーンです。このように「デコール」というのは、映像そのものの場面を再現したものではなく、異なる場面、時間を組み合わせて「映像の世界観」を表す独立した作品です。美術の専門用語で言えば、絵画の「異時同図」、異なる時間が同一の図の中にある状態です。
一方、クローズアップは『不在』で多用されています。

クエイ兄弟『不在』2000年

クエイ兄弟『不在』2000年

◆ミュージック・ヴィデオやCMの仕事について

さて、1986年の『ストリート・オブ・クロコダイル』がカンヌ国際映画祭の短編部門にノミネートされ、有名になったクエイ兄弟には、ミュージック・ヴィデオやテレビ・コマーシャルの依頼が来るようになります。クエイ兄弟はこれまでに、ミュージック・ヴィデオやテレビ・コマーシャルといった商業映像を、約40本制作しています。一方、それ以外の自分たちのオリジナルな映像作品は、約30本です。ここで言う「商業映像」というのは、映像を作る前に、音楽や商品があって、それらを宣伝する目的で作られるものです。クエイ兄弟は、こうした商業映像を作って得たお金で、自分たちのオリジナルな映像作品を作っています。
1990年にデビューしたアメリカの実験的ロック・バンド「His Name Is Alive(ヒズ・ネイム・イズ・アライヴ)」のミュージック・ヴィデオでは、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を参考にした映像と、音楽がよくシンクロしています。

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葉山の第3展示室には、このミュージック・ヴィデオに登場する女の子とウサギの人形を展示していました。クエイ兄弟が人形を調整し、ティモシーが靴下を履かせています。葉山では、ピンポン玉の代わりにウズラの卵を並べたいとクエイ兄弟が言い出して、僕が近くのスーパーで1パック10個入りを買ってきました。 

クエイ兄弟 パペット《ウサギ》1992年

クエイ兄弟 パペット《ウサギ》1992年

クエイ兄弟はコマーシャル映像も手掛けています。例えば、1996年にはのど飴「ロケッツ」のコマーシャル、1997年には除草剤のラウンドアップのコマーシャルも作っています。テレビ・コマーシャルは予算があるので、アニメーションのクオリティが高いと思います。クエイ兄弟は、1本のコマーシャルを制作すると、半年は自分たちの作品を作ることができたと言っていました。

◆長編映画について

最後に、クエイ兄弟の長編映画に触れておきます。彼らは、これまでに長編映画を2本作っています。1995年の『ベンヤメンタ学院、または人々が人生と呼ぶこの夢』と、10年後の2005年に作られた『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』です。ここで、『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』のデコールを見てみましょう。

クエイ兄弟 デコール《樵》2005年 部分

クエイ兄弟 デコール《樵》2005年 部分

樵の人形は、まだ斧を振り下ろしていないのに、すでに膝から血が噴き出ています。これも、デコールの特徴である、異なる時間を組み合わせた「異時同図」になっています。それにしても、なかなかの迫力です。この人形は、1988年の『スティル・ナハト―寸劇』、1990年の『櫛』にも登場する、クエイ兄弟の映像作品でひとつのキャラクターになっています。

クエイ兄弟『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』2005年

クエイ兄弟『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』2005年

アルノルト・ベックリン《死の島》1883年

アルノルト・ベックリン《死の島》1883年

『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』のラストシーンは、19世紀末の絵画に基づいています。スイスの画家アルノルト・ベックリンが繰り返し描いた《死の島》です。ベックリンは1880年から1886年まで5点の油彩画を描いていますが、ご覧いただいているのは3枚目、1883年の《死の島》です。アドルフ・ヒトラーの旧蔵品で、今はベルリンの旧国立美術館にあります。このように、アメリカ生まれのクエイ兄弟は、ヨーロッパの文化伝統に基づきながら、1979年以降、現在までロンドンで製作を続けています。

ロンドンのクエイ兄弟のアトリエ 2015年講演者撮影

ロンドンのクエイ兄弟のアトリエ 2015年講演者撮影

これはロンドンにあるクエイ兄弟のアトリエの打ち合せスペースです。後ろには実にたくさんの書籍が並べられていて、その間の小さな電球が光る、ごちゃごちゃとした、とても不思議な空間です。今にも、何かが動き出しそうな雰囲気です。こうした空間から生み出させるクエイ兄弟の不思議な世界を、後は会場で楽しんでいただきたいと思います。

講演会後の質疑応答でも多くの方から質問があり、クエイ兄弟の作品への関心の高さが伺われました。作品の解説をもとに映像作品や会場内に展示している人形を見ると、改めてその不思議な魅力に気づかされることでしょう。「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」は5月7日(日)まで開催しております。是非、この機会にミステリアスな美の世界を堪能頂ければ幸いです。

【展覧会ページ】
クエイ兄弟 ―ファントム・ミュージアム―

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