Local Prospects 3

アーティストのための実践講座アーティストのサバイバル術in Fukuoka レポート〈前編〉

「Local Prospects 3 原初の感覚」会期中に、関連企画として「アーティストのための実践講座」 in Fukuokaを開催しました。当日は、定員を大幅に超える60名以上の参加がありました。ご参加の皆さま、ありがとうございました。また、非常に貴重な講座内容であるため、天野太郎学芸員の了承のもと、レポートとして公開させていただきました。アーティスト必見の注目講座を前編・後編に分けてご紹介します。後編と合わせてご覧ください。
(以下は講座を一部抜粋・編集したものです)

(アルティアム・鈴田)本日は皆さまお越しいただきまして、誠にありがとうございます。現在、8階のアルティアムで「Local Prospects 3 原初の感覚」という展覧会を開催しています。本展は2015年にスタートし、今回で三回目となる展覧会シリーズで、九州・沖縄や周辺地域を拠点に活動する作家を紹介しています。私は三回目から担当している鈴田と申します。公募枠がある展覧会という珍しい形で、公募自体は昨年から始まりました。公募ではポートフォリオによる審査をおこないましたが、そもそも九州ではアーティストにとって必要な情報や実践的なことを学ぶ機会が少なく限られているといった現状があります。そこで、本展の関連イベントではアーティストにとって必要な情報を得る機会を設けたいと思いました。そのような中、横浜市民ギャラリーあざみ野で「アーティストのための実践講座」という企画を開催されていることを知り、今回は横浜市民ギャラリーあざみ野主席学芸員の天野太郎さんに、福岡でもこの「アーティストのための実践講座」をおこなっていただけないかとご相談した次第です。本日は質疑応答も含めて2時間の講義となっております。天野さん、それではよろしくお願い致します。

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(天野太郎さん)初めまして。天野です。これは横浜で開催している講義のフライヤーです。日頃、アーティストや美術館の学芸員、フリーランスのキュレーター、コーディネーターなど、いろんな職種の方と接していて気づいたんですけど、なかなか実践的、プラクティカルな話というのは本当に不思議な話、どこも教えていないんですね。私も多摩美術大学や女子美術大学で教えているんですけども、藝大も全然ダメだし、大学にいたっては、ほとんど実践的なことは教えていないんです。アーティストにとって実践的な話がどこでも聞けないということに気がついて、それであざみ野のスタッフと講座を組まないかという相談を始めました。去年から準備をしていて、これが今年度の講座です。

チラシ

講座の一回目は私が講義をしました。二回目は著作権についてで、現在、一番、音楽、美術に関する著作権に詳しい、福井健策さんという方です。三回目は作品の設置です。作品の設置は、単に壁に絵を掛けるだけじゃなくて、インスタレーションやプロジェクターの設置、あるいはシングルチャンネルだけではなくて、例えば4〜5チャンネルという映像作品の同期をどうしたら良いかなどの設置の具体的な講座ですね。四回目は、僕も知り合いですが、宮津大輔さんという、サラリーマンをしながら個人コレクターという方が講師です。今はサラリーマンを辞めて大学の先生をされていますが、アートマーケットについての講義でした。作品の値段、作品がどういうふうに売買されるかといった話。それからこれからやろうとしている五回目が原万希子さんという、バンクーバーでキュレーターをしていた方の講義です。アーティストが海外でレジデンスをする、あるいは海外の関係者と接する、若いアーティストが否応なく英語で接することを求められる機会が、私が見ていても5年、10年間で増えていると思うんですね。または自分でウェブサイトを立ち上げる時に、日本語だけではほとんど意味がないので、英語でどういうサイトを立ち上げたら良いかなどですね。こちらは3月に予定してます。それから実はもう一つ、まだ載ってないんですけども、助成金のとり方という講義も予定しています。これはかなり実践的で、何が実践的かというと、まずはアーティストの作品の傾向を先にファイリングでチェックをして、その作品に応じて、どこの国のレジデンスが良いとか、助成金をどこから取るかということを作品の傾向に合わせて対策を組みます。多分、一日ではとても終わらないので、二日くらいかけてやろうと思っています。

実は来年は、学芸員やフリーランスのキュレーター、コーディネーターのために、仕様書のつくり方講座をやります。例えば作品を輸送する時に、輸送業者に具体的にどう依頼をするか、あるいは壁一つ立てるのに、どういう仕様書をつくって、施工業者に接するか、などの内容です。何でこういうことをやるかと言いますと、実は仕様書をまともに書ける美術館の学芸員が今ほとんどいなくなっています。業者から言わせると、実際に厚さなども含めてどういう壁をつくるか、ものすごくアバウトに「壁つくって」と言われたりするという話です。壁一つ立てるにも様々な防災上の問題があり、防炎加工をしないとならないなどのレギュレーションがあるんです。そういうことを学ぶ講座が、実はあまりなかったので組んでみようかなと思っています。あるいはアーティストのための税金対策ですね。青色申告をして、どれくらいお金が返ってくるか。ここでは全部言えないのですけど、税の申告をするだけで、いろいろな保険もリダクションができるということがあったりします。そういうことを、とにかくやろうということで連続講座を始めました。福岡と一緒で最初は定員40人くらいと思っていたんですけど、私の回も約100人くらいの人が集まりました。福井さんにいたっては、レクチャーが終わってから一時間くらい個別の相談をしたいということもありました。こういう講座は、皆さんが気づけば、九州でも講師さえ呼べばどこでもできるので広がればいいなと僕は思っています。美術を支えるインフラ、土台そのものは皆さん思っている以上に変わってしまっています。私もびっくりしていて、30年くらい学芸員をしているんですけど、おおよそ30年前とは根本的にインフラが変わってしまいました。今日はアーティストの方の参加が多いと思うんですけども、今日の話を聞いて、ゆくゆく「あ、あのことか」というふうになるのではと思います。いかに皆さんを取り囲む環境が変わってしまったか、現在の現状も含めてお話ができればと思っています。今日の講座も全部聞いたからといって、すぐに優れたアーティストにはなれません。そこのところは皆さん頑張ってください。ただ損をしないとか、知っていれば無駄なことしなくて済んだのに…などのことに、少しでも役に立てば良いかなと思います。

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誰に作品を見てもらうか?

それでは講義を始めます。まず、皆さんが作品をつくって、誰に見てもらうかということがありますよね。例えばここ福岡でしたら、福岡県立美術館、福岡市美術館、福岡アジア美術館などがありますね。その美術館の学芸員が、基本的には見てもらう対象としては身近なところであげられます。じゃあ学芸員であれば誰でも見てもらえるかというと、はっきり言うと見てくれる人と見てくれない人がいます。端折って言いますと、美術館の学芸員は二種類ありまして、これは僕が勝手に付けてるんですけど「乾きものの学芸員」と「生もの学芸員」です。乾きもの学芸員は「専門は明治、大正です」というような大体亡くなった作家を研究の対象にしてる人たちです。乾きもの学芸員は、なかなか生もの=現代美術は見てくれません。自分の作品を見てもらいたい学芸員が現代美術を専門にしているかどうか、ということくらいは調べて、展覧会を見て欲しいと頼むと良いかなというのが一つありますね。

それから、画廊。画廊は二つあります。いわゆる貸し画廊はスペースを貸して、時々企画もしますというものです。貸しながら企画をする人もいます。その場合は、画廊主とすると貸し画廊の収入で、年に一回くらい企画を頑張ってやるというタイプですね。完全に貸しのところもあります。これは借りる人がお金を出して企画するというタイプです。三つ目が、金輪際貸しはせずに企画展をする画廊ですね。東京で言うと、小山登美夫ギャラリー、タカイシイのようなところです。要するに売れる見込みのある作家を集めて、自分の画廊を使って常に企画展を自費でやります。この三つですね。だから画廊もいろんな種類があります。企画をする画廊の場合、向こうも商売でやってますから、すぐにいいよ、じゃあ個展しましょうというふうにはなかなかなりませんが、ファイルを持ち込んで作品を見てもらうということは必要かなと思いますね。

三つ目が美術大学ですね。実は日本の大学も相当危ないです。危ないというか、僕は藝大も含めて美大は全然よろしくないと思っています。もう大学では何も教えてもらえないので、自分でやるしかないと思ってください。一つだけ最大の理由を言うと、大体大学はみんなそうですけど、大学の教師に一線で活躍している人がすごく少ないんです。こんな人に聞いても世の中どうなっているか分からないので聞くのも無駄です。そういうことが一つの理由です。

それから、インディペンデントのキューレーター、批評家など、こういう人に見てもらうのもあります。批評関係では、大学で美術史を教えている批評家や、緩やかに大学の教師に将来なっていく若い批評家たちがいます。特に東大の表象文化論系には、若手の良い批評家が出ていますが、そういう人たちは自分たちで小さい展覧会を組織しています。基本的にはこういう人たちに見てもらう必要があります。

それと展覧会ですね。世の中に見せるとして学生だったら卒展があります。卒展は、昔は本当に学生が卒業するための作品を展示して、それこそ両親や親戚が来て、4年間頑張ったねという場所だったのですが、今や僕ら学芸員も画廊も当然行きますし、青田買いの場所でもあります。卒展の在り方が変わった、ということがあります。それで、ここで一番、先ほど藝大はダメだと言ったのは、卒展の展示が非常に下手なんですね。講評会に行った時にあまりに下手だったので、指導教官を呼んで聞いたら、展示の仕方を全く教えてないんですよ。例えば絵の高さをどれくらいにして展示をするとか。高さというのは意図があるので、極端に高くしたり低くしたりするのも作品に応じてやらないといけないんですけども、そういうことを一切合切教えてないことが判明して愕然としました。だから先程言ったように、展示の施工、設置の時に講師を招いた時も、皆さんから出た質問は「何cmでどういうふうに展示をしたら良いんだろう」というような具体的な相談でした。なかなかそうしたことも教育の現場で教えてもらっていないということがあります。

もう一つは公募展です。日展、院展などの大きな団体以外にも、神奈川では神奈川県展とか、そういうアマチュアもプロも混ざったようないわゆる公募展があります。最近では、それ以外にファイル審査をしながら絞る、現代美術に特化した公募展が増えています。企業がそうした公募展に乗り出していることもありますね。例えば、「日産アートアワード」、あるいは全国の美大生を対象に三菱地所が主体となって開催している「アートアワードトーキョー丸の内」ですね。大賞を獲ると賞金500万円などの賞金が出ます。企業はとても良いマーケティングになるので、財団をつくったり、企業が公募展の担い手になる傾向は増えると思います。コンプライアンスをしっかりしなければ非難を受けるリスキーさはありますが、いずれにしても企業のマーケティングとしてパブリックに寄与することが増えていくと思います。

または自分たちで個展、グループ展を美術館、ギャラリーなどの公的機関で組織するということがあります。とにかく自分たちの知り合い以外の不特定多数の人に見てもらう、あるいは専門的な人に見てもらうような仕掛けをつくっていくのは、重要なことだと思うんですね。例えば、公的な機関でも貸しスペースとして貸している場合がありますね。そういう場合も単に借りて展覧会をするのではなくて、そこの学芸員を呼び出して講評会、あるいはキュレーターのトークをして欲しいとか、その時にたくさんの人を呼んで講演会をすることで一種の社会性が生まれるということがあります。自分たちがやって、なんとなく友だちが来て終わるんじゃなくて、必ず誰かを巻き込んでいくことは必要です。

