シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン展

会場レポート

本展も会期終了まで残り10日を切りました。開幕から一ヵ月以上過ぎましたが、日々たくさんの方にご来場いただいております。本日は会場内と、昨日来場者一万人を達成した際のセレモニーの様子をお届けします!
本展は1~3章に分かれています。章ごとに簡単にご紹介します♪

1 章「心をとらえるシンプル」
ブルーナさんが家業の出版社でデザイナーとして働いていた頃(1955~1975年)につくられたペーパーバックやポスター作品を中心に展示しています。ペーパーバックの表紙には「ブラック・ベア」や「シャドー」がいろいろな姿で登場しています。約20年間で2,000冊以上(!)もの表紙のデザインを手がけたそうです。
DSC00373
DSC00379
DSC00382

2 章「 想像力をひきだすシンプル」
1953年刊行の最初の絵本『りんごぼうや』以来、2011年の『うさこちゃんとふがこちゃん』まで120冊以上の絵本をつくってきたブルーナさん。その中から貴重な原画を含めた絵本作品をご覧いただけます。
ブルーナさんの絵本は全て、「ブルーナ・カラー」と呼ばれる6色のみでつくられています。赤色は幸せ、喜び、黄色は明るさや暖かさ、緑色は安心など、感情をそれぞれの色に置き換えて表現しています。
DSC00385
ブルーナさんが制作をする様子が映像でもご覧いただけます。ゆっくりとフリーハンドで描かれている様子に驚かれるのではないでしょうか。ぜひ会場でご覧くださいね。
DSC00402
2章の最後には、2011年につくられたブルーナさんの未発表絵本『クマくんがしんだ』(仮題)も展示しています。


3 章「 シンプルの明日」
日本のデザイン界で活躍する4組のクリエーターが、ブルーナ作品にインスピレーションを受けて、作品を発表しています。KIGI、groovisions、中村至男、ミントデザインズによる作品をお楽しみください。
DSC00341
DSC00393
DSC00368
3章のみ、撮影可能です!3章の入り口にある注意事項をお守りのうえ、撮影くださいね。

最後になりましたが、昨日、本展の来場者1万人達成を記念し、セレモニーをおこないました。記念すべき一万人目のお客様は、嘉麻市からお越しの方でした♪図録と展覧会グッズを記念品として、お渡ししました!
DSC01088
DSC01096

会期は7月2日(日)まで!「シンプルの正体」をテーマに、ブルーナさんの作品をさまざまな着眼点からお楽しみいただける展示となっています。県内外から、デザイン科をはじめとする学生さんのご入場も相次いでいます。学生さんにとっても必見の展覧会ですよ♪たくさんの方のご来場をお待ちしております!

Illustrations Dick Bruna © copyright Mercis bv,1953-2017 www.miffiy.com
BLACK BEAR © copyright: Dick Bruna  © Dick Bruna

【展覧会ページ】
シンプルの正体
ディック・ブルーナのデザイン展

2017/5/13 − 7/2

シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン展

菊地敦己×中村至男 オープニングトーク レポート2

本展にそれぞれ別の形で関わられているお二人のデザイナー、菊地敦己さんと中村至男さんによるオープニングトークのレポート2回目をお届けします。1回目はこちらからお読みください。
(以下は、トークを一部抜粋・編集したものです。)


(司会)
次は、中村さんの展示作品についてお話を伺おうかと。

(中村)展覧会全体の紹介スライド進めてなかったけど、いいの?(笑)

(菊地)それでは、早解り解説をしましょう(笑)。

(中村)お願いします(笑)。

(菊地)まず、グラフィックデザインって一体なんだろうと。例えば絵画とどう違うか。単純な説明をすると、絵画はひとつだけのものをつくる。それに対して、グラフィックデザインは同時に同じものがたくさん存在するというのが前提となります。要するに版をつくるということです。設計図や版があると複製が可能になります。そうすると、色と形が分離して考えられます。絵の具で塗られた形は、ものとしての絵の具と形というのが一体のものとして存在していますが、グラフィックデザインの場合は、形を色の組み換えることができるんです。版画の版を考えてもらえばいいと思うんですけど、同じ版に違う色を塗って刷ることができますよね。だから、色と形が別々に計画されるんです。それが第1章の中で色や線、くり返しの話として、それぞれの特徴に分けて展示されています。
第2章はおもに絵本を紹介しています。絵本というのは平面の絵の連続性です。絵が連続していくことで、時間軸ができていきます。だから主に時間の話なんですよね。ピクトグラムなんかもここで展示されていますが、これは早いスピードで意味を認識するための形です。ブルーナはそういう端的な形を使って絵本をつくっています。瞬間的にそのものが何であるかを認識できる、記号性の高い形を連続させて、時間軸のある物語を展開させています。
そういう基本的なグラフィックデザインの方法を軸にして、ブルーナの仕事が配置されていて、デザインというものがどうやって出来ているのか、暗に伝われば良いなという展示構成です。

(司会)ブルーナさんのアプローチは、デザインの教科書のようだとおっしゃる方もいらっしゃるくらい、きちっとやるべきプロセスを経ていたり、工夫されるべき点がそれぞれにちゃんとなされています。とてもブルーナさん一人の作品とは思えない、いろんな引き出しを持って取り組まれているのが分かります。多様な表現を、千本ノックのようにいろんな実験をされているので見ていただければと思います。

(中村)僕は1章の装丁コーナーを一番楽しく拝見しました。ブルーナさんって好きに描いているようで、ちゃんとテーマを持って、苦しんでいる号もあるんだろうなと思いながら見ました。本のお題とのすり合わせをずっと行ってきた流れも読み取れて。もちろん時代も国も全然違うんですけど、何かつくる時の機微があったんだろうなと、同業者の目線で見て楽しかったです。

DSC00375

1章 おしゃべりな色 ブルーナさんの装丁を大小様々な大きさで展示

 

(司会)多い時は年間に150冊くらいの装丁を手がけたそうです。デザイナーとして次々装丁の仕事がくる環境というのは、同じ職業としてどんなふうに想像されますか。

(中村)どうかな。まず時代も違うけど、家業でもあった。

(菊地)自分ちだと、いわゆる受注仕事とはまた違いますからね。装丁だけであれば、150冊はそんな多くないと思うけど(笑)

(司会)多くないですか(笑)。

(中村)「この時の号は、売れなかったじゃないか!」って怒られたりしたのかな?(笑)好き勝手やっていいわけでもないでしょうし。やっぱり売らなきゃというのも頭の中には絶対あったと思いますし、そこでも工夫されてたでしょうね。実際どの装丁が売れた売れなかったとか知りたい。「反復」などシリーズを作って繰り返して出していくというのは、シリーズを続けていく中で見つけた手法だとも思います。

(司会)シリーズごとにテーマ設定や色使いなど、ブルーナさんの中で自分の規則を作りながら取り組まれていた様子が感じられますよね。

(中村)自分でルールを作って、それにキツく縛られつつ、デザインするって楽しいですよね。

(司会)菊地さんは、ブルーナさんが、キャラクター性あるものを繰り返し使う技術が優れているとご指摘されていましたよね。

(菊地)それはミッフィー以降の仕事ではっきり表れますね。初めの頃のミッフィーシリーズは、まだ一つ一つの造形が汎用的ではなく、内容に対しての応え方をしています。後期になればなるほど、絵柄自体はかなり汎用性が高まって、個別の表情は薄くなっていく。だから「絵」が好きな人は、初期のミッフィーが好きっていう人が圧倒的に多いですよね。

(司会)特に『ちいさなうさこちゃん』『ゆきのひのうさこちゃん』など初期の4冊でしょうか。

(中村)歪んでたり、ひしゃげてたり、楽しいですよね。

(菊地)絵の魅力でいうと圧倒的に初期の方が僕も良いなと思っています。ただ、ミッフィーというシムテムと考えると後期の方が正しいですね。

 

***

 

(司会)1、2章でシンプルの魅力を味わっていただいたあと、4組の作家にブルーナさんのシンプルを受けて、作品を新たに創作していただくというコーナーです。中村さんから今回の作品についてご説明いただけますか。

DSC00363

中村さんの作品「#∩∩」

(中村)このお話をいただいた時、ブルーナさんがまだご存命でした。ひょっとしたら僕のを見てくれるかも!という期待をもって考えたものなんです。これはミッフィーだから出来るコミュニケーションです。必ずミッフィーが一枚のどこかにいるのですが、どこまで見えたらミッフィーを感じるか、現代の自分のトーンで、試しました。全く描かなくても存在を感じるようなものも、もう1~2枚作ってみたいなと、本当はまだいろいろチャレンジしたかったですね。

DSC00235

(菊地)ミッフィーを有名人という前提で扱ってますよね。

(司会)耳の形の一部だったとしても、ミッフィーという誰もが知ってるキャラクターだからこそ、成立する。

 (中村)本当は僕も尖ってる耳が好きなんですよね。

 (司会)初期のミッフィーですね。

 (中村)でもこの考え方だとやっぱり完成形の丸い耳が正しいだろうということで。

 (司会)中村さんがタイトルにつけてくださっていた「#∩∩」。

 (中村)これ、なんて読むんですかね?(笑)。

 (司会)「U」の形を逆さまにした文字を二つ並べることでミッフィーの耳をイメージさせるくらい、形が浸透しているからこそできる遊びですよね。

 (菊地)ちょっと聞いても良いですか?至男さん、最近妙にマットな色調というか、グレイッシュな、あまりコントラストが強くない色を使っていますよね。色に対して何かありますか。

 (中村)うーん。今言われて気がついた(笑)。なぜ段々グレーになってきてるんだろう。インスタグラムのハッシュタグで「#∩∩」で入れたらこれが出てくるという仮設定もありましたので、その時に、もしかしたら写真的な空気を感じた方が良いと考えたのかな。そういうパキッとつく感じじゃなくて、空気がある感じなのかな。

 (司会)モニター越しに見る、みたいな気分があったりしますか。

 (菊地)結構グレイッシュでしかもトーンがあるんですよね。

 (中村)どっちが良い?