一つこういうことがありました。公募展に出して、作品を潰された作家の相談事です。出品をする時には、大抵自分で会場まで作品を持って行きますよね。その時に書類を渡されるはずです。うちの市民ギャラリーも公募をやっていて、書類にこういうことが書いてあります。「出品作品については主催者が細心の注意を持って管理しますが、万一、出品作品(額縁を含む)に損傷・損害が生じても主催者はその責任を負わないものとします」と明記しているんです。だから壊れても「ごめんね」ということです。呼んでおいて、ここは出品している間に壊されても誰も責任取ってくれないんだということを覚悟して出すわけです。ところが、神奈川県展が同じような書類を出しています。「搬入受付から搬出までの期間については、作品の取り扱いには十分注意します。また、主催者負担で作品への保険を付保することとし、同期間内の損害について、保険内金額内で保証します。額縁は保証対象外。」と書いていたんです。この神奈川県展で作品を潰された作家から相談を受けて、書類を読み込むとなんとこんなことが書いてあることに気がついたので、これを持ってまず交渉に行ってこいと言ったんですね。どういうことかというと、作品の保険を付保するというのは、自分の作品が仮に10万円くらいの価値があるとして、10万円相当の付保、10万円相当で保険額が入るわけです。事程左様なんですけど、幸か不幸か神奈川県展は今までトラブルがなかったから、ほったらかしにしてたんです。だから極端なことを言うと、「この作品は一億円です」というと、数十万円の金を払わなきゃいけないということになります。ということで、皆さんも公募展一つなんですが、こういう書類を読み込んで、自分の作品がどういう扱いをされるのか、損害の担保が取れるのかをまず読み込む必要があるんですね。そういうことだけでも全然違いますし、この「付保」なんて言葉があると、どういう意味があるのかなど自分で勉強できますよね。

作品の値段について

今度は「自分の作品は10万円です」とする時に、これはこれで実は問題なんです。「誰が10万円と言っているか」ということですね。本人以外、客観的に10万円であるということが証明できるもの、例えばすでに作品を10万円で売って領収書をとっているということは、とても大きいんですね。売ったこともないのに、なんとなく10万円と言ってもなかなか辛い、それは結構指摘されます。作品の値段はこれだけ覚えておいてほしいんですけど、使った素材、あるいはかけた時間と値段とは何の関係もありません。使った素材が高いから作品が高いというのは、極端なことを言うとありえない。例えば、10万円のダイヤモンドを一個使ったので、最低10万円はしますと言っても、その10万円のダイヤモンドは、ダイヤモンドとしての市場価値、交換価値がありますが、それを作品にくっつけて、作品として考えた時には、はっきり言って10万円の値段をつける根拠には実はならないんですよ。それは考えていただければ分かると思うのですけど、マルセル・デュシャンの便器は便器ですからね。しかもあれはオリジナルがないにも関わらず、レプリカでも数億円する。だから便器は普通ならとても安いものなんだけれども、作品に変わると全然意味が変わりますし、トニー・クラッグはゴミを集めて作品をつくりますが、ゴミですから基本的にはタダですよね。だけど、クラッグの作品は一億円以上します。そうすると、その素材が高いか安いかは関係ない。あるいは「一年かけて頑張って制作したので、普通なら月20万円くらいの給料をもらっているとして、×12で240万円かな」ということもアウトです。美術作品は一度売ったお金を下げることはできない。これも覚えておいてください。「売れないので下げます」のバーゲンはありません。どうしてかと言うと、100万円で買った人がいた場合、その100万円で買った人からすると「どうして50万円で売るんだ」となるので、これはある種の紳士協定みたいなものです。若い頃の奈良美智や村上隆の作品を買った人がサザビーズやクリスティーズに出して、第二の手を経由して市場に出た時に、億を越してしまったので、これはものすごく深刻な問題になるわけです。プライマリー、最初に新作を出して売った値段に対して、セカンダリーと言いますけど、セカンドハンドと一緒で古本屋と一緒ですね。画廊にしても作家にしても、もうセカンダリーで億になってしまうと最初のプライマリーを上げていかないといけない。それで、売れなくなっても値段を下げられないということで、非常に厳しいことになりかねないという仕掛けがあります。ですので、作品の値段をつけるのは、よほど良く考えないといけないということがあります。これは一人で決めるのではなくて、画廊や関係者と必ず相談しながらつけるべきだと思います。

美術館を取り巻く現状

次にそもそも画廊、美術館、大学も大丈夫なのかということ。これが、アートシーンが変わってきた大きな理由です。美術館は全然大丈夫じゃないんです。一つの理由は、80%の日本の公立美術館は過去10年、下手すると15年、作品を購入できていません。これは地元の福岡市美術館協議会の会議録ですけども、ここにそういうことが書いてあります。「美術品の購入予算はこの美術館ができた当初から徐々に減っているが、学芸員の努力や今までの経験の中で質の高い寄贈作品が毎年数多くある」物は言いようなのですが、つまり作品が買えていないんです。予算がこれから増えるかというと増えません。増えない理由は、公的資金の税収自体が減っているので増えるわけがないんです。税収が減るというのは、人口が減るし、高齢化が進んでいるからですね。だから福岡も北海道も全国の美術館は、過去10〜15年、ほとんど作品を買えていない。ということは作品をつくるアーティストからすると、美術館は自分たちのマーケットや買い手にならないということですよ。北海道もこの10年間に渡って、購入による作品収集はおこなえていません。5億円の基金を持ってはいるんですけども、一切使えない。一億円使うと一億円補填しないとならないんですね。だから事実上、5億円を持ってはいるんですけど何もできないという、これが美術館の現状なんです。ところが一方で、国立だけは国民が知らないだけで作品を買っています。国立の美術館は、東京の国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、博物館はもちろん九州にもありますけど、美術館はこの4つです。(※国立新美術館はここでは含みません)

国立美術館は、昨年は年間30〜40億円で現代美術も含めて良い作品を買っています。これだけだといいように見えるんですけど、オリンピックが終わるとこの予算はなくなります。それからもう一つは、そもそも若手の展覧会を積極的にやる予算がありません。僕も横浜美術館に30年ほど勤めたんですけど、実は定年間際であざみ野に手を挙げて移りました。理由は、あざみ野では年に二回、展覧会が間違いなくキュレーションできるんです。逆に言うと、美術館にいても若手の展覧会ができないんですよ。僕はあざみ野で初期の石川竜一の個展を企画したんですけども、そういうことが即座にできる良さがあります。こういう中間的な支援をする市民ギャラリー系もありますし、割と小規模な美術館なんだけれども積極的に現代美術をやってるような、例えば富山の黒部市美術館や栃木の小山市立車屋美術館という、冒険的な展覧会をする施設があります。実は私も来年そういう小規模な、でも若い作家を支えているような場所と緩やかに組んでみようかなと思っています。いずれにしても皆さんを支えるためのインフラ、一つは美術館がとても危うくなっています。将来的に新しいスキームをつくらないと日本の美術館がかなりしんどいことに追い込まれるのはもう目に見えています。

それから例えば、横浜トリエンナーレなど全国で芸術祭がありますよね。ビエンナーレ、トリエンナーレに必ず謳い文句で入っているのは、「世界の新しい美術を紹介します」と書いてあるんです。でも、実は世界で一番新しい美術を見たかったら、アートフェアに行く方が早いんですよ。例えば、香港のバーゼルのアートフェアとか、あるいはスイスのバーゼルのアートフェアとか、アーモリーショーなどですね。そういう市場がどんどん拡大しています。アートフェアの売り上げも上がっています。美術市場で一番大きいのは中国で、2016年のデータで約2,344億円くらいですね。次にアメリカ、イギリスで日本が9位で46億円くらいです。最近、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品が500億円で売れましたけど、ああいうことは時々あると言えばあります。マスターピースの作品が出てきて高く売れる。皆さん良くご存知のように、印象派やゴッホはほとんど今は収まるところに収まっているので、なかなか市場に出てこないんです。オルセー美術館、ルーヴルも持っていますし、世界中の美術館が持っているので、なかなか理由がない限りは表に出てこない。今、表に出てくる作品というのは、どんどん現代の時代に近づいてきています。世界中が血眼になって探している作品は、日本の1960〜70年代の作品です。ですので、日本の白髪一雄や白髪さんがやっていたような60〜70年代の全然、誰も買わなかったような作品が今は数億円で売れるようになっています。それから、もの派の作品ですね。当時とてもじゃないけど売れなかった、もの派の作品を世界中の美術館が血眼になって探していて、現にテートモダンやニューヨーク近代美術館に行くと、もの派のセクションがあるんですよ。そういうふうにして美術市場は日本に肥大してるんですけど、なかなか日本の美術市場は大きくならないという現状があります。大きな画廊はニューヨークに画廊を持ってますし、最近オオタファインアーツも上海に画廊を出しました。これはつまり海外に店を出さないと、日本ではなかなか生き残っていけない時代になっているという意味です。先程と同じ話なのですが、国別では中国、次にアメリカ、イギリス。ここで「売り上げの総額の72%を占める絵画はコレクターに人気のある領域です」とあるんです。こういう報告があると、みんな途端に絵を描きだすんですが、とにかく美術市場は拡大しています。

ジャンミシェル・バスキア / 1982年 /「無題」 作品は1984年に収集家夫妻が1万9000ドルで購入、2017年に1億1050万ドル(約123億円)で「ZOZOTOWN(ゾゾタウン)」を運営するスタートトゥデイの創業者、前沢友作が落札した。

ジャンミシェル・バスキア / 1982年 /「無題」
作品は1984年に収集家夫妻が1万9000ドルで購入、2017年に1億1050万ドル(約123億円)で「ZOZOTOWN(ゾゾタウン)」を運営するスタートトゥデイの創業者、前沢友作が落札した。

バスキアは有名ですよね。最近、ZOZOTOWNの社長が作品を買いました。このバスキアの作品は、1988年には3万5千ドルですから、4万円くらいかな。それが30年くらいで120億円くらいになってしまったことを見ても、上げ率が全然違います。そもそもバスキアが120億円も出して買う価値のある作家かどうか、という問題があると言えばあるわけです。昔は、それこそゴッホやマネ、モネの作品が高かったんですね。それがしかるべきところに入ったので、少しずつ時代が上がってきた、時代が近づいてきたということがあるんです。例えば、フランシス・ベーコンというイギリスの作家の作品も155億円です。つまり、19世紀から20世紀初頭の作品がもう買えなくなったので、市場はどこに移っているかというと、1960年代くらいのところに市場が移っているわけです。オークションの値段は、とにかく会場で誰かが100億円というと、誰かがいやいや120億円だと言ってどんどん値段が上がっていくわけですね。値段の根拠はあるようで全くないわけです。だからそれが妥当かどうかと言われても、僕らからすると「高いと思うな」ということがあります。ピカソの「アヴィニョン」のシリーズで一番良くない作品でも140億円で売れたりするので、逆に言えば、美術史的な価値が市場に追いついていないということがあります。そうこととお構い無しにどんどん値段は上がっているという現実が一方であるわけです。

事業を拡大するメガギャラリー

画廊が大丈夫なのかということですが、メガギャラリーがより事業を拡大して、中小規模ギャラリーが閉鎖し始めています。これは皆さんにとっては関係ないと思うかもしれませんが、すぐに関係してきます。例えば、ものすごく規模の大きなメガギャラリー、ニューヨークではガゴシアンギャラリー、イギリスはホワイトキューブ、スイスはハウザー&ワースといったギャラリーです。こういうところは、ものすごくリッチで資金を持っています。他にもありますけど、これらの20〜30くらいのメガギャラリーが何をしているというと、近隣の大きな工場や大きなスペースをリノベーションして、美術館と見紛うようなスペースをつくっています。皆さんがもしニューヨークに行く機会があったら、チェルシーというエリアに足を運んでみてください。昔、肉の解体所だった場所で、「ブラック・レイン」(1989年)という映画に、肉を吊るしている工場の中がシーンとして出てくるんですけど、あれが昔のチェルシーです。今や画廊街で、その一角に、ガゴシアンギャラリーが本当に美術館と見紛うような、2,000平米くらいのものすごく大きなスペースを持っています。僕も2年前に行った時に、そこで大きな展覧会を観ました。17〜20世紀のペインティングの展覧会で、しかもキュレーターが元MoMAの絵画部の部長がやっていました。それからアップタウンと言う地域なんですけど、ガゴシアンのもう一つの会場では「In the Studio」という、作家のアトリエやスタジオがテーマとなった写真の展覧会がありました。この写真展もMoMAのピーター・ガラシという写真部の部長によるキュレーションでした。チェルシーの絵画の展覧会は、どう考えても10億円くらいかけて展覧会をしているんです。オルセーやメトロポリタンなどの美術館から作品を借りてきて展覧会をしてるわけです。ところがこの展示は無料で見れるんです。カタログは高いんですけれども、展覧会は無料。実は、今こういう傾向が増えています。先程言ったように、ホワイトキューブもハウザー&ワースも、メガギャラリーがどんどん大きな展覧会を組織して無料で提供しています。変な話ですが、ニューヨークでそういう展覧会に行って、「たまたま見れてよかったね」となった後、ではいよいよMoMAグッゲンハイム美術館に行って、新しくなったホイットニー美術館に行って…と三つぐらいの美術館に行くと、75ドルぐらいなので、8,000円くらい使わないといけないわけです。メトロポリタン美術館に至っては、400億円の赤字を出しているので、いよいよ来年から25ドルの入場料になります。ひょっとしたら30ドルになるかもしれない。そうすると普通に展覧会に行くだけで、2,500〜3,000円かかるわけです。