 (菊地)いやいや(笑)。トーンがあるというのは要するに、淡いグレーと濃いグレーとか階調違いがある。そうすると画の中に光を持ち込むということになる。微妙な対比なんだけど、そういうものがだんだん入ってきたなと思って見てたんですよ。昔はもっと幾何学的なラインで、パースがなかったり、陰影がなかったりしたんだけど。最近は透視図法が入ってきて、しかもトーンも入ってると思って。

 (中村)まだまだ成長中です(笑)。

 (菊地)画面の構成でいうと、割とどこでも切り取れる広い情景があって、写真のように切り取ってきたみたいな、ある種の便宜性に見えるのが面白いなと思いました。一枚の絵として定着させたわけじゃなく、瞬間的にトリミングしたような感じが。

 (中村)切り取り癖は、職業柄あるのかな。つい、やっちゃいますね。

 (司会)温度が低い感じもあったり、少し距離を感じるとか、そういうのも色のトーンで感じるところはありますよね。

 

***

 

(司会)今回、『クマくんがしんだ』という絵本を展示しています。これは、ブルーナさんが2017年2月に亡くなられたあと、4月に関係者の方に配られました。(※市販はされておりません。)ブルーナさんがこれを制作したのは2011年で、ブラック・ベアシリーズのポスターに使用したイラストに、お話がついています。通常のブルーナさんの絵本だと、サイズが15.5×15.5cmですが、この絵本は22cm角です。お話自体も少し不思議な感じがあります。それをご覧になってお二人はどんな印象を受けましたか。

 (菊地)これは刊行目的でつくられたものじゃないですかね。

 (司会)つくられた2011年の段階では、今発表するとご覧になる方の受け取りも様々なので、良い時期が来たら発表しましょうと、保留されていたとお伺いしています。

 (中村)つくった時は完全に創作としてつくったということですか?

 (菊地)遺作のつもりでつくってるように見えますね。

 (司会)その想いはあったかもしれませんね。

 (菊地)僕は1ページ目は好きですよ。「クマくんが しんだ、ぼくは しんぶんで よんだんだ」っていう言葉がいいなぁ。1ページと最後のページはとても好きだった。
中身は、ブラック・ベアの既存の作品のカットアップでページがつくられていて、それに文章が添えられています。ブラック・ベアの回顧集的な意味合いが強い。やっぱり遺作として、自分のこれまでの作品をどう扱うか考えられていたように感じますね。

 (司会)絵本の形をしてるけど、単に絵本ということでもない。何か不思議な存在です。

 (菊地)ブラック・ベアがぴったりだなって思ったんでしょうね。その気持ちなんとなく分かります。

 (司会)ミッフィーではなくて。

 (菊地)たくさん作品をつくってきて、最期に何をつくろうかなとなった時に、やっぱりブラック・ベアを選んだのかって。ことも向け絵本っていうよりは大人も含めたすべての読者に向けてという気持ちもあったんじゃないかと。

 (中村)いまのお話を聞いて、これを遺作として自覚的につくるっていうのはすごいなって。引退されたというか、アトリエに通わなくなってからつくられたもの?

 (司会)2011年の何月に作られたのか具体的には分からないですが、絵本シリーズの最後の作品が2011年ですので、それと同じ年ですね。

 (菊地)生前に自分でお墓買ったり、遺影用意したりするのと近いのかな。準備万端な人だなぁと思って感心しました。ディック・ブルーナなりの仕事の終わらせ方がこういうやり方だったのかなと。なんというか、整頓された美しさがあるなと思いました。

 (司会)これまでブラック・ベアの設定は、あまり説明されてこなかった。そのような中で、『クマくんがしんだ』では、イラストに言葉を添えているので、ブラック・ベアというキャラクターがすごく生き生きして見えてきます。絵本を見ると、そういう楽しみ方もあるなぁ思います。とても素敵な言葉が付いているので、ぜひ会場でじっくりご覧いただければと思っております。

 

デザイナーならではのブルーナ作品の捉え方や展覧会を構成してくプロセスなど、興味深く貴重なお話を菊地さんと中村さんに楽しく繰り広げていただきました。今回のトーク内容をふまえ、あらためて展示をご覧いただくと、新たな発見があるのではないでしょうか。「シンプルの正体 デォック・ブルーナのデザイン」展は、7月2日(日)まで開催しております。ディック・ブルーナさんの魅力がたくさん詰まった展覧会に、ぜひ足をお運びください!

【展覧会ページ】
シンプルの正体
ディック・ブルーナのデザイン展

2017/5/13 − 7/2

シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン展

菊地敦己×中村至男 オープニングトーク レポート1

5月14日(日)にグラフィックデザイナーであり、アートディレクターでもある菊地敦己さんと中村至男さんをお招きし、トークイベントを開催いたしました。司会は、本展の企画プロデューサーに務めていただきました。デザイナーとしての視点を通して見えるブルーナ作品の魅力や展覧会への想いをお話いただきました。今回は、2回に分けてお届けします。
(以下は、トークを一部抜粋・編集したものです。)

(司会)お二人をご紹介いたします。まず、本展のアートディレクターであり、グラフィックデザイナーやアートディレクションのお仕事をされている菊地敦己さんです。
3章「シンプルの明日」というコーナーに作品を寄せてくださいました、グラフィックデザイナーであり、アートディレクターの中村至男さんです。

DSC00218のコピー

DSC00227
(司会)
では、早速ですが内容に入っていきたいと思います。お二人が最初にブルーナさんの作品に出会ったのは、どの作品ですか。

 (菊地敦己さん/以下略)どうですかね。あまり「これがブルーナ初体験」っていうのは記憶にないですね。大学生の頃、自分の作品をつくり始めてデザインを意識するようになってから、ディック・ブルーナはデザインだなと見るようになりました。

 (司会)それはミッフィーの絵本でしょうか。ブラック・ベアシリーズ?

 (菊地)ミッフィーの絵を展開させる仕組みが面白いと思ったんです。平面の形がいろんな方法論で使われていて、しかも色が分離されている。形と色の組み合わせが、使われる状況に合わせて変化しますよね。色は限定されていて、いわゆるモダンデザインの方法ですよね。

 (司会)中村さんはいかがでしょうか。

 (中村至男さん/以下略やっぱり仕事をし出してからですね。デザイナー的な目線で、ブルーナさんの仕事を見て、改めて面白さが分かるようになった。

 (司会)読み聞かせてもらった絵本としてというよりは、大人になってから。

 (中村)僕はもともと絵本では育っていなんです。大人になってから、デザインとして見て、すごいなと。

 (菊地)「ディック・ブルーナの絵本を子どもは好きなのか?」問題ありますよね。

 (会場)

 (菊地)子どもの頃からブルーナの絵本が大好きで育ったっていう方いらっしゃいますか?

 (会場)挙手あり

 (菊地)ちらほらいらっしゃいますけど少ないですね。あの、悪く言っているわけではないですよ、もちろん。ただ、結構難しいというか。子どもに対する求心力があるかっていうと、あまりないのではないかと僕は思ってるんです。読み手というか、一緒に読む大人次第なところはあると思いますけど。

 (司会)言葉を覚える前のお子さま向けという位置付けで親しまれている印象はありますね。赤ちゃんって色がしっかり認識ができないので、ブルーナ作品のような明確な色使いが選ばれる理由だと聞いたことがあります。

 

***

 

(司会)展覧会のビジュアルをつくると同時に、デザイン展として成立させたいと、まず菊地さんにご相談に伺いました。ブルーナさんの「デザイン」をテーマにした展覧会は、それほどたくさんは行われていなくて。その話しを受けて菊地さんはどう思われましたか。

 (菊地)僕はもともとブルーナは好きでしたし、キャラクターではなくグラフィックデザインとして捉えていたので、面白そうだなと。ブルーナを通して、グラフィックデザインの考え方が伝わる展覧会になったら良いなと思いました。

 (司会)「シンプル」が今回の展覧会のキーワードになりそうという話は割とすぐに出てきました。ブルーナさんの作品はただの「シンプル」じゃないとおっしゃってましたよね。

 (菊地)そうですね。デザインといった時に「白くて角張ったシンプルなもの」という風潮が僕はすごく嫌いで(笑)。ミニマルなものをよしとする美意識が信用されすぎている。僕もかなり単純な図形を使ったデザインをしますけど、シンプルな中に別な意味や余分な要素をどうやって存在させることができるかが、結構大事なんです。使っている要素は似ていても、モダンデザイン的な様式とはちょっと距離があるんです。
ブルーナの形は、最初からシンプルな形があるんじゃなくて、元にちゃんと具体的なものがあって、それが簡略化されていく段階があるように感じます。だからシンプルな形にも、表情があるのではないかと思います。

 (司会)ブルーナさんの「シンプル」って、実はすごくカラフルだったり、情緒豊かなものが見える。それでも「シンプル」って言われている所以はなんだろうと、菊地さんとご相談を重ねながら、展覧会の構成を決めていきました。
今回のポスターのビジュアルを考えた時の菊地さんのアプローチなど教えてください。

 (菊地)はじめは、今ならではのディック・ブルーナの解釈があって良いのではないかと思って、自分の方法に引き寄せて考えました。使う要素はブルーナの形だけど、ちょっと違和感があるようなものをつくったのですが、ボツられました(笑)。

 (中村)誰から(笑)。

 (菊地)よくわからなかったんだけど、いろんな人の都合ですかね(笑)。ケチがつくと全然違うことをやりたくなるので、だったら極力自分の個性を消してつくろうと思って、より技術的というか裏方的なデザインのやり口を考えました。でもまあ、個性を消してつくったと思ったものに、滲み出てしまうものもあるわけですが。