一方で、コマーシャルギャラリーは、美術館と同じような展覧会を、しかも無料で提供しています。この「10億円の展覧会がどうしてできるんだろう」という理由は明らかです。実は出品作品の3〜4点をセカンダリーで売るとお釣りがきます。彼らは4〜5点を必ずクリスティーズで売るので、そうすると大体40〜50億円になり、10億円くらいの展覧会はいとも簡単にできることになります。それから私が学芸員になった当初にはありえなかった話ですけど、美術館の学芸員が画廊のディレクターになるケースが今、すごく多いんです。昔は、やはり最終的にはみんなMoMAのキュレーターになりたいわけなので、画廊で一生懸命頑張ってMoMAの学芸員になった人はいます。でも、その逆はありえなかったんですが、実は今はあるんです。どうしてかというと、MoMAにいてもなかなか展覧会をさせてもらえないけど、ガゴシアンだと展覧会ができるわけです。しかもちゃんと潤沢なお金もあるような時代になりました。チェルシーで27年間経営してきたアンドレア・ローゼン・ギャラリーは、ヴォルフガング・ティルマンスなんかも扱っていて、僕も結構世話になったんですけど、ここはもう新人はやめて乾きものオンリーのギャラリーになります。

アメリカの場合は、アーティストには非常に大きな問題なんですけど、ある程度の業績を上げて活動した作家が亡くなると、遺族、つまりエステートのファンデーションがすぐに立ち上がります。その場合、画廊がマネージメントをします。例えば、ティルマンスが仮に亡くなったとして、エステートのファンデーションを立ち上げる時に、画廊はもちろん、営利、商売なんですけども、ノンプロフィットのオーガナイゼーション(NPO)の手伝いをします。これをどうしてすぐに立ち上げるかというと、著作権を全てそこでコントロールするので、遺族に著作権のロイヤリティーが入ってくるんです。だから、作品やそれにまつわるコピーライトも全部管理します。我々も亡くなった作家に交渉をする時は、そのファンデーションに作品の貸し出しを依頼します。日本では、その制度が整ってないので、物故作家で作品をどうしようかということは結構深刻な問題になっています。例えば、松田豊というコンセプチュアルな作家がいるんですが、松田さんが諏訪湖の近くにアトリエを持っていて、そのアトリエに三千点くらいの作品が未だにそのままの状態で置かれているんですね。その作品を東京都現代美術館が最初に引き取りに行こうとしたんですけど、その作品は、松田豊というアーティストが何気に置いたのではなくて、いわば展示をしたように置かれていました。しかも皆さんからすると不思議に思うかもしれないけども、埃が溜まっているんですけど、それも取っていいのかどうかも分からないんですよ。そこで、都現美は諦めたわけです。そうこうしてるうちに、今度はヨーロッパやアメリカの美術館が、作品を売ってくれと来ました。実は、70点のドローイングのシリーズがあるんですが、これを全部売ると23億円くらいになっちゃうんですね。そこで、何が大変というと、仮に23億円で売ってしまうと、残り二千何点も全部、価値が定まってしまうんです。税務署は「ゴミと思っていたけど、あんなものに価値があるんだ」となって、つまり作品が課税対象になってしまうんです。そうすると、多分100億円以上の税金がかかるので、遺族は税金を払えなくなるんですね。固定資産税を納めることができないので、作品を廃棄するしかなくなる、あるいはどこかに物納するしかない。アメリカの場合は、割と建国以来やってきたことなので、そういう管理はうまくいってるんです。

いずれにしても中規模な画廊が競争に勝てなくなり、閉じている現状があります。先ほど紹介した展示の「In the Studio」は、17世紀オランダのネーデルランドの歴史的な絵画も展示していました。ヨーロッパの場合は、テートも今コレクション展示だけであれば無料です。ナショナルギャラリーも無料、フランスはちょっと払わなきゃいけないけど、ドイツも基本的には無料ですが企画展は払わなきゃいけません。大体20〜30ポンド、2,000〜3,000円払わないといけない。そういうふうにして、プロフィット、営利目的の方がパブリックな活動をむしろ自分たちのマーケティングのためにし始めてるということが増えています。

ヨーロッパ・アメリカの美術館の事例から

日本の美術館が金輪際、作品を買えないということで、美術館が危ないという話はしましたよね。実はヨーロッパでも同様の問題があります。この間、日本に「バベルの塔」の絵画作品が来ました。あの作品を持ってるのは、オランダのロッテルダムにあるボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館です。13万点くらいのコレクションを持っています。レンブラントも持っていますし、現代美術の作品も持ってます。僕はこの美術館に仕事で二年前に行ったんですけど、館長と話をした時に、「どんな作品を最近買っているんですか」と聞いたら、「天野、知らんなぁ。ヨーロッパの美術館はどこも購入予算はゼロだよ」と言われました。テートモダンもボイマンスもゼロです。ものすごく胸を張って言われるので、どういう意味かなと思ったんですけど、いずれにしても日本とある意味で同じで予算がありません。だけど実はもう手を打っています。これはボイマンスがこれから新しく建てようとしている建築現場です。

ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン所蔵庫の起工式 2017年5月  http://depot.boijmans.nl/online-tour/ ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館 (Museum Boijmans Van Beuningen) はオランダのロッテルダムにある美術館。中世ヨーロッパ美術から近代美術まで126,000点を所蔵している。ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館は、コレクターのFrans Jacob Otto Boijmans (1767-1847) が1841年に自身のコレクションをロッテルダムに寄付したものが基礎となっている。その後、1958年にはダニエル・ジョージ・フォン・ベーニンゲン (1877-1955) が自身のコレクションを寄付し、それによって「ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館」という名前になった。

ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン所蔵庫の起工式 2017年5月
ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館 (Museum Boijmans Van Beuningen) はオランダのロッテルダムにある美術館。中世ヨーロッパ美術から近代美術まで126,000点を所蔵している。ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館は、コレクターのFrans Jacob Otto Boijmans (1767-1847) が1841年に自身のコレクションをロッテルダムに寄付したものが基礎となっている。その後、1958年にはダニエル・ジョージ・フォン・ベーニンゲン (1877-1955) が自身のコレクションを寄付し、それによって「ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館」という名前になった。

ここに5階建ての建物をこれからつくります。360億円のお金を企業から集めたり、クラウドファンドで集めていて、二回ほど頓挫してますが、頑張ってお金を集めて着手しようとしています。これはどういう建物かというと、5層の建物なんですが、4層が収蔵庫です。収蔵庫は本来見せたらダメなんですけど、収蔵庫のコレクション、絵の掛かったラックを引きながら、自分で作品を見ることのできる施設を建てようとしています。ボイマンスが自分たちの持っているコレクションを見せたいというのが大きな目的ではなくて、世界中のコレクターと組んで、ボイマンスは今コレクションを増やしています。つまり、自分たちが買えない作品を個人コレクターに買ってもらうわけです。それを寄贈してもらうか、ローンと言って、預けてもらうかです。この預けてもらうというのは、個人コレクターと美術館にとってはウィンウィンの関係になります。コレクターはお金持ちなので作品を買うこともできますが、作品を保管する場所を確保しないといけない。これには結構なお金がかかるんです。それを美術館が無償で、収蔵庫で預かってくれる。その代わりに美術館はその作品をコレクションとして活用させてくれという話です。作品の一つとして紹介したり、海外の美術館が欲しいという時には貸し出しをしたり。美術館側は貸すという行為はメリットがあって、貸す度にキュレーターが作品と一緒に飛行機で着いて行くので、向こうのお金でいろいろ調査ができるんですよ。良いコレクションを持っていれば持っているほど、世界中から貸してくれと言われて、そのキュレーターは自分の予算を使わずに、海外に行って調査ができる。余計な話ですけど、ビジネスクラスで行けます。その代わりドアtoドアで、作品に張り付いてないといけない。トラックに乗るは、飛行機も同じものに乗ります。降りたところでトラックに乗って、美術館まで着いて行くという仕事はやらないといけないんですけど、その代わり調査活動ができるということがあります。コレクションを持っているというのは非常に強いわけです。ヨーロッパの美術館は予算がなくなったけれども、コレクションをストップせず、コレクターと組んでコレクション形成を始めています。この5層のうち、最上階はどう使うかというと、個人コレクターでも、「寄贈なんてめっそうもない、貸すのも嫌だ、だけど俺のコレクションは見せたい」という欲望を持っているコレクターは世の中に沢山いるので、そういう自分のコレクションをきちっと見せたいという気持ちにボイマンスはお応えするわけです。つまりキュレーターを立てて、その人がコレクションをキュレーションします。カタログも編集してつくります。展覧会もキュレーションするので大体、展覧会一本で6千万円とります。これを年間に4本やることで4億円くらいボイマンス美術館は儲けるわけです。それでお金を集めて、また作品を買います。そのために、この建物を建てているわけです。

2011年と2014年に横浜トリエンナーレの担当をしたんですが、テートモダンの学芸員からメールが来て、コレクターのツアーがあるので、アテンドをして欲しいと言われて二回程アテンドをしました。テートのキュレーターの後ろに15人くらいのコレクターがいて、その人たちの関心は日本の美術だけでした。テートはアジア、東南アジア、東アジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南アフリカなど、セクションごとにコレクターのグループを組織しています。その時は、横浜トリエンナーレなので、いろんな国の作家を展示していましたが、彼らは全く関心がない。一応、「横浜トリエンナーレは2001年から始まって…」など言いますよね。そしたら、いきなり手を挙げて、「そんな話はどうでも良いからどれが買いか教えてくれ」と言われました。そこで、とにかく日本の作家のところに連れて行くわけです。八木良太の展示に連れて行って、「これは良いのか?」「良いと思うよ」「買えるか」「ここでは買えないけど」「どこで買える?」というそんな話をどんどんされるわけです。彼らはそれで作品を買って、テートに寄贈します。MoMAは年間3〜4千点コレクションを増やしていますが、ヨーロッパの美術館、特にイギリス、オランダ、ベルギーはコレクターが代わりに買ったものでコレクションを増やしてるわけです。これは何を意味しているかというと、皆さんの作品を買う相手は美術館ではなく、コレクターがファーストコンタクトになる可能性が増えていくということです。

これは実際にあった話ですが、青木千絵という漆で彫刻をつくるアーティストがいます。彼女は金沢美術工芸大学で講師をしているんですけど、三年前に金沢のアトリエに一本のメールが来ました。聞いたことも見たこともない人で、アラブの石油王とは言わないけど、そういう関連の人で、「ウェブサイトで君の作品を見た。作品が欲しいので来週会いに行ってもいいか?」という内容です。そして、個人用のジェット機で本当に飛んできたんですよ。それで「いくら?」と言ってきた。彼女は、結局は理由があって売らなかったんですけど、インターネットの時代では、本当にこういうことが起こりうるわけですね。要は、美術館がかつては作家のところに行って、画廊を通して買うというようなシステムだったのが、これから増えてくるのは個人コレクターに代わって画廊が来るか、個人コレクターと一緒に美術館が来るかということです。これは減りません、増えます。アメリカの美術館は、そもそも公的な美術館なんて一つもないんです。ワシントンのナショナルギャラリーだけが純粋な国立美術館で、MoMAもメトロポリタン美術館もファンデーションは組んでますが、そもそもはプライベートミュージアムです。ですので、アメリカの美術館は、設立当時から寄贈で形成してきました。数十億円の作品も、アメリカの資産家たちは、社会的な名誉になるので盛んに購入してきたわけです。つまりアメリカのやり方をヨーロッパの美術館も真似ようとしています。ところが日本の美術館がどうしたいのか、何にも方向性が示されないので、ただ買えない時間だけが流れています。皆さんもウェブサイトを立ち上げる時は、日本語だけじゃ結局は誰も見てくれないので、英語でステートメントもきちんと書いておくと必ず誰かに見てもらえます。見てくれる相手が日本人でない可能性が増えてるわけですね。それにどういうふうに対応するか、ということに迫られていくと僕は思います。そういう例が実際に増えています。だから皆さんを取り巻く環境の一つである、「誰が作品を買うのか」という買い手の構造が変わってきたということがありますね。