ブルーナ展_ポスター

展覧会ポスター

元々ブラック・ベアシリーズのポスターの中で、この寝た熊のポスターがあるんです。それを基本的に踏襲してつくりました。ただそのままだと展覧会自体のアイデンティティにならないから、背景色を変えて、単純な方法で文字を組んで、少し多めの余白をつくって、結果このようになりました。会場別に色を変える計画もあったんですけど、それはここの会場に蹴られて(笑)。
決定プロセスに多くの人が関わる場合、新規性の高いものってなかなか受け入れられづらいんですよね。見慣れたものが良いということになってしまうことが多い。人は、自分の中にある記憶と、外側の対象物が符号した時に、いいなと思う傾向があるので。だから、多くの人が良いと思えるものは既成のものに近くなっていくんです。でも本当はそれだけだと、活力が生まれないので、求心力が生まれないのですが

 (司会)ちなみにアルティアムは初夏でもあるのでブルーはどうでしょうかとご提案をしたんですが、明るい印象もあるので、黄色が良いということで選んでいただいたプロセスがありました。

 (菊地)明るいから良いというのも、呪縛のひとつなんですけどね。

 (司会)ちなみに中村さんは展覧会のポスターのビジュアルご覧になった感想はありますか。

 (中村)デザイナーの工夫とか知恵を全く見せずに、それらを裏に秘めて、まっすぐに投げてきて、おお!そうきたかと思いましたね。

 (菊地)素晴らしいフォローをありがとうございます(笑)。実際は結構難しいんですよね。既にデザインされたものを扱って、リデザインしていくのは。どうデザインするかではなく、どういうレベルでその対象と関わり合うのかをすごく考えます。これまで知られているディック・ブルーナという絵をそのまま活かすやり方もあるし、新鮮さを引き出すために違うイメージを加えていく方法もある。どういう関わり方を、どういう段階でするかを、喧々諤々考えるんです。

 (司会)今回はグラフィックデザイナーとしてのブルーナさんを紹介するにあたり、必ずしも可愛らしさだけじゃなく、今まで見たことのない姿を見れますよ、ということも伝えたいという想いがありました。結果的に可愛らしさもあり、シンプルでデザイン性も高い、両方の要素を持ち合わせたこのデザインに落ち着いたということかなと思っています。ブルーナさんの魅力をブラック・ベアに背負ってもらって、直球でまっすぐに出していったっていうアプローチは、すごく良かったなと思いました。

 

***

 

(司会)展覧会の図録の話もしていただいてよろしいでしょうか。今回判型が小さめの図録なんです。

0310_1000

展覧会図録の表紙

(菊地)ペーパーバックと言われる小説の装丁のデザインをブルーナはたくさん手がけていました。高さはそれと同じサイズにしています。

 (中村)幅は違う?

 (菊地)違います。ペーパーバックって細長いんです。横組みの文章を読むものだから、あまり文章のストロークが長くなりすぎない可読性の高いフォーマットになっています。今回の図録は、絵を一枚ずつ見える方が良いなと思っていたので、サイズが大きい必要がなかったけど、ポスターなどを見せるには、ペーパーバックサイズだと横幅が足りないので伸ばしています。表紙には文字もなく、ポスターがまんま表出されるのが良いかなぁと思って。表紙のシールはきれいにはがせます。

 (司会)図録は17.5×13cmくらい。判型は小さいですが、図版の大きさ自体はこれまで発行している本の中でも、それぞれが大きく見えるよう配置されています。ページの構成、文字の関係とかで、何か気にしてくださったことはありますか。

 (菊地)造形的なことで言えば、何もデザインしていません。1ページごとのレイアウトも基本右ページに作品1点というかなり単純なつくりです。気をつけたのは絵や文字のサイズを大きめにして、全体におおらかな空気をつくること。装飾を極力無くして、ひとつひとつの絵に集中できるような本にしたかったんです。そういった全体の構成という意味では、かなりデザインしたつもりはあるんですが。

 (司会)菊地さんは本をデザインするとき、最初にどういうプロセスからスタートされますか。

 (菊地)それぞれですね。

 (司会)今回は?

 (菊地)今回は作品を一点ずつ見せるという構成を決めたことが出発点ですね。

 (中村)そうそう!一個ずつ見たかった。必ず視界に一つだけ入ってくるようにしてもらえたのは嬉しかったですね。

 

レポートは第2回目に続きます。お楽しみに!

【展覧会ページ】
シンプルの正体
ディック・ブルーナのデザイン展

2017/5/13 − 7/2

クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―

会場レポート

会期も残り一週間となりました。今回は会場内の様子をご紹介します。関連イベントとしておこなった神奈川県立近代美術館学芸員の籾山昌夫さんの講演会レポート(12)に展示作品についても詳しいお話がありますので、合わせてお読みください。

◆デコール(模型)
DSC00086
「デコール」とは、簡単にお伝えすると、クエイ兄弟が考えた「模型」を表す言葉です。実際に映像作品に使用されたパペットや背景のセットなどを、クエイ兄弟がデコールとして再構成した作品8点を展示しています。近くで見ると、細かい部分まで緻密に作られていることが分かります。これらを少しずつ動かしながら、膨大な枚数一コマずつ繰り返し撮影し、短編作品が作られています。クエイ兄弟ファンはもちろん、今回初めて映像作品をご覧になる方にとっても、映像に登場するパペットやセットの実物がそこにあるという喜びを味わうことのできる展示作品です。腕や頭が動くよう作られたパペットの細部や、風合いのあるセットなどを間近でご覧くださいね。

DSC00075

◆ポーランド・ポスター
DSC00089
この5点のみ、クエイ兄弟の作品ではなく、クエイ兄弟が影響を受けた作品として展示をしています。学生時にポーランド・ポスターの展覧会を見て、ヨーロッパの文化に興味を持つようになったクエイ兄弟。本展のために、神奈川県立近代美術館収蔵のポーランド・ポスターの中から、クエイ兄弟自ら選んだポスターです。

◆学生時代のイラストレーションや挿絵
DSC00091
カフカの短編やヤナーチェクの音楽からインスピレーションを受けて制作した学生時代のイラストや版画作品や、挿絵16点を展示しています。クエイ兄弟の映像以外の作品を見ることのできる貴重な機会となっています。

◆黒の素描
DSC00011
1970年代に鉛筆で描かれたドローイングです。細部まで真っ黒に描き込まれています。初期の短編映画に同じモチーフが出てくるなど、のちの作品に繋がる作品群です。

◆代表作のダイジェスト上映

『イーゴリ―パリでプレイエルが仕事場を提供していた頃』1982年

『イーゴリ―パリでプレイエルが仕事場を提供していた頃』1982年

1980~2000年代まで代表作7作品からダイジェストとして15分にまとめたものを常時ループ上映しています。全編をご覧になりたい方は、土・日・祝日18:30~日替わりで3プログラムに分けて開催中の上映会(A・Bプログラム特別上映会)に足をお運びくださいませ。ショップでは短編作品集のブルーレイディスクも会期中のみ販売しています!

本展は6月から東京・松濤美術館での巡回展も決まっています。この機会に、ぜひクエイ兄弟の他に類を見ない世界観を会場でお楽しみください。

【展覧会ページ】
クエイ兄弟 ―ファントム・ミュージアム―
2017/3/25 − 5/7

クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―

オープニングイベント 上映会 & 講演会映像作家クエイ兄弟の今昔レポート2

前回に続いて「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」展の初日に行われた講演会のレポートをお届けします。クエイ兄弟の映像作品に込められた思い、舞台美術や商業的な仕事など多岐にわたる彼らの仕事を紹介していきます。

◆映像作品に込められたクエイ兄弟の思い

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年

(籾山昌夫さん)次に、『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』の翌年、1985年に作られた映像作品『ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、ハナー・ルウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』を採り上げます。長いタイトルです。今回の展覧会の前まで、日本では『ギルガメッシュ/小さなほうき』として紹介されていました。しかし、これは省略すると映像作品に込められた意味が解からなくなってしまいます。作品の冒頭に現れる数字は、クエイ兄弟のパスポート番号で、ふたりは1983年頃に、パスポートの期限が切れたために不法滞在者となり、移民局に呼び出されて、国外退去を命じられました。移民局が入っていたのが、ロンドン郊外にある「ルナー・ハウスLunar House」という巨大なビルです。タイトルの中の「ハナー・ルウスHunar Louse」というのは、この先頭の1文字を入れ替えたものです。この物語は宙に浮いた箱のような場所で展開し、周囲は真っ暗な空間です。おそらく、これはイギリスという島国を表しています。この映像作品の後半には、主人公がコオロギをその真っ暗な空間に捨てる場面がありますが、それは単に無邪気な子どもがコオロギを捨てるというのではない、別の意味があります。

クエイ兄弟『ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、ハナー・ルウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』1985年

クエイ兄弟『ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、ハナー・ルウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』1985年

コオロギを捨てるこの場面、背景に「Pepek」という文字があります。これが重要です。このアングルは意図的に撮られているのです。そして、「名つけ難い小さなほうき」とは、三輪車に乗ったこの奇妙な主人公です。ちなみに、映像では白目ですが、デコールでは黒目があります。この人物は、一昨年、亡くなったイギリスのロック・スター、デヴィッド・ボウイに似ているかもしれません。クエイ兄弟と同じ1947年生まれのボウイは、クエイ兄弟にとって、成功したイギリス人芸術家の象徴であったでしょう。

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年 部分

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年 部分

この映像作品では、コオロギの美しい鳴き声に誘われて飛んできたギルガメシュ叙事詩のエンキドウ、おそらくクエイ兄弟自身が、性的な誘いに乗って罠にかかり、おそらく「イギリス」を暗示するギルガメッシュから袋叩きにあう。現実では、クエイ兄弟がロンドンでアニメーション制作を始めたものの、およそ5年後に国外退去を命じる大英帝国は、「コオロギも用が済めば自然に返すことなく、捨ててしまう、そうした冷酷な場所だ」といったところでしょうか。