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後編へ続きます。

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アーティストトーク〈山下耕平〉レポート

11/12に開催した山下耕平さんのアーティストトークのレポートをお届けします。山下さんは本展で、2014年以降の絵画作品9点を展示しています。今回のトークでは、山下さんの制作の過程や過去作品を画像を交えながら、先日紹介した三輪さんと同様、担当ディレクターとの対話形式でお話しいただきました。会場内の様子とあわせて是非ご覧ください。
(以下はアーティストトークを一部抜粋・編集したものです。)

(アルティアム・鈴田)山下さんのトークは、今回の展示作品を中心に、その制作過程をご紹介します。過去作の画像もたくさんお持ちいただいてますので、まずは展示作品についてお話をして、時間があればこれまでの過去作品もご紹介できればと思います。

《知らない道、迷走、時間がない》2014年 66×55cm アクリル、カラーインク、パネル ©YAMASHITA Kohei

《知らない道、迷走、時間がない》2014年 66×55cm アクリル、カラーインク、パネル ©YAMASHITA Kohei

まず、展覧会の構成は《知らない道、迷走、時間がない》という作品が起点になりました。山下さんの作品は、人物像が画面に1人で描かれている構図が多く、人物の顔の表情や荒々しい筆の運びが印象的です。今回は特に近年の作品を展示するということで、作品の特徴がよく表れたこちらの作品を展示することになりました。

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そしてこちらは山下さんのアトリエの風景ですね。

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(山下耕平さん)この中でいうと、《知らない道、迷走、時間がない》の作品は、右下の横長の作品です。こういう感じで描き始めて、割と下書きなどを考えて始めるというよりは、描く前に気持ちだけを決めて描き始めて、描きながら、消して描いて繰り返しながら、その気持ちの絵になるように探りながら、つくっています。

(鈴田)過程を見ると、この作品は相当な移り変わりがあるのですね。まず縦長の作品なのに、横長のサイズから始まっている。この状態では完成した姿が全く伺えないですね。

(山下さん)いろいろと画面を切ってしまったり加工をします。

(鈴田)なるほど、では横画面を切ってしまって、縦構図に途中から変えたというわけですね。分割することは、結構よくすることなんですか。

(山下さん)割とよくしますね。

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(鈴田)どんどん上から潰して描いているんですね。

(山下さん)はい。そして段々と近づいてきて、出来上がりました。

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(鈴田)アトリエには作品が沢山並んでいますが、いつも同時進行で描いているんですか?

(山下さん)そうですね。いつも平行して進めています。

(鈴田)筆を置くタイミングはどういう感じで決めているのですか。この方法で言えば、結構何回も描けてしまうわけですよね。描き終わってからやっぱりもう一回変えようかなという気持ちはあったりしますか。

(山下さん)自分が落ち着くところで終わるっていう。だからもう一度、描き直すということはないです。

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(鈴田)山下さんの作品はタイトルもすごく素敵だなと思うんです。《あげくにはてな》とか《シーユーレイター》とか、情景が浮かびますね。このタイトルは絵が完成した後に考えています?それとも描きながら考えているんですか。

(山下さん)いろいろなんですけどね。《知らない道、迷走、時間がない》はもともとタイトルありきで考えていて、こういう絵になるかなと構想しながら、描いています。

(鈴田)じゃあタイトルありきでそこに向かっているというような感じなんですね。全部の作品がそういう感じですか?

(山下さん)半々くらいです。タイトルは、今自分が置かれている、その時うまくいかなかったりというような、いろんな感情を言葉にして、そういうタイトルがあるなら、どういう絵になるんだろうっていうようなところからきている感じですね。大学の時には、音楽からそのままタイトルを持ってきたりという描き方をしていたんですけど、途中からは曲は自分のものじゃないしということで止めました。

(鈴田)こちらはアルティアムの展示の最初に展示している小作品ですけど、こちらは額も作品の一部というものですね。

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(山下さん)はい。額から作っています。その枠に絵をはめるという作品ですね。自分はあまり一発で描いたりというのができないので、下書きをまず鉛筆で描いて、その下書きをパーツごとに切って、写して、そこに色を乗せていきました。

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(鈴田)ポストから手紙が出ているイメージで、これは新作にも繋がる作品です。手紙=コミュニケーションの象徴ということで、山下さんの作品にはよく「手紙」がモチーフとして登場します。こちらは《帰り》という作品です。

展示風景 左:《徒歩40分気分》、右《帰り》

展示風景 左:《徒歩40分気分》、右《帰り》

(山下さん)さっきの作品と同じように、下書きで描いたものを上に当てて、シルエットだけをとってます。

(鈴田)画面を見ると、少し段差がついているので会場で確かめてみてください。パズルみたいにくり抜かれていて、最後に裏からパーツをはめるという仕掛けです。

(山下さん)一つの板に描いた絵を後ろからはめ込んでいます。

(鈴田)山下さんは大工的な仕事がすごく上手ですよね。設営でも絵の接合を着々とされていましたけど、元から得意なんですか。

(山下さん)嫌いじゃないですね。

(鈴田)いろいろと技法も試されているのですごいなと思って見ていました。この作品(《徒歩40分気分》)はさきほどの作品と対になっているものです。

(山下さん)これは《帰り》という作品が外から見た状態だと考えて、こちらは、内面が外から見えてしまっているような状態です。

(鈴田)人物によりクローズアップして描いているわけですね。

(山下さん)はい。さっきのシルエットを拡大してそれを板に写して、それをくり抜いて、それをまた別の板に貼り直してという感じで作ってます。

(鈴田)表と裏、人物の外と内というような構造が描かれています。さて、どんどんいきます。次は《どうかしてた》という作品で、会場の右の方に展示してる作品ですけども。

(山下さん)これは細い一ミリ角くらいのヒノキの棒があるんですけど、それを曲げたり切ったりしながら、線を描いて顔を描いています。ノートにもともと描いていた下絵があって、それを拡大して作品にしました。ボンドで留めて。そしてその上から絵の具を塗っています。同じシリーズで4点あります。

《どうかしてた(midnight)》(部分)

《どうかしてた(midnight)》(部分)

(鈴田)毎回展覧会ごとにいろんな技法を試されているので、こちらもその一つという作品です。そしてこちらは《頼りない返事》という作品で、今年描かれた作品です。

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(山下さん)絵の具を細く出せる先が細いチューブ状のものがあって、それに絵の具を入れて、それで線を描いています。

(鈴田)今日も来場された方が、これはどうやって描かれているんだろうとかなりじっくり見られていました。大体、絵を一枚描くスピードってどのくらいなんですか。

(山下さん)割と最近の作品は1日とか、何時間かですね。早く仕上げるようにしてます。

(鈴田)次に《あげくにはてな》という作品ですが、この作品もノートのスケッチがベースになってるんですね。

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(山下さん)はい。普段こういうふうにノートに、その時の気持ちでいろんな顔を描いてるんですけど、それが一番自分に近い表現だと思っています。それを作品にする時に、同じくらいの気持ちのこもり方で表現したいなとは常に考えていて、そうするにはどういう道具を使ったら描けるのかということを考えているんです。

(鈴田)様々な技法を意欲的に試していって、その集大成として今回の新作《シーユーレイター》に繋げているわけですね。2×4mの大作ですが、よく見ると作品が分割されていてパーツを会場でつなぎ合わせています。これは最初の構想からこういうふうにしようと思っていたのですか。

《シーユーレイター》

《シーユーレイター》

(山下さん)そうですね。これも同じように下書きを紙にして、それを画面に置いて描いています。ぼんやり完成形を頭に浮かべて、なるべく一発勝負で描くようにしてます。

(鈴田)気づかれた方はいらっしゃるかなと思うんですけど、実は隠れた人物が画面の見えないところに隠れているんですよね。是非、会場で探していただけたらと思います。
またせっかくなので、過去作品もお見せできたらなと。これは2003年の作品です。

《A SILENT STREET, LITTLE CHILDREN》 92×117cm 油彩、油性マジック、画布 ©YAMASHITA Kohei

《A SILENT STREET, LITTLE CHILDREN》2003年 92×117cm 油彩、油性マジック、画布 ©YAMASHITA Kohei

(山下さん)これは大学に入って1年生の時に初めて作品としてちゃんと絵を描いた作品で、油絵で描きました。

(鈴田)かなり今とは違う作風と思いますけど、この時はどういう影響を受けていたとか、どういう背景で描かれてますか。

(山下さん)この時はもう本当に何も考えてなくて、好きな絵を大きい画面で描く、描けるっていう楽しさだけですね。

《ファンレター》2009年 88×53cm アクリル、カラーインク、木製パネル ©YAMASHITA Kohei

《ファンレター》2009年 88×53cm アクリル、カラーインク、木製パネル ©YAMASHITA Kohei

(鈴田)この時代の作品に惹かれるという方も多くいらっしゃるかと思うんですが、山下さんはどんどん作品が変換していくという作風です。ただ、こちらは2009年の作品ですが、やはり手紙を出してるという構図は変わらない。過去の作品を今見るといかがでしょうか。

(山下さん)その時しか描けない、今描きたいことをずっと残していきたいと思っていて、なので、その時にその気持ちで描いたものが残っていくというのが自分にとって一番意味があります。過去に描いたものについては手を加えたりはしたくないなと思っています。

会場から質問

(お客様A)1日で描いてしまうことが多いということだったんですが、それはどうしてですか。

(山下さん)昔は何ヶ月も何年もという時間のかけ方で描いていたんですけど、そしたら最初に描き始めようと思った気持ちがどういう感じだったのか分からなくなってきたんです。そこで、できるだけその時の気持ちを込めたいと思っていて短時間で描くようにしています。

(お客様B)今回2014年以降の作品を展示されていたんですが、なぜその期間の作品を展示したのでしょうか。

(山下さん)はっきりとしたこうだという理由は特にないんですけど、気持ちの面で、自分の中で微妙な線引きがあります。「ここから」、「これは違う」という感じなんですけど、そういうものがあったので、そこで2014年以降の作品にまとめて展示しようと決めました。

(鈴田)今回の展覧会にあたって、今、大きな作品を描いてみたいと思っている、ということを山下さんから聞いてとても嬉しかったです。しかし、大きな作品にトライしようと思ったきっかけは何かあったんですか。

(山下さん)そうですね。作品を作る時は、その時自分がそういう感情で、どういう気持ちなのかということが一番描く上で大事だと思っていて、そこからこういう絵にしようというのを考えてやってきてるんですけど。例えば、今回出品している作品でいうと、棒を使ってみたり、板をくり抜いてみたり、この気持ちを表現するためにどういう表現方法があるんだろうって思いながらずっとやってきて、そういったことをやりきった、じゃないですけど、だんだん作品化する時に自分でハードルが高くなってきて、出口が狭くなってきていたところで、今回のお話をいただきました。テーマが「原初の感覚」ということで、ちょうど自分の心境と重なる部分があって、深く考えずにその時描きたい絵を素直な気持ちで描けたのかなと思っています。