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年 部分

クエイ兄弟 デコール《この名付け難い小さなほうき》1985年 部分

デコールの背景には「優雅な」カリグラフィで「ペペクPepek」と書かれています。「ペペク」とはチェコ語で「ポパイ」のことです。この文字の優雅さとは対照的に、第二次世界大戦中、ポパイはアメリカの敵を叩きのめす存在でした。

戦時ポスター《日本ナチスを叩きのめそう!今ここで戦争貯蓄切手を買おう!25セント切手1枚で弾丸12発》

戦時ポスター《日本ナチスを叩きのめそう!今ここで戦争貯蓄切手を買おう!25セント切手1枚で弾丸12発》

クエイ兄弟の作品で、「Pepek」という文字は、おそらく、国家の暴力を表しているのだと思います。彼らは国家の暴力を嫌っていました。クエイ兄弟がイギリスに留学した1969年までに、アメリカが参戦したベトナム戦争は激化して、若者を中心に反戦、厭戦気分が広がりました。1969年は、ヒッピー文化のひとつの頂点とされるウッドストック・フェスティバルが開かれた年です。クエイ兄弟は徴兵を避ける意味もあって、イギリスに留学しました。それから10年後にロンドンにスタジオを構えて、英国映画協会を始め、BBCやチャンネル4といったイギリスの放送局のために映像作品を作ってきたにも関わらず、国外に叩き出されそうになる。幸いにも、ある人物の取り成しで、国外退去は免れましたが、この事件が、クエイ兄弟にどれほどの衝撃を与えたことでしょう。

◆舞台デザインへの進出

『ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、ハナー・ルウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』は、もともとアニメーションと実写を組み合わせた作品として企画されましたが、資金不足から、アニメーション部分だけが完成されました。一方、俳優を使って劇場で撮影された実写部分には、バレエ振付師のキム・ブランドストラップが参加してました。人形を動かすことと、人間に振付すること、クエイ兄弟はそこに共通点を見出したのだと思います。ブランドストラップは、デンマークのコペンハーゲン大学で映画とメディアの研究をしましたから、クエイ兄弟の創作に理解があったのだと思います。ブランドストラップは、この3年後の1988年に、自らのバレエ公演『ディブック』の舞台デザインをクエイ兄弟に依頼します。それをきっかけに、クエイ兄弟はバレエ、オペラ、演劇の舞台デザインの分野に進出します。

オペラ『三つのオレンジへの恋』1988年

オペラ『三つのオレンジへの恋』1988年

残念ながら『ディブック』の舞台そのものを写した映像はありません。これは『ディブック』と同じ、1988年にクエイ兄弟が舞台デザインを手掛けた、リチャード・ジョーンズ演出によるプロコフィエフのオペラ『三つのオレンジへの恋』です。この布の襞や歪んだ窓枠、こうしたところに、クエイ兄弟らしさが認められます。

演劇『耳に蚤』1989年

演劇『耳に蚤』1989年

同じくジョーンズの演出による、ジョルジュ・フェドーの演劇『耳に蚤』の1989年の舞台デザインも、クエイ兄弟によるものです。この細かな縦の線は『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』にも見ることができます。

オペラ『マゼーパ』1991年

オペラ『マゼーパ』1991年

これもジョーンズの演出によるチャイコフスキーのオペラ『マゼーパ』の1991年の舞台デザインです。路面電車もクエイ兄弟が多用するモチーフです。

オペラ『世界の劇場』2016年

オペラ『世界の劇場』2016年

これは、昨年に初演されたオランダの作曲家ルイ・アンドリーセンの新作オペラ『世界の劇場』です。クエイ兄弟が舞台デザインと映像を提供しています。

ところで、ブランドストラップの振付によるバレエを、クエイ兄弟が監督した2000年の映像『砂男』では、人間が人形を演じます。ここに、クエイ兄弟が見出した「人形を動かすことと、人間に振付すること」の共通点を認めることができるでしょう。

クエイ兄弟『砂男』2000年

クエイ兄弟『砂男』2000年

◆クエイ兄弟の映像作品の特徴

クエイ兄弟の映像作品の特徴を確認しましょう。まずは、モノに近づいて撮影するクローズアップです。クエイ兄弟は、しばしば接写レンズを使って、対象を極端に拡大して撮影します。次に、人形などの不自然に速い動きです。本来であれば、アニメーションでは本物らしい動作を追求します。しかし、クエイ兄弟の場合は、あえて現実にはないような動きを映像に採り入れています。そして、音楽と映像との一致です。普通、映画やテレビ・ドラマでは、映像が準備されて、それに音楽がバックミュージックとしてつけられます。しかし、クエイ兄弟の場合は、音楽に合わせて映像を修正するため、映像と音楽がシンクロしています。これらの特徴を意識しながら、クエイ兄弟の映像作品を見ると面白いと思います。

クエイ兄弟 デコール《ブルーノ・シュルツ『ストリート・オブ・クロコダイル』》1986年

クエイ兄弟 デコール《ブルーノ・シュルツ『ストリート・オブ・クロコダイル』》1986年

「ストリート・オブ・クロコダイル」のデコールを見てみましょう。左上の部分と右下の部分を見ていきます。まず、左上にはシンバルを叩くサルの人形がありますが、映像で見た時とは違っていて、胴体から下が骨組みだけになっています。映像では、このシンバルが不自然なほど早く叩かれていました。
そして、デコールの右下にはネジが通り抜けた時計が組み込まれています。この時計の裏は機械仕掛けではなく、「肉」が詰まっていて、「非日常的」なものを表していました。そして、中央部分は、この映像作品のラストシーンです。このように「デコール」というのは、映像そのものの場面を再現したものではなく、異なる場面、時間を組み合わせて「映像の世界観」を表す独立した作品です。美術の専門用語で言えば、絵画の「異時同図」、異なる時間が同一の図の中にある状態です。
一方、クローズアップは『不在』で多用されています。

クエイ兄弟『不在』2000年

クエイ兄弟『不在』2000年

◆ミュージック・ヴィデオやCMの仕事について

さて、1986年の『ストリート・オブ・クロコダイル』がカンヌ国際映画祭の短編部門にノミネートされ、有名になったクエイ兄弟には、ミュージック・ヴィデオやテレビ・コマーシャルの依頼が来るようになります。クエイ兄弟はこれまでに、ミュージック・ヴィデオやテレビ・コマーシャルといった商業映像を、約40本制作しています。一方、それ以外の自分たちのオリジナルな映像作品は、約30本です。ここで言う「商業映像」というのは、映像を作る前に、音楽や商品があって、それらを宣伝する目的で作られるものです。クエイ兄弟は、こうした商業映像を作って得たお金で、自分たちのオリジナルな映像作品を作っています。
1990年にデビューしたアメリカの実験的ロック・バンド「His Name Is Alive(ヒズ・ネイム・イズ・アライヴ)」のミュージック・ヴィデオでは、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を参考にした映像と、音楽がよくシンクロしています。

クエイ_20

葉山の第3展示室には、このミュージック・ヴィデオに登場する女の子とウサギの人形を展示していました。クエイ兄弟が人形を調整し、ティモシーが靴下を履かせています。葉山では、ピンポン玉の代わりにウズラの卵を並べたいとクエイ兄弟が言い出して、僕が近くのスーパーで1パック10個入りを買ってきました。 

クエイ兄弟 パペット《ウサギ》1992年

クエイ兄弟 パペット《ウサギ》1992年

クエイ兄弟はコマーシャル映像も手掛けています。例えば、1996年にはのど飴「ロケッツ」のコマーシャル、1997年には除草剤のラウンドアップのコマーシャルも作っています。テレビ・コマーシャルは予算があるので、アニメーションのクオリティが高いと思います。クエイ兄弟は、1本のコマーシャルを制作すると、半年は自分たちの作品を作ることができたと言っていました。

◆長編映画について

最後に、クエイ兄弟の長編映画に触れておきます。彼らは、これまでに長編映画を2本作っています。1995年の『ベンヤメンタ学院、または人々が人生と呼ぶこの夢』と、10年後の2005年に作られた『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』です。ここで、『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』のデコールを見てみましょう。

クエイ兄弟 デコール《樵》2005年 部分

クエイ兄弟 デコール《樵》2005年 部分

樵の人形は、まだ斧を振り下ろしていないのに、すでに膝から血が噴き出ています。これも、デコールの特徴である、異なる時間を組み合わせた「異時同図」になっています。それにしても、なかなかの迫力です。この人形は、1988年の『スティル・ナハト―寸劇』、1990年の『櫛』にも登場する、クエイ兄弟の映像作品でひとつのキャラクターになっています。

クエイ兄弟『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』2005年

クエイ兄弟『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』2005年

アルノルト・ベックリン《死の島》1883年

アルノルト・ベックリン《死の島》1883年

『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』のラストシーンは、19世紀末の絵画に基づいています。スイスの画家アルノルト・ベックリンが繰り返し描いた《死の島》です。ベックリンは1880年から1886年まで5点の油彩画を描いていますが、ご覧いただいているのは3枚目、1883年の《死の島》です。アドルフ・ヒトラーの旧蔵品で、今はベルリンの旧国立美術館にあります。このように、アメリカ生まれのクエイ兄弟は、ヨーロッパの文化伝統に基づきながら、1979年以降、現在までロンドンで製作を続けています。

ロンドンのクエイ兄弟のアトリエ 2015年講演者撮影

ロンドンのクエイ兄弟のアトリエ 2015年講演者撮影

これはロンドンにあるクエイ兄弟のアトリエの打ち合せスペースです。後ろには実にたくさんの書籍が並べられていて、その間の小さな電球が光る、ごちゃごちゃとした、とても不思議な空間です。今にも、何かが動き出しそうな雰囲気です。こうした空間から生み出させるクエイ兄弟の不思議な世界を、後は会場で楽しんでいただきたいと思います。

講演会後の質疑応答でも多くの方から質問があり、クエイ兄弟の作品への関心の高さが伺われました。作品の解説をもとに映像作品や会場内に展示している人形を見ると、改めてその不思議な魅力に気づかされることでしょう。「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」は5月7日(日)まで開催しております。是非、この機会にミステリアスな美の世界を堪能頂ければ幸いです。

【展覧会ページ】
クエイ兄弟 ―ファントム・ミュージアム―
2017/3/25 − 5/7

クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―

オープニングイベント 上映会 & 講演会映像作家クエイ兄弟の今昔レポート1

現在、アルティアムでは「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」展を開催中です。展覧会の初日には、関連イベントとして、神奈川県立近代美術館主任学芸員の籾山昌夫さんをお招きして「映像作家クエイ兄弟の今昔」と題した講演会をおこないました。当日の様子をレポートでご紹介します♪

CIMG1732

(籾山昌夫さん)皆さん、こんにちは。神奈川県立近代美術館の籾山です。三菱地所アルティアムで話しをさせていただくのは、11年前、2006年のシュヴァンクマイエル展でのギャラリートーク、2010年のノルシュテイン展での講演会に続いて3回目です。今日は、アルティアムの展覧会オープニング・イベントとして「映像作家クエイ兄弟の今昔」、過去と現在について話をします。この「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」展は、昨年7月に私が勤める神奈川県立近代美術館 葉山で始まりました。

クエイ01
こちらがクエイ兄弟です。葉山のエントランスで撮影しました。左がスティーヴン、右がティモシーの一卵性双生児です。同じ服装をしていると、なかなか見分けがつきませんが、しばらく話をしていると性格の違いが、よくわかります。右のティモシーが、このポースからもおわかりの通り、やんちゃで芸術家タイプであるのに対して、左のスティーヴンが落ち着いた理論家タイプです。ふたりとも日本で何でもよく食べましたが、ティモシーの方は、サザエのつぼ焼きの蓋を面白がって、ロンドンに持って帰りました。
さて、葉山では、このふたりに、展覧会会場で初めての公開制作をお願いしました。映像は神奈川県の公式サイトで公開しています。クエイ兄弟の最初の長編映画、1995年の『ベンヤメンタ学院、または人々が人生と呼ぶこの夢』に関連するデコールの再制作です。双子の息の合った様子がよくわかります。

神奈川県立近代美術館 葉山でのクエイ兄弟の公開制作 2016年7月23日

神奈川県立近代美術館 葉山でのクエイ兄弟の公開制作 2016年7月23日

クエイ兄弟 デコール《「粉末化した鹿の精液」の匂いを嗅いでください》中央部分 1995年

クエイ兄弟 デコール《「粉末化した鹿の精液」の匂いを嗅いでください》中央部分 1995年

デコールの中央部分は映画に登場しますが、本当に鹿のそれっぽい匂いがします。というのも、鹿の角は、ワシントン条約で日本に輸入できないため、葉山では北海道産の鹿の角を使いました。それをノコギリで頭骨から切り離したときに出た粉と岩塩を混ぜたものが中に盛られています。葉山では僕がその粉を刷毛で集めましたが、かなり生々しい匂いがしました。その時、クエイ兄弟は「粉を残しちゃダメ」と言って、必要な量ではなく、全部かき集めさせました。それは、ある種の儀式のようでした。

◆クエイ兄弟の学生時代

クエイ兄弟は1947年にアメリカ東海岸のペンシルヴァニア州、ニューヨークとワシントンDCのほぼ中間のノーリスタウンという町に生まれました。今年の6月で70歳になります。ふたりは18歳でフィラデルフィア芸術大学に入学し、イラストレーションを勉強しました。最初からアニメーションを勉強したのではありません。ただ、20歳頃から16ミリ・フィルムで切り紙アニメーションを撮っていました。「切り紙アニメーション」とは、人やモノの形に切った紙を少しずつ動かしながら、撮影するアニメーションです。

クエイ兄弟『おとぎ話』1968-69年頃

クエイ兄弟『おとぎ話』1968-69年頃

これが、クエイ兄弟の最も早いアニメーション『おとぎ話』の静止画像です。残念ながら、クエイ兄弟は学生時代の映像作品を、動画としては見せてくれません。
1967年に、クエイ兄弟は通っていたフィラデルフィア芸術大学で開催された「ポーランドのポスター芸術展」を見て、ヨーロッパの芸術文化に強い関心を持つようになります。

「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」展 三菱地所アルティアム

「クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム―」展 三菱地所アルティアム

三菱地所アルティアムの展覧会のこれらのポスター5点は、クエイ兄弟の作品ではありません。それ以外はすべてふたりの作品です。私が勤めている神奈川県立近代美術館は、1950年代から1980年までのポーランドのポスターを約300点収蔵しています。これらはその中から、クエイ兄弟が影響を受けたポスターを、彼ら自身に選んでもらったものです。その内の1点は、ヤン・レニーツァが1964年に描いたアルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』のためのポスターです。レニーツァはポーランドのポスター・デザイナーであると同時に、『迷宮』などの作品で知られるアニメーション作家でもあります。クエイ兄弟は1969年に、フィラデルフィア芸術大学を卒業して、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに進学します。このロンドンの大学院でも、クエイ兄弟は当初、イラストレーション学科で勉強していました。ただ、この学校には映画テレビ学科があって、その機材を使って、彼らはアニメーションを作るようになります。実際には、学科を移っているようです。

クエイ兄弟『宙返り』1971年

クエイ兄弟『宙返り』1971年

これはクエイ兄弟が1971年に作ったアニメーション『宙返り』の静止画像です。これも、平面的な切り紙アニメーションで、まだ人形アニメーションではありません。しかし、映画テレビ学科で、キース・グリフィスと知り合ったことは重要で、約10年後にクエイ兄弟とグリフィスはロンドンに共同でスタジオを設立することになります。イギリス人キース・グリフィスも1947年生まれ、クエイ兄弟と同い年です。今では、世界的な映画プロデューサー、映画監督です。クエイ兄弟の多くの作品のプロデューサーであり、チェコのヤン・シュヴァンクマイエル監督の『オテサーネク』(2000年)やカンヌ国際映画祭でパルム・ドールをとったタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『ブンミおじさんの森』(2010年)などのプロデューサーです。
さて、1972年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業して、フィラデルフィアに戻ったクエイ兄弟は、雑誌の挿絵や表紙を描いて生活していました。葉山では、クエイ兄弟がデザインした本の表紙などを相当数、展示しました。ただし、そのすべてが出版されたわけではありません。

クエイ兄弟 架空の書籍の表紙デザイン《MISHIMA》1971年頃

クエイ兄弟 架空の書籍の表紙デザイン《MISHIMA》1971年頃 Courtesy of Museum of Modern Art,New York

ひとつ例を挙げるならば、この《MISHIMA》は、実際の本ではなく、自分たちが読んだものに対して、クエイ兄弟が勝手に考えた表紙のデザインです。三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をしたのは、この前の年、1970年です。クエイ兄弟にとっても、衝撃的な事件であったのでしょう。また、クエイ兄弟は、自分たちが読んだ戯曲に基づいて、架空の演劇公演のポスターも作っています。

クエイ兄弟 架空の演劇のポスター原画『カスパー』(ペーター・ハントケの1967年の戯曲)1980年頃

クエイ兄弟 架空の演劇のポスター原画『カスパー』(ペーター・ハントケの1967年の戯曲)1980年頃 Courtesy of Museum of Modern Art,New York

これは少し時期が下りますが、ペーター・ハントケの戯曲に対して、実際には存在しない演劇公演のポスターをデザインしたものです。

◆イラストレーションから映像作品へ

クエイ兄弟《憎悪を行使する恋人》1975年頃

クエイ兄弟《憎悪を行使する恋人》1975年頃 Courtesy of Museum of Modern Art,New York

一方で、クエイ兄弟は、1975年頃に「黒の素描」と呼ばれる鉛筆のドローイングを描いています。これはそのひとつ、《憎悪を行使する恋人》です。ここでは鉛筆を何度も往復させて、背景を真っ黒に塗りつぶしてしています。この絵は、今から4年前の2013年にポーランドの作曲家ヴィトルト・ルトスワフスキの生誕100年を記念して作られた映像作品に出てきます。

クエイ兄弟『ヴィトルト・ルトスワフスキ 弦楽四重奏曲』2013年

クエイ兄弟『ヴィトルト・ルトスワフスキ 弦楽四重奏曲』2013年

この映像作品では、ルトスワフスキが1964年に作曲した弦楽四重奏曲に、クエイ兄弟が光と影の効果を加えながらアニメーションと実写を組み合わせています。これもペーター・ハントケの1992年の戯曲『私たちがたがいに何も知らなかったとき』をイメージしています。このように、クエイ兄弟の映像作品には、古い作品が頻繁に再利用され、今と昔がしばしば混じり合います。また、クエイ兄弟の作品には実写が多く、必ずしもアニメーション作家という範疇では収まりきれません。
さて、クエイ兄弟が本格的にアニメーションに取り組むのは、先ほどのキース・グリフィスに再会して、3人がロンドンにコーニンク・スタジオという拠点を構えた1979年以降です。スタジオの名称は、クエイ兄弟とグリフィスがアントワープで飲んだビール「デ・コーニンク」にちなんで名付けられました。クエイ兄弟がプロの映像作家として作った最初のアニメーションは、英国映画協会の依頼による1979年の『人工の夜景―欲望果てしなき者ども』です。これは、人形アニメーションですが、「黒の素描」の《ラボネキュイエール城》が用いられています。