(鈴田)今回の展覧会で原点回帰というか、描きたい衝動を取り戻したり、気持ちを高めたりすることができたなら、とても嬉しいです。

描きたいと最初に思った、その時の自分の気持ちをどのように表現するか、ひとつひとつを選びながら話されていた言葉からは、作品制作への真摯さ、誠実さが伝わってきました。凹凸があったり厚みがあったり人物が隠れていたり、近くで見ると新たな気づきがある作品も多いです。ぜひ、実際に会場でご覧ください。

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アーティストトーク〈三輪恭子〉レポート

11/12に開催した三輪恭子さんのアーティストトークのレポートをお届けします。これまでの制作、展示作品について、担当ディレクターとの対話形式でお話しいただきました。本展では、パステルで描かれたドローイングによるインスタレーション《すばらしい光の群れが来て》を展示しています。会場の様子とあわせてご覧ください。
(以下はアーティストトークを一部抜粋・編集したものです。)

(三輪恭子さん)今日は皆さんお越し頂きまして、ありがとうございます。まず、これまでの私の作品について簡単にお話していきたいと思います。私は大学時代から制作を始めてかれこれ16年くらい経っているんですけど、主にインスタレーションを制作してきました。外光を使ったり、その場所に即したインスタレーションを今まで展開してきています。その場所の風景を取り入れながら、歴史、人の記憶、そういうものに思いをはせるような作品をつくってきました。

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そして数年前から、今回展示しているようなドローイングの制作を始めました。きっかけは、ある時、NHKで与論島のドキュメンタリー番組をしていて、それは家族に関するものでした。その島で、家族の骨を洗う儀式が今も残っているという特集を見て、大変衝撃を受けて一回取材してみたいと思ったのが、今回のように取材してドローイングを描くということの始まりです。これがその与論島の旅の過程をドローイングにしたものです。

※複数のドローイングから成るシリーズ《無題(与論島)》 より「目の前で笑うあなた。」 2015年 紙にパステル、ペン ©MIWA Kyoko

※複数のドローイングから成るシリーズ《無題(与論島)》より「目の前で笑うあなた。」 2015年 紙にパステル、ペン ©MIWA Kyoko

 こうやって、与論島や沖縄などに行く機会も増えて、その土地に住む人や家族との繋がり、宗教、どういったものを信じてきたのかということをリサーチしていました。また、沖縄からハワイに移民として移り住んだ人々を通じて、自分の信じる先祖や宗教がどういうふうに変遷していったのかを調べる旅もしてきました。これはハワイの移民のドローイングです。

《パーソナル・ハッピーマーク》2016年 33.3×24.3cm 紙にパステル、ペン、テキスト ©MIWA Kyoko

《パーソナル・ハッピーマーク》2016年 33.3×24.3cm 紙にパステル、ペン、テキスト ©MIWA Kyoko

こういうふうにいろいろ描いてきたんですけど、沖縄から移民を辿ってハワイを訪れた時に、かなり世界の果てまで来たなという気持ちになりました。でも調べるうちに、こんなに遠くに来ても日本人はお墓を作るなどして日本を懐かしむ風景をハワイに生み出していましたし、家族を思う気持ちは強く普遍的なものと気づきました。そして、自分もハワイの風景に家族や故郷を重ねて見ていることに気づいたんです。ハワイの風景ってすごく(出身地である)宮崎とそっくりだったんですよね。こんなに遠くに来ても、自分は結局のところ親族を見ているという思いが強まって、もう遠くに行くよりも、一回自分の足元を掘り下げる必要があるんじゃないかと思って、今回の宮崎をリサーチしたドローイング制作に繋がっていきました。そこで今回、家族と向き合ってみようと3週間くらい宮崎に戻って、疎遠だった祖母を訪ねました。前まで話ができてたのに認知症が進んでたりして、親族の歴史というものが知らない間に進んでるんですよね。

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(鈴田)おいくつくらいなんですか。

(三輪さん)92〜93歳とか。じいちゃんたちは死んじゃってて、祖母は健在で、でももう何も喋れない。話しかけるけど私のこととか絶対忘れてるんですよね。目とかついじっと見ちゃって、その目がどこを見てるか分からないような不思議な感じがして、わーって引き込まれていくような感じがしましたね。 これは、親族3代に渡る親子の手なんですけど、ばあちゃんと私といとこで形がそっくりなんですよね。だから遺伝としてやっぱり伝わってきているんだなって感じました。それからお墓まいりしたり。

(鈴田)三輪家はずっと宮崎ですか?

(三輪さん)ずっとです。それでリサーチした中での一番の事件をお話ししておきたいんですけど、いろいろ調べようとして、母方のばあちゃんの住んでるところに何か写真とかないのって頼んだら、何もないって言われたんですよ。全部親戚のおじさんが焚き火で家具とか写真とか家系図とかも燃やしたから無いよって言われて。

(鈴田)故意に燃やしたということですか。

(三輪さん)それが誰も理由がわからなくて。なので、全然とっかかりがないまま、聞いて回るしかない。例えば、地元の資料館に行ったとして、一般的な歴史は分かるんだろうけど、自分の親族、個々の話っていうのは分からない。

(鈴田)自分の親族や歴史について曖昧に理解していることがある。そうした部分にも踏み込んだり、家系図を調べ直したというわけですね。

(三輪さん)家系図については、全部それも聞き取って紙におこしました。でもうちの母も「ひいじいちゃんの名前なんやったけね」とか言っているような状態で、戸籍とか取ればいいんでしょうけど、こうやって消えていくんだなぁと思いながら、おしゃべりしながら聞き出すみたいな取材を続けました。

(鈴田)どう説明して聞いて回ったんですか。作品のためのリサーチと言ってですか?

(三輪さん)それはひた隠しにして、録音機とか勝手に仕掛けて誰も気づかないようにして、5〜6時間録って後でこっそり聞いて、それで妄想しながら描くという卑怯な手を使いました(笑)。だから家族にも今回の展示は全く知らせてないですね。こういうのって自分の中で暴力的と思う節があって、親がドローイングになっていることも申し訳ないなと思う。

(鈴田)この風景はドローイングとして会場にも展示されていますね。写真に撮ってドローイングにおこしているんですか。

会場展示風景《すばらしい光の群れが来て》

会場展示風景《すばらしい光の群れが来て》

(三輪さん)全部そうです。写真から抽出して、さらに抽象化しています。道具として写真を使っているというか。 ドローイングにありますが、うちの氏神様です。実家の端っこの方に置いてあるんですけど、これを見た時、ばあちゃんの目との繋がりを感じたというか、いろいろ思うところがありました。

(鈴田)リサーチをして、ドローイングを描いているわけなんですけど、三輪さんにとって他者や見知らぬ土地に対するリサーチと、身近な「家族」へのリサーチはかなり違う印象や受け止め方だったりしたんですか?

(三輪さん)まずいろいろ調べた過程で自分の勝手に思い込んでいた家族への考え方とか、平たく言うといろんな誤解も解けていったりして、すごく家族や親族への気持ちがフラットになったっていうのがありますね。同時に、例えば親族の集まりで話を聞いてると何故か疎外感を感じたりもしました。

(鈴田)それはしばらく離れていたから、とかそういうことですか。

(三輪さん)完全に一つの集落で、集まる人もみんな同じ地域から来てるんですよね。だから楽しそうなんだけど、自分は結構ずっと離れていたから完全に他人だなぁとか思ったりして、居づらくなったりとかもして。不思議なものだなと思いました。

(鈴田)会場のドローイングに2点すごく大きい作品がありますね。1点は炎を描いた作品。あの作品は、先ほど全部親族の一人が燃やしてしまったという炎なんですか。

(三輪さん)そうですね。それが元にはなっていますが、自分の中では抽象的な何かを描いたつもりです。サイズを大きくしたのは、ここに真理があるという気持ちがあったからです。燃やすという行為が、破壊しているのか、逆に作っているのか、良いことなのか、悪いことなのか曖昧であって、また綺麗だなと思ってしまうところとか。この炎のドローイングを描くために、ある祭りを見に行ったんです。大分のケベス祭りというすごい火祭なんですけど、火を見れる場所って全然なくって、わざわざ調べていったんです。燃え盛っていて、どんどん燃えていくのをずっと見ていました。

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(鈴田)もう一点の大きな作品は最初、鯨の口みたいに見えたんですけど、そういうわけじゃないですよね。あの作品は何を描いているのか教えてもらえますか。

(三輪さん)もう一点は、父の顎部分の合成ですね。フォトショップで荒い処理を施していて、ある程度顔とは分からないようにしています。

(鈴田)大きい作品すごく良いなぁと思ったんですけど、今回なぜあの大きさにしたんですか。

(三輪さん)あの大きさじゃないといけないと思ったからです。イメージしたのがあの大きさだったから。大きいドローイングを描いてみたかったんです。洞窟の絵を描きたいというのはずっと前からイメージしていて、このくらいの大きさじゃないとダメだって思ってたからですね。

(鈴田)もともとインスタレーションで大掛かりな作品の制作をされていたので、体を動かして大きな作品に向き合うことは続いていますね。しかし顎を加工した作品は、他の作品は割と風景として描いているのに、この作品だけ合成しているところが異質ですね。そういう新しいことも実験的にやってみたという感じなんですか?

(三輪さん)いいとこ取りというか、描きたいものの集大成として出来上がったという感じですね。

(鈴田)この家族のシリーズは続けるんですか。

(三輪さん)これはきりがないので、もう一旦終わりと思ってますが、まだ先のことは決めていません。だけどドローイングはインスタレーションと並行しながらやっていこうと思っています。

会場から質問

(お客様A)これまで何回か三輪さんのドローイングは見せていただいたんですけど、今回の作品を拝見して、ふと木下晋さんの鉛筆画を思い出しました。木下さんは鉛筆なんですが、三輪さんはなぜ木炭なのかという質問が一つと、今回自分の家族にフォーカスを当てた話を聞いていると家族との良好な関係になりたいという願いを感じたんです。だから、家族に対する思いや願い、何か自分の中で変化があれば、よかったら教えてください。

(三輪さん)木炭で描くかという質問ですけど、私は木炭じゃなくて、パステルなんですね。黒パステルで、木炭はあまり黒が濃くならないのでパステルで描いてます。他にも、なぜ白黒なのかって聞かれるんですけど、光を描きたいからです。光と影を描きたいからで、自分の中の写真で現像していくようなイメージでいつも描いているんですよね。黒い影を描いていって、そこから光をちょっとずつ洗い出していくような感じで描いているから、それにはパステルが一番適した素材だったっていうのはありますね。
家族との関係は良好です(笑)。とても幸せな人生を歩ませてもらっているっていうのがベースにあるからこういうことができるんじゃないかなって逆に思います。私は幸せをベースにフィクション、妄想で全部描いている感じがあるので、逆にこういうふうに申し訳ない感じにもできるんじゃないかなって最近思います。感謝してます。

(お客様B)今回三輪さんは、公募枠で入られているんですけど、テーマに「原初の感覚」と設定されていて、その中でプランを練って応募されたと思います。その時の自分のプランの立て方やそれについての考えであるとか、制作する中の変化、現在それが直結してなくても全然良いと思うんですけど、それに対する自分のスタンスについて教えていただけたらと思います。

(三輪さん)難しいテーマだなと思っていたんですが、テーマを見た時に、今美術作品をいろいろ見ていたら、社会的なテーマを扱った作品がすごく顕著で、問題提起みたいな作品がすごく多いんですが、もうちょっと私はそういったものよりも個人的な経験に即したものを自分の思い込みや衝動で作ってしまった方が人に伝わるんじゃないかと思ってて。そういった個人的な衝動を「原初の感覚」とつなげていきたいと思ったのが一つと、あとドローイングって結構運動なんですよね。でも自分の身体の動きとかが痕跡として残っていくツールだとも思っているから、そういった意味でも「原初の感覚」と言えるのではないかなと。それが個人的なものを他の人とどう共有するかっていうのが難しい、分からないところではあります。作品を観る人に、ある程度何かしら伝わることを願っています。

与論島や沖縄、ハワイでのリサーチワークを続けてきた三輪さん。本展では、家族への取材を元に描かれたパステル画によって構成された展示空間となっています。会場でぜひご覧ください。特に渾身の大作は必見です。会期は残り2週間を切りました。お見逃しなく!