クエイ兄弟『人工の夜景―欲望果てしなき者ども』1979年

クエイ兄弟『人工の夜景―欲望果てしなき者ども』1979年

クエイ兄弟《ラボネキュイエール城》1975年頃

クエイ兄弟《ラボネキュイエール城》1975年頃 Courtesy of Museum of Modern Art,New York

◆ヤン・シュヴァンクマイエルからの影響

この5年後の1984年の『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』は、キース・グリフィスが監督したチャンネル4のためのドキュメンタリー番組のアニメーション部分をクエイ兄弟が担当し、それをまとめたものです。『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』は、アメリカ人の少年が、チェコのプラハに住んでいるアニメーション作家を訪ねて、教えを受けるという内容です。実際にクエイ兄弟とキース・グリフィスは、制作の前年、1983年にプラハのシュヴァンクマイエルのスタジオを訪問しています。

クエイ兄弟 デコール《プラハの錬金術師》1984年

クエイ兄弟 デコール《プラハの錬金術師》1984年

アルティアムの会場に入ると、この映像作品のデコール《プラハの錬金術師》があります。「デコール」というのは、映像作品で実際に使った人形などと背景の舞台装置を組み合わせたボックス・アートのことです。
細かな縦の線が特徴的な空間の中央に、シュヴァンクマイエルがいます。頭も胴体が本、両腕はコンパスになっています。その右にいる少年はクエイ兄弟を表しています。テーブルの上にあるのは、少年の頭からシュヴァンクマイエルが引き出したものです。デコールでは、櫛と髪の毛、緑色の自動車、そしてピストルです。映像作品では、赤いオートバイが出てきます。いずれにしても、これらはクエイ兄弟の母国、アメリカを象徴しています。
手前のプレートには、「シュヴァンクマイエルの部屋、プラハの映画錬金術師」と記されています。

デコール《プラハの錬金術師》部分

デコール《プラハの錬金術師》部分

机の下には本が並んでいて、左には1974年に刊行された、ドイツの小説家フィヒテの『思春期についての試み』があり、その右には、順にルドルフ2世、ロートレアルモン、カフカ、ネズヴァル、ポー、カレル・タイゲ、ルイス・キャロル、ブルトン、アルチンボルドという、プラハやシュルレアリスムに関係する詩人や芸術家の書籍が並んでいます。デコールの右壁にはアルチンボルドの絵による「トリック・アート」と、その手前にはプラハ城のペーパー模型があります。

デコール《プラハの錬金術師》部分(背景右の窓)

デコール《プラハの錬金術師》部分(背景右の窓)

背景右の窓から覗くネオンサイン「スタロプロメン」は1869年創業のプラハのビール醸造所です。左の窓から覗く赤いネオンサイン「ルデー・プラーヴォ(赤い真実)」は、チェコスロヴァキア共産党の機関紙のことで、今でも民間の新聞社によって継続されています。このように、クエイ兄弟のデコールには、細部にこだわりがあります。

◆「24分の1秒の授業」とは

次の場面では、シュヴァンクマイエルが少年にアニメーションの作り方を伝授します。章タイトルは「子どもは24分の1秒の授業を受ける」です。シュヴァンクマイエルやクエイ兄弟の映像作品は、「ストップモーション」あるいは「コマ撮りアニメーション」と呼ばれます。切り紙アニメーションも人形アニメーションも、コマ撮りアニメーションの一種です。切った紙を動かして撮影すれば「切り紙アニメーション」、人形を動かせば、「人形アニメーション」または「パペット・アニメーション」と言います。ところで、このコマ撮りアニメーションでは、切り紙や人形などを少しずつ動かして、彼らの場合は、1秒間に24コマ、24枚の写真を撮って、それをパラパラ漫画のようにして映像を動かします。つまり、1コマが24分の1秒ですから、たった1分の映像を作るのに、1440回も人形などを動かして、カメラのシャッターを切っています。今はデジタルカメラがありますから、撮った映像をすぐに確認できますが、当時はデジタルカメラがありません。クエイ兄弟がデジタルカメラを使い始めるのは、2005年頃です。人形などをちょっとずつ動かして、24分の1秒ずつ撮影する、こうした気の遠くなるような作業によって、彼らは映像作品を作っていました。「24分の1秒の授業」とはこのことです。最後の場面は、シュヴァンクマイエルが少年の頭の中に、真実を見る目を入れ、知識としての本を挿し込みます。少年は感謝して帰ります。
『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』では、シュヴァンクマイエルの1967年の映像作品『自然の歴史』や1968年の『部屋』の音楽が使われています。それらはズデニェク・リシュカによるものです。そして、このクエイ兄弟の映像作品『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』は、日本にシュヴァンクマイエルその人を紹介した点でも重要です。

レポートは第二回目に続きます!

【展覧会ページ】
クエイ兄弟 ―ファントム・ミュージアム―
2017/3/25 − 5/7

安野光雅のふしぎな絵本展

遊び×芸術×科学 トークイベントレポート2後編

九州大学芸術工学研究院連携企画

「現代においては、過去を考えることが、未来を考えることよりも、より自由な気がする」と題した、アーティストの八木良太さん、城一裕さんによるトークイベントのレポート後編です。大学で教えるという立場にいらっしゃるお二人が、学生さんたちとおこなっているプロジェクトに関するお話などが続いていきます。第1回前編後編、第2回前編とあわせて是非お読みください。(※本文は、本イベントのトークを一部抜粋・編集したものです。)

 (八木さん)今の学生は、コンピュータの中の世界に生きてるなと思うときがあります。それで、大学の授業では、19世紀の発明品を学生に再現してもらうプロジェクトをやっています。19世紀の発明品って身の回りにあるもので作れる、単純なものが多くて。学生たちはいわゆる古いテクノロジーに触れたことがない子がいっぱいいるんですけど、そういう子たちと万華鏡やメトロノームを作ったり、写真の古典技法をやったりしています。魚焼きの網をくっつけたトースターを作ってる女の子がいたり。

experimental_studies_5
(城さん)どういう風に八木さんは関わっているんですか?

 (八木さん)緒にやってみる。トースターを分解したものを100Vの電源に突っ込んでバチンってなって煙出すとか。失敗も共有するような感じです。あとは発明の背景を調べてきなさい、とか、画像を検索して提出しなさいということを挟みながら、授業を進めています。
この授業のプロジェクトもそうですが、新しいものを作ることよりも、昔のことを見つめる作業自体が重要になっています。同時に、クワクボリョウタさんや城さん、みなさんが興味のある眼差しの向かう先が同じような気がしています。

 (城さん)このトークがはじまる前に、まさにその話をしてましたよね。お互いの興味の方向性が似ているのはなんでだろうって。次回のゲスト・アーティストのクワクボさんは、初期はガジェットやデバイスアートと呼ばれるような電気で動くピカピカするような作品を作っていました。が、今ではまったく別の作品を制作している。僕も元々はMAXというソフトを使ったプログラミングとか、色々コンピュータを使ったり、デバイスを作ったりしていたんです。
2000年代前半くらいまでは、それまでできなかったことができるようになった面白さがあった。でも今はコンピュータを使えば、いろんなことができちゃうのがもう自明で。あまりにも自由度が高すぎて、かつ、人とお金をかければかけるほど良くなっていくのがわかる。そこに一人で立ち向かうのは厳しい。それよりは一人でできることを興味の赴くままに進んでいって、ちょっと頓知を利かせて。それによって違うものを生んでいこうとする方向性が、個人ベースでやっている人たちには共通してあるのかな、と。

 (八木さん)僕は技術がそんなにないのでテクノロジー=なんでもできちゃうというほどではないですね。でも、身体感覚を取り戻すような感覚が、昔のテクノロジーにはあるかな。たとえば、活字は大量にある中から文選して、組んでいく。それで辞書を作るなんて、途方もない作業ですよね。今では考えられないような労力。そこに、不思議な感じがあって。

 (城さん)コンピュータってなんでもできちゃうと言える一方で、何してるかわかんないブラックボックスになっている部分があって。コンピュータを使った展示で時々ある感想が「なんだかよくわかんないですけど、すごいですね」って。それまったく褒め言葉じゃないんですよね。わかんないのすごいって言うなよっていう。

 (八木さん)すごく無責任な感じですよね。

 (城さん)そう。そう言われてしまうことへの悔しさがあって、「車輪の再発明」があるんです。レコードだと溝も見えるし、音が出る原理も知られている。おじいちゃんが見ても「わかんない」とは言わせないというのがあって。

 (八木さん)種も仕掛けもありませんっていうのを見せるほうが、不思議さがより強く伝わりますよね。わからないものを隠しておくのって、不思議さが意外と浅い。レコードの、あの溝の形から音が出るって不思議さは、掘り下げても掘り下げても全然魅力が損なわれない。面白さっていうのがずっと持続する感じがあるんです。

 (城さん)とはいえ、学生とやっていて危惧していることもあって。こちらとしては、コンピュータがなんでも出来てしまうブラックボックスという前提のもとに、そうではないやり方の話をしている。でも、学生たちは、ともすると、プログラミングをやらない、つまりコンピュータのことを理解しないままに、いきなり紙のレコードを作ることになる。それはそれでおもしろいことなんだけど、なんか、それでいいとは言えないよなあって。

 (八木さん)コンピュータのこともしっかり知って欲しいってことですよね。平等にメディアを眺めることができる位置にいたい。新しいものを否定するわけじゃなくて、そっちも好きだけど、こっちも好き、みたいな。

CIMG8321

(城さん)ありえたかもしれない未来をつくる。そのベースには、多様性が高い方がよいというのを信じているところがあります。

 (八木さん)僕も同じですね。やっぱりいろんなものがあった方がいい。

 (城さん)予想していないものがある方がいい。さきほどjohnsmithくんの磁石を耳につけて、コイルを近づけて音が出る装置。これ、話だけを聞いたとき、いやいや、柔らかい耳に磁石をつけても鳴らないよ、無理だよって僕は言ったんです。でも、さんざんバカにしたあとに、実際にやってみたら、かなりよく聞こえた。

 (八木さん)予想を裏切られる結果に快感を覚えてやっているところってありますよね。僕の氷のレコードも、その当時一緒に住んでいたミュージシャンには「そんなん鳴るわけないよ」って言われてた。だから聞こえたときにびっくりしていて、僕自身もびっくりしてすごく印象的だった。
いい職人や専門家って、好奇心が強いから、僕の作品なんかも面白がってもらいやすいですよね。だから、技術者の人に作品を見せると盛り上がったりする。
VHSの技術者の人に話を聞く機会があって、さっきのカセットテープの球体の作品をビデオテープでやりたいって話をしたら、面白がってくれて。でも、結局は「それで再生するのは無理」って向こうから言われちゃったんです。「ビデオテープは回転の角度がすごく厳密に決まっていて、適当に合わせるだけでは映像は出ません」って。
がっかりして帰って、その1-2年後にクワクボさんに相談したんです。そうしたらクワクボさんは「できるよ」って。赤、青、緑のコンポーネント端子のうちの緑のやつをだましたらできるよって。で、やってみたらできたんです。ノイズパターン見たいなのが出た。技術者の常識の中での再生っていうのは元のテープに入っている画像が出ることだったんだけど、クワクボさんは僕の考える再生というものを、理解してその場でぱっと答えを出してくれた。異分野の人と話をするっていうのは、すごく楽しいというか。たとえ否定されたとしても面白いし、否定されてもアーティストとして受け入れてもらえた気がする。創造的な誤解や誤読が起きやすいんですね。

 (城さん)異分野に行って、プラスαというか、その分野の人たちに取ってもびっくりするようなことをもたらすのが、大事かもしれませんね。

(八木さん)向こうの人からしたら、これでも再生って言うんだっていうのが目からウロコってなってほしいです。

 (アルティアム・笠井)「車輪の再発明」プロジェクトや、八木さんが学生さんとされた、19世紀の発明をもう一度作るっていうものは、いじわるな見方をすると「これはアートなの?なんなの?」という話になると思うんです。学生さんや周りの人たちはどういう反応をしていますか?

 (城さん)それはすごく意識しています。車輪の再発明では先程のレコードのような作り方自体は作品ではなく、技法って言い方をしていたんです。その技法はwebで公開したり、各々ワークショップで共有したりしていて。その上で、それらの技法を使って何を作るか考えてできたものは「作品」と呼んでいました。このヘッドフォンみたいなやつで言うと、スピーカーを磁石とコイルに分解するところまでが技法、分解したものを使ってつくったこの装置は作品としています。こういうように作品を作る、っていうことを二段構えの構造で捉えられないかなと思っています。というのも、特にメディアアートでは、作り方と作られたものがごっちゃになっていて。作り方がすごいだけなのに「作られたもの」の方がすごいってなっていたり。その逆もあったり。このことを切り分けて議論してみたいと言うのが一つの動機です。うまくいっているかは、わかんないんですけど。

(八木さん)でも成果が出てるんじゃないですか?学生がどう思ってるのかはさっぱりわかんないです。表現するというところが、すなわち、アート作品、みたいに考えていたりする人がいるんですけど、僕としてはそこは大きな罠で。表現しようとするとあまり良いものができない気がしていて。せいぜい、あるものの中から選ぶというくらいが良い気がしていて。さっきの発明品のリストから選ばせたのもそういうことに近いです。
さっきの「メタ考古学」のときの御影石を切ってくれた石屋さんが関ヶ原にあるんです。京都から2時間くらいかかるんで、その往復するくらいだったらと、電話で「お任せするので良い感じで切ってください」っ言ったんです。「いや、そんな勝手なことをできません」って(笑)。でも、なんとか切ってもらったら、よかったんですよ。僕が意図的に形を選ぶと、たぶんあんまりよくなかったと思うんです。やっぱり学生には作る自由さみたいなものはあまり与えない方が良いのかなと思っていて。再現するとか、トレーニングみたいなものの方が、可能性あるような気がするんですよ。「好きに作って良いよ」っていうと、だいたいあんまり面白くなくて。

 (城さん)それはそうかもしれないですね。デザインの世界ではよく言われることですが、制約がある方がものは作りやすい。それと近いものがあるかなと。
でも、さっき笠井さんが言ったみたいな、それが作品になるのかならないのか問題っていうのは、つきまとう。

 (八木さん)あんまりそれで定義しにくいところではありますね。アーティストか技術者か研究者かって話とも重なりますけど、ジャンルを分けるのってその人の態度じゃないですか。作品って言ってもたいしたことないのに作品っていうときもあるし、すごいものが作品かっていうとそうじゃないと思うんです。そこの線引きは話していてもうまく問題が解決しない感じはしますね。

 (城さん)アーティストか技術者か研究者か、というのが態度の問題というのはわかる気はします。ただ、自戒を込めてでもあるんですけど、僕も作品を展覧会に出すこともあれば、ライブパフォーマンスをすることもあるし、論文を書くこともあって。全然違うことをするわけではなくて、ごく単純に言うと、全部紙のレポートでそういうことをすることもできる。ジャンル分けっていう考えとはちょっと違うように捉えた方がいいんじゃないのかな。

(八木さん)城さんは特にアウトプットのチャンネルが多いですよね。作品でも、論文でも。中心に揺るがないものはもちろんあって、それを人に伝える、表現するために、いろんな手段を持っている。それってやっぱり豊かなことかなと思います。

 (城さん)同時に気をつけないといけないと思っていることもあって、研究の方で作家のふりをしたり、作品の方で研究なんでって言っちゃうと、イソップ物語のコウモリみたいになっちゃって、どこから見てもどっちつかずという残念な方向に行く危険性がすごくあるんです。

 (会場より質問)芸術や美術作品における評価はどのように考えていますか?

 (八木さん)すごい質問ですね。絶対的な評価っていうのは僕はうまく答えられないです。僕の中では「悔しいかどうか」ですね。「うわっこんなことやられた、ちきしょー」っていうのがあると、芸術的価値の高い作品だと思っています。

 (城さん)自分の側からする評価としては、少しアカデミックなやり方になりますが、過去の関連しているものとの対比で位置づけていくという方法があると思っています。いわゆる数値の評価の代わりに、前にあったものはこういうもので、それに対してここで作ったものはこうなっている、と。それは、作品の良さについて数人の被験者を対象に評価実験をするよりは正しいと僕は思っています。

 (八木さん)それは新規性ということですか?

 (城さん)新規性というか、オリジナリティかな?

 (八木さん)そこはちょっと悩んでるとこなんですよね。オリジナリティがあるって言っていいのか。昔先生に言われたことなんですけど、お前の考えているようなことは既に世の中にあると思って制作をしないと、作品なんてつくれない、と。実際、氷のレコードもスウェーデンかどこかのバンドが作ったりしてるし。だから、すごく足元グラグラします。その辺のこと考えると。

 (城さん)違う言い方をすると、それ自体のオリジリティを求めるというよりも、作品の位置づけの仕方に求めていくというか。

 (八木さん)ある人は音楽の文脈に位置付けるかもしれないけど、僕は美術の文脈でいくというか。

 (城さん)自分の言葉(論文)で自分の作品について説明できれば、研究と言えるのではないでしょうか。自分の作品について自分なりの歴史を編んで、破綻のないように見せればいいんじゃないかなと思うんです。じゃあお時間ですね。

 (八木さん)ぴったりですね。

【展覧会ページ】
安野光雅のふしぎな絵本展
2016/7/9 − 8/28

安野光雅のふしぎな絵本展

遊び×芸術×科学 トークイベントレポート2前編

九州大学芸術工学研究院連携企画

「現代においては、過去を考えることが、未来を考えることよりも、より自由な気がする」と題した、アーティストの八木良太さん、城一裕さんによるトークイベントのレポート前編です。シリーズ全体についてはこちらを是非お読みください。(※本文は、本イベントのトークを一部抜粋・編集したものです。)

(アルティアム・笠井)「安野光雅のふしぎな絵本展」とこのトークの関連性なんですけれども、芸術であると同時に、科学へのまなざしというのが非常に特徴的な作家さんで、幅広い学識に裏打ちされた作品を作られています。そのことを出発点に、芸術と科学、遊びなど領域横断的に、今、活躍している方をお招きして、その活動を伺っていくというトークシリーズ企画です。今回お招きした八木良太さんは神奈川県民ホールギャラリーで2014年に開催された個展のタイトルが「サイエンス/フィクション」でした。「ふしぎ」という言葉で切り取ってみても、お二人の創作には、根っこの方で通じるものがあるのかなと思っています。

(城さん)今回は、その「サイエンス/フィクション」の話や、さらに、最近八木さんが東京のギャラリー・無人島プロダクションで開催された個展「メタ考古学」を受けつつ、その解説に書かれていた言葉であり今回の企画名でもある「現代においては、過去を考えることが、未来を考えることよりも、より自由な気がする」について話していきたいと思います。この言葉は、安野さんの初期の作品、僕らが子どもの頃に見ていた絵本をいま、あとがきと共に読み返す、ということに通じるものがあると思っています。
今日は八木さんから作品の紹介をしていただいた後、僕から「車輪の再発明」というプロジェクトのことをお話しします。そして、「phono/graph」という八木さんと他のメンバーと一緒にやっている活動を紹介します。その後は会場の皆さんも交えて、過去と未来を考えていきましょう。

(八木さん)八木良太です。今日は宜しくお願いします。
私は普段、現代美術というフィールドで、主にサウンドやメディアを扱って作品を制作しています。自己紹介がわりに、普段作っている作品のスライドを見せながら紹介していきます。まず、2005年に一番最初に作った作品がこれでした。氷で作ったレコードを制作しました。これはシリコンゴムでレコードの型取りをして、レコードの代わりに水を入れて冷凍庫で凍らせたものを、プレーヤーでかけると、ちゃんと音楽が流れるんですね。