 

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オープニングレセプション レポート

11/11(土)に開催したオープニングレセプションの様子をレポートいたします。3名の作家が揃う機会ということで、たくさんの方にお集まりいただき、ありがとうございました。
(以下はオープニングレセプションでのトークを一部抜粋・編集したものです。)

(アルティアム・鈴田)本日はオープニングレセプションにお越しいただきまして、誠にありがとうございます。「Local Prospects」シリーズは、2015年にスタートいたしまして、三回目となる今回は「原初の感覚」というテーマとなっております。本日は三人の作家にお越しいただいております。

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まず、入ってすぐの正面に《シーユーレイター》という2×4mもの大きな新作絵画を展示していただいている山下耕平さんです。私も初めて会場で全貌を見て、圧巻の素晴らしい作品と思いました。山下さんから本展について一言と、新作についてご紹介いただけますか。

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(山下耕平さん)こんばんは。自分は普段、今回、会場に展示されているような人物の絵を描いています。この新作は「気持ちを伝える」ということの難しさやコミュニケーションについて考えて描きました。

(鈴田)ポップな色使いで、ここ数年の山下さんの作品からまた突き抜けたような新境地の作品だと思います。今回の展覧会のために大きな新作を描きたいということで、山下さんからお話をしていただきました。今回、ここ数年の作家の集大成となるような作品を発表していただいたことは本当に嬉しいです。これからの制作も非常に楽しみだなと思っております。山下さんのアーティストトークがまた明日ありますので、画像などをお見せしながら、お話をしていただければと思っております。(トークの様子は後日紹介予定です)
次は写真家の木下由貴さんです。

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(木下由貴さん)こんばんは。集まっていただいて本当にありがとうございます。写真は十代の頃から撮っていて、二十歳頃に海に潜ることをはじめました。ダイビングには深く潜るダイビングや夜に潜るダイビングというものがあって、それを初めて経験した時に見えた景色に衝撃を受けました。そうした感覚が今作品の制作に繋がっています。皆さんにご覧頂けたらと思います。

(鈴田)木下さんはこれまでの代表作と二つの新作の写真シリーズを展示いただいています。外見は可愛らしいですが、ダイビングで海底を撮影されていたり、日本の奥地などにひとりで出向いて撮影をされたり、芯のある作家だなと思っています。
最後に、公募枠で選出された三輪恭子さんです。

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(三輪恭子さん)三番目の部屋でドローイングを展示しています。まず、展覧会の設営や文章を書いたりする時に、本当にいろんな方に助けていただきました。関わっていただいたすべての方にお礼を申し上げたいと思います。今回の作品は自分の地元の宮崎に関する風景や人を描いたものです。そのまま描いたのではなく、いろいろと取材するうちに思い描いたイメージを描いていったものです。受付で作品の一部でもある資料を配布していますので、そちらと合わせて展示を見ていただけたら、もう少し視界がはっきりするかなと思います。

(鈴田)ありがとうございました。平川渚さんは本日都合により欠席となりましたが、最終日にアーティストトークを予定しています。平川さんの今回の作品は、一般の方から編みものを寄贈いただき、素材を集めるところからスタートしました。7月には、編みものの作品に関するワークショップをおこない、編みものを解きほぐす作業をおこないました。そして最終的に、平川さんが会場にあるインスタレーション作品にしています。また、平川さんは、今回の展覧会の準備中に、ご出産を経験をされています。編みもの一つ一つに多くの方の思いや記憶が込められていることを、より強く感じられたとのことでした。
今回4人の作家に参加いただきました。三菱地所の文化発信の一環として、皆さんのこれからの活動の架け橋になるような機会になればと思っております。

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当日は審査員の皆さまや、Fukuoka Art Tips、関係者をはじめ、たくさんの方にご来場いただき、にぎやかな初日を迎えることができました。
会場には、木下さんの写真21点、平川さんのインスタレーション1点、山下さんの絵画9点、三輪さんのインスタレーション1点を展示しています。会期は12/3(日)まで!若手作家4名による非常に見応えのある展覧会となっております。ご来場お待ちしております。

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諏訪敦 2011年以降/未完

諏訪 敦×野村 佐紀子 クロストーク レポート〈後編〉

「諏訪敦 2011年以降/未完」展に関して、「諏訪敦×野村佐紀子 クロストーク」を2回に分けてご紹介致します。トーク後半では、古事記をテーマにした作品やハルビンについてのお話に深まっていきました。前編はこちらからお読みください。

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(諏訪敦さん)野村さんは言葉で説明をするという感じじゃなくて、自分の感覚を大切にされていますよね。例えばさっきもモデルの話をした時に「相手と同じものが見える」とかそういうおっしゃり方をしていたんですけど。

(野村佐紀子さん)やっぱり正確に伝えるのは難しいですよね。これは赤いですね、と言われても同じ赤色なのかなと思わず思っちゃいますから。

(諏訪さん)そうですよね。

(野村さん)うん。そうすると何も伝わらない。難しいですよね。見ているものが同じものじゃないかもしれないですもんね。違うかもしれないっていうのはいつも思っちゃうんです。

(諏訪さん)客観というものを信じられない、ということですね。例えば赤いポストを見た時に、世の中の人は全員同じようなポストを見ていて、同じ赤色を感じているだろうと。基本的には写実絵画はそういう信仰の元に描かれているんですよ。コップは百人に聞いたら百人がコップと感じるという。僕はその辺りを疑っていて、ここ数年の制作動機になっています。客観性を尊重するのは、写実絵画のテーゼだと思うんですけど、物事は脳の中にあるゴーストのようなもので、結局は主観でしかないんじゃないかという感覚があるんです。野村さんはいかがですか。

(野村さん)私の場合は写真ですから、それはまたちょっと違うのかな。写真の場合は、そこに実際の対象がありますからね。

(諏訪さん)だけど、おそらく同じ現場で、僕が野村さんと同じカメラ機材で写真を撮ったとしても、全然違うものになると思います。作品に現れるものは野村さんが見ている風景ですよね。

(野村さん)そうですね。

(諏訪さん)写真家の凄さは、自分の主観や頭の中に起こっていることを正確に印画紙に再現できるということです。僕たちは何千枚と写真を撮っても、実感に近いイメージは焼き付けられないんですよ。

もうひとつお聞きしたいのですが、『月読』はどうしてこのタイトルにされたんですか?

(野村さん)タイトルはいつもすごく困っていて、ほとんど自分では付けないんです。

(諏訪さん)そうなのですか。僕もタイトルは思いつかない方で、困ったら《Untitled》にしています。だから非常に多いんです。だから、誰かがタイトルを付けてくれるのは羨ましいですね。どういう人が付けるんですか。

(野村さん)『月読』は、一緒に作品集を作ったデザイナーの町口覚(デザイン事務所「マッチアンドカンパニー」主宰)さんですね。

(諏訪さん)町口さんが、これは『月読』だと感じたということですか?

(野村さん)随分、いろいろな話をしながらですね。『月読』に関しては、随分迷いながら作っていましたから。

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(諏訪さん)『月読』は、今回の僕の作品「神々しい」というシリーズに偶然のリンクを感じていて、《眉から蚕》と《口より獣肉を生じ》は、保食神(うけもちのかみ※古事記の場合オオゲツヒメ)を描いています。食べ物を司る女神ですが、客人としてアマテラスから派遣された月夜見尊(つくよみのみこと)をもてなすために食事を用意しますが、その時に、彼女は海に向かって魚を吐き出し、山の方に振り返って獣の肉を口から取り出したという記述があります。僕はそのイメージに強烈な印象を受けて、いつか絵画化したいと思っていました。月夜見尊はそれを垣間見て、「不浄なものを」と剣で保食神を殺してしまいます。何の罪のない保食神を殺したことをアマテラスは怒り、月読とは一切会わないと宣言して以降、1日が昼と夜に分かれた由来を語る神話です。と同時に、死んだ女神の身体から、頭からは牛馬、眉毛からは蚕蛾の蚕が生まれて、いろんな体の部分から大豆や小豆や稲、麦が生えていって、民の糧である有用植物や農産物の由来を語るものでもあるわけです。

実は世界中で似たような神話が残っていて、特に太平洋の島々に似たような話が多いんです。代表格はインドネシアのセラム島に伝わるハイヌウェレ神話でしょう。お尻から排泄物とともに宝物を生み出す少女がいて、村人に分け与えていたという話があります。だけど、やっぱり気持ち悪いから少女を殺してしまおうということになって、村人全員で殺してしまうんです。その少女の父親は、娘の遺体を掘り返して切断し、奥さんと一緒に村々の家を回って、「お前たちは娘の肉を分け合って生きていかなければならない」、という宣告をするという恐ろしい話です。やっぱりその切り刻んだ肉から、インドネシア周辺の主食である、各種の芋類が発生したという、有用植物の起源に関わる神話です。そういう物語は世界中に無数にあって、最初に必ず女神が死んでしまったり、殺されてしまったりするんです。このイメージは、実は《Yorishiro》という作品の根拠になっていますが、戦争を題材にした連作「棄民」の中で、《Yorishiro》だけちょっと異質な感じがしませんでした?

(野村さん)そうですね。

(諏訪さん)あの作品は、戦争犠牲者の鎮魂の意味で描いているわけではないのです。ある種の咎(とが)を共有するイメージです。国土に散らばって回収不能なもの、それをある種、古層の記憶、古い記憶として共有しながら生きていかなければならないというところで、実は「神々しい」のシリーズと繋がっています。神話という空想のものを描くのは、写実という制作姿勢を貫徹するなら、最も唾棄するべきというふうに思われているんですけど、そういう目に見えないものを扱うことも、いまは面白く感じていますね。

(野村さん)会場の奥に展示されている大作《HARBIN 1945 WINTER》と《Yorishiro》の作品は、どういう時間軸で描かれているですか。満州で亡くなったおばあさんの話を聞いてみたいです。

(アルティアム・鈴田)今回、満州で亡くなられたおばあさまを描いたシリーズを会場奥に展示しています。諏訪さん、この作品についてと、それから野村さんもハルビンを撮影されているということです。両者に土地の印象などもお聞きしてみたいのですが。

(諏訪さん)実は《Yorishiro》の健康な女性は、3回くらい描いています。グラフ用紙に描かれているものが最初のバージョンで、これを描きながらどういうふうに制作を進めていくか練っていきました。《HARBIN 1945 WINTER》も最初は、《Yorishiro》と同じ健康的な女性が描かれていましたが、それをどんどん痩せさせていく時に、ある程度、解剖学的な正確さを期するために描いたんです。祖母がどういう身長か分からなかったんですけども、体格はよかったという証言は得ていました。そして、画中の裸婦に少しずつ祖母と同じ経験をさせて、痩せさせていくんですけど、収容所での生活を知りませんから、実際その場にいた人を探したり、死因となった発疹チフスとはどういう病気であるか、専門医に意見を求めるといったことをしました。強制収容所ではないので、アウシュビッツとは異なるものですが、アウシュビッツの人々の痩身の具合というものも参考にしました。つまり健康な状態は絵の下層にどんどん塗り込められて言って居るわけです。だから未来の人々がこの絵を調査したとして、もしも投資撮影をしたら、絵がどんどん若返っていくように見えて、びっくりするでしょうね。

この制作が終わった後に、リサーチや制作過程の様子がTVで放送されました。先ほどの《Yorishiro》は、個人的な感情で描き始めたんですが、日本の神話に接続できるということは制作途中に思い始めました。僕の関心は「父親が見たもの」にあったのですが、戦争の記憶や、ある種の不浄や世の中でどうにもならない咎(とが)を表す時は、女性の犠牲が前景化していることが多く、「神話」あるいは「古層の記憶」というものは、時間と空間を越えて、世界中の人間が共有しているのではないかと考えました。野村さんも満州、ハルビンに縁があるんですよね。それはどういった繋がりなんですか?