こんな感じで結構クリアに音が流れるんです。これを発見したときにすごくびっくりして。レコードっていうのは、溝をひっかくと音が出るんですね。その音がどこから来るかということがすごく不思議で。その不思議ということをベースにいつも作品を作っている感じです。
次は、カセットテープの球体です。

ノイズみたいな音が鳴っていますが、これは球体に巻いたカセットテープが出している音なんです。プレーヤーって言ってるんですけど、玉を回転させる台を作って、磁気ヘッドというカセットデッキから取り出したヘッドでこすって音を出しています。元々の音を再現するのは極めて難しいです。放っておくと、球の回転する道筋は変わっていくので、始まりも終わりもない。普通はA面、B面があって、直線的に時間が流れていくのに対して、球体にすることでぐちゃぐちゃに混ざる。重なったり、方向も変わったりします。

Animated Clock

Animated Clock

このAnimated Clockは、安野さんのイメージに近いと思っている作品です。フェナキストスコープ、驚き盤とも呼ばれる、アニメーションの原型のようなものです。時計の文字盤を反転させて、スリットから鏡をのぞいてみると、文字盤の数字が回転して、アニメーションに見えるんですね。ただの文字盤に秘められていた動きが可視化されるような作品です。作品の紹介は、こんな感じで。

(城さん)ありがとうございました。次に、僕が今年の春までいたIAMAS(情報科学芸術大学院大学)でおこなっていたプロジェクト「車輪の再発明」を少しご紹介します。

メディア考古学 パーソナルファブリケーション

このプロジェクトは、第3回のゲストでお呼びするクワクボリョウタさんとも一緒にやっていたプロジェクトです。「メディア考古学」と「パーソナル・ファブリケーション」をキーワードとしています。ここが八木さんと共通する、過去を見るというものかなと思っています。
この2冊が各々を代表する書籍なのですが、両方とも読むと色々インスパイアされる本です。まず「メディア考古学」というのは、考古学、すなわち歴史を遡って研究する対象を「メディア」というものに特化させたものです。この10数年、インターネットより具体的にはgoogleのサービスのお陰で、いろんなメディア、例えばビデオや、カセット、プロジェクターなど、の歴史がすごく遡りやすくなってきていて、いろんな知見が明らかになっています。これは、作品を作る側から見ると宝の山のようにも見えます。一方、ファブリケーションとよばれる世界では、3Dプリンタなどの、コンピュータと組み合わせてものを作るツールというのが非常に気軽に扱えるようになった。今までは、工業製品は型を作って、大量に作ってこそコストに見合うものだった。でも、これからはむしろ、小ロットのものをたくさん作る。個々人が必要なものを作っていくという多品種少量生産のほうが理にかなうのではないか。ということが社会的な流れになりつつあります。この作ろうと思えばかなりのモノが作り出せるという状況と、あり得たかもしれないメディアの可能性を示してくれる「メディア考古学」はすごく相性がいいのではないか、と思ったのがプロジェクトの出発点です。
具体的に、学生と一緒にプロジェクトをやってきた中からの成果をいくつか紹介しますね。まずは、ここに実物があるコイルと磁石に分解されてヘッドフォンのような形になっているスピーカー。

学生作品

これはjohnsmithくんという学生の作品なのですが、丸いのがコイルで、この先につながっているステレオのミニジャックをiPhoneなんかにつないで、白い布で覆われた磁石を耳にくっつけてコイルを近づけると音がなるんです。原理としてはコイルに音声信号(電気)が流れることで磁界が変化して磁石が振動する、その振動が耳に伝わることで音として聞こえる、ということで、物理としては当たり前のことが起きているだけなんですけど、体験としては結構意外なんですよね。その他には、クワクボさんを中心に、印刷の技法である網点や写植というものを高輝度のLEDを組み合わせて、別種のプロジェクションの技法を作るということもしています。
これは僕がphono/graphに参加するきっかけにもなったものなんですけど、紙や木、アクリルで作る(予め吹き込まれた音響のない)レコードってのがあります。八木さんの氷のレコードとは、作り方がちょっと違っていて、普通、レコードは音が鳴っている状態を針に伝えて、そこから原盤を作って、その型を取ってという原理でできますが、僕の場合は、音の代わりにAdobeのIllustratorというグラフィックのソフトを使っています。このソフトのジグザグっていう機能を使って、直接波形を絵として描く。描いた絵をペーパーカッターやレーザーカッターという機械に送って、紙や木、アクリルを刻む。そしてレコードプレーヤーにかけると、音がなる。こういう仕組みで作っています。文字通りにはそもそもレコードは「記録」という意味ですよね。でも、このレコードの場合は音が記録されているのではなくて、絵しかないところから音が出るんです。レコードとは言っているけれどレコードではないとも言えるのではないかなあと。で、このようなメディアの別な可能性を実際にものとして作ることって先程お話したような技術的な環境があることですごくやりやすくなってきています。高輝度なLEDだって、せいぜいここ10年くらいのもの。さっきの磁石も1980年代に出てきたネオジムという強力なものです。その意味でレコードも含め、僕らがやっていることは100年前ではできなかっただろうな、と。この、今じゃないと作れない、違う今という、そこに面白さを感じています。

(八木さん)phono/graphっていう活動について補足しておくと、城さん、デザイナーの鈴木大義さん、ニコール・シュミットさん、デザイナー・アーティストユニットのsoftpad、intextの方たちと一緒にやっていて、アーティストの藤本由紀夫さんが発起人です。すごく領域横断的で、アートの人もいれば、デザインの人もいる。城さんみたいに研究者でもある人も。様々な分野の人が入り混じって、みんなでわいわいやって。それこそ、「遊ぶ」感覚に近いです。集まって実験しながらプロジェクトを進めていく。テーマは、音、文字、グラフィックで、その三者の関係性について考えるプロジェクトです。phonographはそもそもエジソンの発明したレコードプレーヤーのことなんです。昨年、レコード自体を作ってしまうという城さんの存在を聞きつけて、じゃあ、この人にはちょっと入ってもらわないとまずいよな、と一番最近入ってもらいました。
先ほどの「車輪の再発明」もそうなんですけどphono/graphも古いものを見つめるという姿勢を大事にしています。最新のテクノロジーももちろん好きなんだけど、「平たく見る」というか。
メディアアートって随分誤解されているような時期があって、今でも誤解され続けているかもしれない。プロジェクターを使って、最新のテクノロジーでインタラクティブなものがメディアアートとイメージされてしまっている。そもそもメディアアートって、言葉自体を考えたときに、メディアそのものについて向き合わないといけないと思うんです。でも、ついついそれを忘れて、テクノロジーにばっかり固執しちゃう。そうはなりたくないと思っています。僕はメディアって、何かを乗せて運ぶ装置のようなものだと捉えています。石に何かメッセージが書いてあれば、石はメディアだと思うし、馬だったり、船だったり、Emailもテレビも手紙も。そういうものを平たく見ることができないと気持ち悪い。phono/graphの活動はそのあたりがうまくバランスがとれていて、エキサイティングなプロジェクトです。
さっき「メディア考古学」というキーワードを城さんが話されていましたが、僕がつい最近開催していた個展のタイトルは「メタ考古学」でした。そこで展示していた作品は、ランダムドットステレオグラムという昔の裸眼立体視のテクノロジーを応用しています。特別なメガネをかけなくても平面が立体に見えるという方法ですね。一昨年に世界遺産を巡って作品を作るという不思議な展覧会に誘われまして、イタリアのValcamonicaという谷にある遺跡に行ったんです。そこには1万年から3000年くらい前の人たちが掘った絵柄がいっぱい残ってるんです。その図像をモチーフに、石にランダムドットステレオグラムのパターンとして貼り付けました。立体視するとさっきの図像が浮かび上がって出てくるという作品です。ランダムドットステレオグラムのパターンが石の模様みたいなんですね。アクリルでカバーしてみると、御影石のピカピカに磨いたような質感になるんです。それを立体視すると、崖に掘られた仏様の絵だったり、アルファベットの元になったものだったりが浮かび上がる。あとは「発掘」ということで、砂を掘って行って音を掘り当てる作品も作りました。どれも考古学的な手法を参照しながら作品を作っていきました。

(城さん)冒頭でも少し触れましたが、その個展「メタ考古学」に寄せられた言葉で、今回のトークのタイトルにもなっている「現代においては、過去を考えることが、未来を考えることよりも、より自由な気がする」、これについてもう少しお話を聞かせてください。

(八木さん)なんで今「考古学」なのかな、って考えていたんです。僕らが小さい頃って、未来のイメージって宇宙船が飛んでて、ロボットがいて、なんとなく明るくて開けたイメージだった。特に宇宙はイメージしやすくて、僕の中では宇宙と自由は、ニアイコールと言って良いくらいなんです。ところが、今、将来を考えるときに、宇宙につながる絵がイメージできないんです。それより古い、考古物とか土器とか、何千年、何万年前の物を目の前にした時の方が、より宇宙が近づいてきた。理屈じゃないんですよね。そういう直感みたいなものを言葉にしています。

(城さん)「車輪の再発明」も、未来に対する違和感が根底にあります。当時のありえたかもしれない未来を今、再現する。子どもの頃を思い返してみると、携帯電話とか全然違うものとして描かれていたりします。今、その携帯電話は作れる。一方、今の技術があればそっち(過去にとっての未来)も実現することができる。それが、今のものと全然違うものになったりする。

(八木さん)昔のことを捨ててしまいすぎているように感じているというか。つい、新しいものに目がいってしまう。でも、最近のドキドキするような発明ってiPhoneが出た時くらい。レコードやカセットには、それよりも大きいドキドキがあった気がするんです。懐古趣味ってわけじゃないんですけど、新しいものも好きだけどそればっかりにならないようにと考えています。

レポートは後編へ続きます!

【展覧会ページ】
安野光雅のふしぎな絵本展
2016/7/9 − 8/28

ニュース&レポート アーカイブ