(野村さん)私も祖母が満州にいて、多分父は桃山小学校に行っていたと思います。

(諏訪さん)えっ、そうなんですか。

(野村さん)諏訪さんが、絵に描いていましたよね。

(諏訪さん)ロシア人建築家が設計した、ルネサンス様式の豪奢な建築物なんですが、日本人が通っていた小学校なんです。今は、兆麟小学校(旧日本桃山小学)と名前が変わっています。満州にたくさんいた開拓移民が、特に陸路の人々は略奪に遭い、ほとんど着の身、着のまま以下の状態でハルビンに逃れてくるんですね。市街地にそんな難民が溢れたら大変なので、市内各所に一時的な収容所を作っていました。そのひとつが桃山小学校だった。

(野村さん)桃山小学校と花園小学校があって、私も見に行きました。

(諏訪さん)僕も取材した時に、校長先生とお会いしたんですけど、校長先生が女性でした。生還者の記述によると、相当数の子どもがそこで、働き手、もしくは後継を期待されてか「日本人の子供は賢い」と、養子としてもらわれていったそうなんです。かなりのお金や食料と交換の上で、子どもを引き取っていた。その小学校の校長先生のお母さんがいわゆる残留孤児で、その時にもらわれていった赤ちゃんであったと、訪問の際に逸話をうかがいました。

野村さんがハルビンに縁があることは全然知らなかったし、そういう表に出ないことが繋がることがあるんですね。実際、その場に撮りに行かれているんですか?

(野村さん)私の場合は、諏訪さんの考えているハルビンと全然違っていて、小さい時は、祖母からピロシキなんか作ってもらったりしていました。祖母はロシアの人とも仲良くしていたそうです。だから私が聞いていたハルビンの話は良い話なんです。その後、略奪されたり、連行されたりという話も聞きましたけど、小さい時はずっと良い思い出の話を聞いていました。

(諏訪さん)おばあさんの話の記憶は、ハルビンでの写真に何か影響を受けたり、指針になったりしましたか?

(野村さん)写真なので、基本祖母にハルビンの風景を見せてあげようと思って撮りに行くということなんです。晩年は写真を見ることもできませんでしたけど、基本的には祖母に故郷を見せてあげるつもりで行っていました。

(諏訪さん)そうか、誰かのためという動機があったのですね。

(野村さん)諏訪さんのハルビンの話を読んだり、聞いたりすると、自分が思っていたものと随分違うので、知らない自分がちょっと恥ずかしくなりました。

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(諏訪さん)満州にいた人の話というのは、何人もうかがったんですけど、やっぱり開拓移民で行った人と、軍属の人と、商売で行った人と、感想は全く違いますね。

(野村さん)そうですよね。

(諏訪さん)良い思い出しかないという人も結構いるんですよ。ただ70年経つと収容所というのは両国にとって、記憶したい歴史ではないのでしょうか、どんどん失われていって建物は建て変わってるし、どこからどこまでが収容所だったか、僕には全く分からないんです。ハルビンの市街地は今でも歴史的な建築物がよく保存されていて、ものすごく美しい街です。多分、良いタイミングで帰ってこられた人にとっては良い思い出しかないと思います。食料事情も本土とは比べようもないほどよかったと。だけど、日ソ中立条約を破棄してソ連が攻めてきた時、国境に近い開拓地域では、略奪や虐殺、集団自決などもおこなわれていて、男性は根こそぎ動員でほとんど残っていなかった。その中で民間人が大陸を遠路逃げてくるというのは想像を絶することです。よく自分の祖父は子供を二人も連れて帰って来れたなと思います。

(野村さん)うちのおばあちゃんは、5人くらい連れて帰ってきた。すごいなと思いますね。

(諏訪さん)昔の人はすごいよね。

(野村さん)子どもを抱いてるとレイプされにくいということで、子どもをみんなに配ってたんですって。それはよく言っていましたね。あとはお金も、所持品も全部奪われるという時があったそうなんですが、写真だけは取られないように自分で焼いたって言っていました。なかなか良い話でしょう。写真だけは、自分の手で焼いちゃう、捨てちゃうということ。

(諏訪さん)人間誰もが記憶で生きてるものだから写真というのはものすごく大事だったんですね。野村さんの仕事に繋がっておられますね。

(野村さん)大事だったんですよね。多分ね。

 

制作について、ハルビンにおける意外な共通項などトークはここで終了。そして質疑応答での回答も興味深いものでした。

(質問者A)ハルビンの絵については、お父様からの個人的な執着から生まれたとのことですが、絵が完成した後、個人的な執着を少し手放せるようなことがありましたか?何か心境が変わったり、どんなふうに思いが変遷していったのかということをお伺いしたいです。

(諏訪さん)納得したかということですよね。実は戦争に対して何かの想いがあって、メッセージを伝えたいとか、祖母に思いがあって描きたいというわけではないんです。僕が描きたくて、調べたいと思ったのは「父親が見たこと」なんです。最初の起点というのは、ハルビンや収容所であったことを書き残した父親の手記でした。その時、父は8歳くらいの子どもですから、手記にしても嘘や思い込みが混ざっていると思います。厳密に調べていくと相当な思い違いがありました。だけど、事実とは何なのかと考えた時に、実は真実はひとつじゃないのです。僕は父親が見たもの、父親が感じたこと、経験したことを調べたいと思った。彼が死んだのは1999年ですが、親子関係が悪いとか決定的に反抗期で殴り合ったとかもなくて、反面、父親は僕のことが死ぬまで何を考えているか分からなかったらしくて。それを聞いた時、僕は割と良い子だと思っていたので(笑)マヌケな話ですが、すごくびっくりしたんです。それで父親のデスマスクを丸2日かけてデッサンしながら、いろいろ考えたのですが、絵を介在すれば関係は引き伸ばせることに、静かに気がついたように思います。それを元にした大きなデスマスクのタブローを描いたのは、その10年後でしたし、かなりしつこいですよね(笑)。

人間が死ぬということはすごく多義性を含んでいて、それを絵画として検討することが今回の《HARBIN 1945 WINTER》だったんだろうと思っています。だから、ひとつ納得したから終わりというのは、とりあえずはないかな。これが正解だとも思えないし。逆に言うと、今回の仕事がきっかけで、どんどん父親の経験したことが生前より僕の中に入ってきて拡張しています。ひょっとしたらまだ続けるかもしれないし、もういいってことになるかもしれない。ただ今は目の前に別のプロジェクトがいろいろとあるし、しばらくは違うことに取り組むと思います。

(野村さん)小さい時からのお父さんを全部思い出して描いたんですか?諏訪さんが小さい時のお父さんとの関係とか。

(諏訪さん)描いている時はそれはあまり考えなかったですね。

(お客様B)絵を描く中で見えてきた真実が、最初に自分が思っていた方向性と違ってきた時にどちらを取りますか?

(諏訪さん)僕は違ってきた方に身を任せます。例えば版画家や日本画の人は、技法的にしっかり計画性をもって制作を進めなければ、成立しないものですが、油絵の特徴は絵具自体の被覆力が強く、塗りつぶしが効くことにあります。つまり自分の考えが変わったら、臨機応変に絵のプラン自体を変えていくことができる。僕はそのいい加減さを面白いことだと捉えていて、展覧会のタイトルに「未完」とありますが、実は僕は完成に対する責任感が希薄です。つまり、戸棚やテーブルを作るように工芸的な完成を求めて絵を描こうとは、現在の僕はしていないのです。他者と会話することの意味は、自分の考えが少しずつ変わっていくことにあって、同じように制作の途中でいろんな情報や他者の介入さえも受け入れながら、絵を、自分を更新してゆくことの方が重要です。そうやって絵画との関係性を確かめていきたいと思っていますね。

諏訪敦展は11月5日(日)をもって大好評の内に閉幕致しました。ご来場頂いた皆様、本当にありがとうございます。トークのレポートをご覧頂いて、アルティアムでの展示を思い起こして頂ければ幸いです。また、次号の美術手帖12月号で諏訪敦のロングインタビューが掲載されます。こちらもどうぞお楽しみに。

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2017/10/7 − 11/5

諏訪敦 2011年以降/未完

諏訪 敦×野村 佐紀子 クロストーク レポート〈前編〉

展覧会は盛況の内に先日終了しましたが、10月8日におこなった「諏訪敦×野村佐紀子 クロストーク」のレポートを前半・後半にわけてお届けします。当日は多くの方にご参加頂き、瞬く間に定員に達しました。残念ながらご参加できなかった方は、こちらを是非お読みくださいませ。当日の雰囲気などお分かり頂けると思います。

 (アルティアム・鈴田)本日は「諏訪敦×野村佐紀子 クロストーク」にお集まり頂きまして、ありがとうございます。本日は作家、諏訪敦さんと野村佐紀子さんにお越し頂きました。昨日から諏訪敦さんの西日本初となる個展が8階アルティアムで始まりました。また、野村佐紀子さんも現在、九州産業大学美術館で個展を開催しておられます。お二方とも福岡で個展を開催中というめったにない機会で、諏訪さんと野村さんは同じギャラリーに所属されているというご縁もあり、本日はいろいろなお話が伺えたらなと思っています。

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(諏訪敦さん)実は同じギャラリーのアーティストと言っても、そんなにつるんでいるわけではないのです。プライマリー・ギャラリーに複数のアーティストが所属して、それぞれがミッションを遂行しているような感じでね。しかし、僕も一昨日、九州産業大学で行われている野村さんの展覧会に行ってきました。よくできた展覧会で、俯瞰的に作家の全体像を見せてくれていました。野村さんと言えば、男性ヌードの作品が代表的なものと思うのですが、そもそも何故男性だったんでしょうか。

(野村佐紀子さん)きっかけはそんなにたいしたことではなくて、学生時代に人から言われて撮り始めたんです。

(諏訪さん)課題ということですか。

(野村さん)確か先輩に言われたんです。当時はまだ写真学科に女子が少なかったので、からかわれたということですね。

(諏訪さん)「男性ヌードでも撮ってきたら?」ということですか。

(野村さん)ええ。当時、男性のヌード写真というものは相当少なかったんです。

(諏訪さん)美術手帖のメールヌード特集でも一緒に掲載されましたよね。今も少ないのかもしれない。野村さんの展覧会カタログの中で「ヌードについて」というインタビューが掲載されていて、すごく印象的な言葉がありました。ちょっと読み上げてみます。

 “写真家ってヌードを撮るものだと思っていました。学生の時から。写真家として最初に受けたインタビューでインタビュアーの方が私の男性ヌードの作品を〈立ち上がりましたね〉とおっしゃって。それまで男性が女性のヌードを撮るという流れで来ていたところを、女性が男性のヌードを撮ることがようやく立ち上がりましたねというようなことを言われた時、何を言っているのだろうというのがありましたね。複雑な話ですね。当たり前のことをしていると思っていたから。男子と女子がいて、それなら私は男子を撮りますよっていうだけのことだから。いつもそうですけれども、いろんなものから選んで撮っていくわけじゃなくて、その時その時でいつもそばにあるものを撮っている。ヌードしかないからヌードを撮っているんです。”

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この言葉はものすごく印象的でした。野村さんの場合、モデルさんの扱いは、普段どういうふうにされてるんですか?例えば人選についてなど。僕の場合はすごく受動的で、自分から描かせてくださいということはないんですよ。画廊側の意向で特別な人を描く以外は、基本的に描いて欲しいという人を対象にしていて、タイミングが合致すれば描くという感じなので、募集をかけたりは全然していないんです。

(野村さん)それは、学生の頃からですか?

(諏訪さん)昔は、恋人や家族を描いてましたね。

(野村さん)あぁ、そうですよね。

(諏訪さん)学生時代のときは、やっぱり自分の身近な人を描いていたんですけども、いまは本当に出会いにまかせているというか、受動的に人を選んでいます。野村さんはどうですか。

(野村さん)まあ、同じような感じです。ずっと男性ヌードを撮ってますから、いろんな方が紹介してくださるというか、そういうケースが一番多いですかね。

(諏訪さん)そうか。骨を多く描く知遇のある画家は、骨を描いている作品が増えて「骨!骨!」言っていると、いろんなところから骨が集まってくるらしいのですが、それと同じように男性のヌードの方から押し寄せてくるんですね(笑)。

(野村さん)そうですね、何十年もそうやってヌードの制作をしているので紹介が多いですね。

(諏訪さん)モデルとの関係性を詰めるということはどうですか?

(野村さん)若い頃はモデルと通じ合えれば何かが見えるかもしれない、と思っていた時期もありました。

(諏訪さん)通じるとは、どういったことでしょう?

(野村さん)モデルと同じものが見えるというか。時々、同じ感覚になる瞬間がやっぱりあるんです。

(諏訪さん)ずっとカメラを構えて、レンズを通して見ている状態で通じ合う、ということですよね。

(野村さん)そう。だけど、今はどちらでもよくて。それなり、ですね。

(諏訪さん)なるほど。「それなり」って、すべてを包括しているような言葉で詩的ですね…。

デビューの頃の話をきかせてください。荒木経惟さんの下にいらっしゃったことはよく知られていますが、そもそもどういう出会いだったのでしょう?
僕も荒木経惟さんの影響は受けていて、僕がデビューした1992年頃、ファイン系の人物画といえば、大体が「舞踏会やピアノの発表会みたいな衣装を着たお嬢さんが、高級家具に座って窓辺にいる」みたいなつまらないイメージばかりでした。僕は実際に身の周りに居る女の子たちのような、泣きもするし、切ったら血が出るような人物を描きたいと思っていたので、画家よりむしろ同時代の写真家たちの方がずっとリアリティを掴んでいるように思えたのです。

(野村さん)荒木は、25年くらい前に弟子にしてくれって、私が普通に門を叩いたっていうだけなんですけどね。

(諏訪さん)いろんな写真家がいる中で、何故ですか。よりによってというか。

(野村さん)なんか全然ちがうんですよ。こう、感じる場所が。荒木の写真を見た時に、ちょっとザワザワしたり、嫌な気がしたり、嬉しくなったりする。いろんな気持ちの、いろんな種類のものがあって、それが一斉に心の中のいろんな場所にぐいぐいと届くというか。そういう感覚は他の人にはなかったし、当時はまだ写真家は弟子入りするというシステムがあったんです。

(諏訪さん)そういうものなんですか。

(野村さん)今はもう私の世代が最後なのかもしれない。当時はまだみんないろんな先生についていたんです。なので、弟子入りするならば荒木経惟がいい、という感じでした。

(諏訪さん)弟子入りは押し問答でしたか、それともすんなり明日からという感じでしたか。

(野村さん)いえいえ、全然でした。まず荒木の展覧会に出向いて、そこで弟子にして欲しいと自分の写真を持っていったんです。だから当然、失礼な奴だっていう感じでした(笑)。でも、何度かやりとりしていたら、じゃあ明日から来ますか?という話になった。

(諏訪さん)荒木さんの場合はいろんなものを撮ってらっしゃるけど、やっぱり人物というイメージが強いですよね。

(野村さん)えぇ、そうでしょうね。

(諏訪さん)女性男性、いろんな階層の人を撮影されていて、守備範囲が広い。それでいて、写真を見るとなぜか荒木さんの写真だなと分かる。本当に不思議な感じがします。荒木さんからの影響、直接的に何か自分の写真が変わっていくというようなことがありましたか?

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(野村さん)まだ分からないですよね。多分、すごく長い間一緒にいて、つまり写真をどう撮るとかを習っているわけじゃなくて、お昼は何を食べるのかとか、人とどんな話をするか、ということを間近で見ている訳です。もちろん、全てにものすごく影響を受けているとは思います。だけど、直接的な影響というとまだ分からないんですね。

 (諏訪さん)ところで僕は「月読(つくよみ)」という野村さんの作品シリーズがすごく好きなんです。初めて見た時、男女の違いはあるけど、僕の《Sleepers》というシリーズと共通点を感じました。《Sleepers》は、精神がオフになっている人、いわゆる覚醒していない人という広い意味で描いているんですが、生死の狭間を描いているようだと捉える方もいます。

でも、最初はそんなこと全く考えてなくて、僕は素人モデルばかりを描いていたので、ポーズを固定するのは難しいことです。静止していてもらわないといけない時間がある。国内の美術モデルの標準は20分描いて、5分ないしは10分休憩なんですね。それを繰り返していくんですが、最初から素人に立ち姿で動くなというのは、かなり無茶な注文なんです。そうすると、素人の人を使う場合はどうしたら良いのかと考えて、寝ていたら動かないなと思ったんですよ。眠らせてしまえばいいんだと(笑)。

(野村さん)《Sleepers》もモデルから描いて欲しいという感じでしたか?

(諏訪さん)そうですね。自薦者の中からお願いしています。いろいろなアーティストのモデルを経験された方も面接に来たりしますね。そういう場合は僕の仕事に関心があるのではなく、むしろ自己実現に思いがあるのかもしれません。

(野村さん)それは、まず連絡が来てお会いするんですか。

(諏訪さん)面接をしますね。何故面接が必要かというと、例えば綺麗だな、姿は非の打ち所がないな、と思うことはままあって、だからといって即、お願いするわけではないのです。そこは写真と違うところで、絵画を描くにはその後何ヶ月も空間を共にするわけです。そうなると、もはや協力関係ですので、相手を配慮して動けるか、常識的な感覚を持っているかということが大事になってきますよね。

(野村さん)相性みたいなことじゃなくて?

(諏訪さん)違いますね。僕は第一印象だけでそういった洞察ができません。

(野村さん)なるほど。

(諏訪さん)相性云々は、ずっと話していくうちに変わるものじゃないですか。人間を描く面白さというのは、相手に対する自分の感想が変わってくることだと思います。今、野村さんとお話ししているだけでも、僕の受ける印象は変わっています。相手の顔を最初は相対的に綺麗だとか、相対的に太っているとかでしか分からないのが、どんどん相手の見方が刷新されていく感じです。だから、変わるのは相手じゃなくて、自分の見え方が変わっていくという感じ。会話もそうで、僕自身の意見が変えられたり無意識が引き出されていくところが面白いですね。

(野村さん)アルティアムの会場で流れているドキュメンタリー映像の彼女に関しては、どうだったんですか。

(諏訪さん)あの作品に関しては、全然違うルールづけでした。彼女の場合は、まず腎臓に疾患があることは分かっていたけど、緊急性のある話ではないと、お互いに考えていたんです。でも、腎臓の治療は容姿を変えてしまう可能性もあって、薬によって反応が出てしまう人は、ムーンフェイスといって、顔がまん丸く倍くらいに変わることもあるのだそうです。まず女性としてそこに危機感を感じていたのだと思います。

フライヤーにはその制作風景の写真を掲載していますが、何が気になるのかある方に、「写り込んでいる絵とモデルを比べると、乳房を実際より大きく描いているのでは?」と言われたんですけど、実はこの絵は間違っていないのです。誇張もありません。

実は最初に彼女のデッサンをし、プロポーションを決めた後、腎臓に関係する数値が悪くなって急速に痩せていき、腎移植をするしかない状況になりました。そしてその頃にドキュメンタリー映画のカメラが入り始めて、その時の映像記録から始まっているように見えます。ですからこの胸の大きさは、最初の取材時のもので、写真は手術後でさらに厳しく体重が落ちた状態であるということです。断っておきますが、幸いにも彼女の移植手術は成功して、恐れていたような現象もなく、現在は健康に生活を送っています。ですが手術は彼女の身体に過酷な痕跡を残しました。ボクサーのように筋肉の筋が浮き出て、体の線が角張っていて、大きく片側の下腹部を切り開いたせいか、左右のバランスが壊れてるような印象でした。ゆくゆくは生活の中で元に戻っていくんでしょうけど、そういうギャップがありました。

(野村さん)ドキュメンタリー映像は見ていて怖かったです。

(諏訪さん)僕の中で迷った部分があって、最初の美しいプロポーションの状態をきちんと描くべきなのか、それとも術後の痩せてしまった状態を描くのか。当初の依頼は、あくまでも手術前の女性らしい身体の印象を大切に扱って描き残して欲しいというものでした。ただ、私は手術後の厳しい経験を積んだ身体の変容を直に見てしまったので、完全にはその印象を排斥できず、皮膚の上にはそういったイメージが混在したものになりました。どこの時間でもないというか、両方の時間が包括されているイメージです。最初はふくよかなイメージで描いていて、何ヶ月かの過酷な経験を「傷」という形では残しませんでしたけど、少しずつ混ざり合っているような感じ。ひとつの時期に収斂し切れない感じがあって、これは僕の制作の特徴だと思うんですね。最良の時期を正確に描くということではないんです。

(野村さん)実際には、モデルとどのくらいの時間を過ごしているんですか。

(諏訪さん)描いてもらいたいと言われて、描き終えるまで2年くらいかな。だけど、保留の時間がかなりあります。

(野村さん)裸で目の前に立っている時間というのは全部でどのくらいなんですか。

(諏訪さん)この人に関しては入院期間があって、術後に長時間のヌードのポーズもはばかられましたので、短いです。全部、実見をもとにして描いているわけではなくて、こういう場合は映像機器による資料に助けてもらっています。ただ写真や映像は、一回の時間しか記録できないので、資料と全く別物になっていることは分かると思います。《静脈の声をきいた》というタイトルで、映画のあるシーンで、ざーっという静脈の音が入っていることに気がついた人はいますか?僕も医療関係はよく分からないんですけど、血液透析を行うには、「シャント」を作る必要があるのだそうです。それは静脈を動脈に縫い合わせてつなぐことにより、動脈血を直接静脈に流す経路を作っておくのだそうです。だから、血管にアクセスしやすい状態になるわけで、彼女自身がそこに流れる血液の音を聴いてほしいと言ってきました。僕や映画の制作スタッフも全員、腕に耳をつけて聴いたんですが、そしたら本当に聞こえるんですよ。貝殻に耳をつけたような、遠くの、別の世界から届いたようなノイズが。聴覚の情報なので直接描くことはできませんが、全員にとって大きな経験でした。

お互いの制作について、モデルとの関係など充実のトークは後編に続きます。

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2011年以降/未完

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諏訪敦 2011年以降/未完

感想帳より

好評開催中の本展の会期も残りわずかとなりました。今回は会場内に設置している感想帳から、来場者の声をお届けします。

・どうしても見たくて福岡まで来てしまいました。来てよかったです。とても勉強になりました。

・絵を見てぞくっとしました。動き出しそうな「生」を感じたのは初めてです。

・《口より獣肉を生じ》で美しさに度肝を抜かれた。《Yorishiro》グレートーンのあまりの美しさと実在感。グレーが質量をもった物質に見えてくる。


・2011年の日曜美術館で諏訪さんを初めて知りました。こんなに近くで諏訪さんの絵を見られる機会を作ってくださり、ありがとうございます。とても感動しました。


・圧倒的な静けさ!


・偶然立ち寄り、「NHKで見た絵だ!」と運命を感じた。おばあさまがどのような目に遭い、どんなふうに亡くなられたのかは想像を絶しますが、お顔は穏やかで愛に包まれた感じがして「棄民」のシリーズが好きです。


・どれも命を感じさせられる絵ばかりでした。「そこにいる」のを感じました。ぞっとするくらいに細かい描写に鳥肌が立ちっぱなしでした。「棄民」の制作過程がとても参考になりました。

・ようやく来ることができました。美しさに息を止めて見入ってしまいました。気持ちが静かに揺さぶられています。

・とてつもないものを見ることができて幸せです。白という色をここまで表現することができてすごいなと本当に思いました。若いうちに見れてよかったと思います。


・諏訪さん、テレビで知りました。72年前、自分も満州にいたので、極寒のハルビンで亡くなられたおばあさんのこと、忘れません。


・素敵でした。呼吸が聞こえてきそう。

・諏訪さんの本物の作品、初めて見ることができてうれしいです。かっこいい作品ばかりでした。また福岡で個展してほしいです。


・2回目見にきました。すばらしい。


・山本美香のまなざしの強さ、死の向こう側まで見透かしているような力。凛々しく、清々しく。


・《眉から蚕》とドキュメンタリー映画『flow』が好きで3回目です。期間中、できる限り見たいです。


・言葉を失うくらい美しかったです。死生観を問うような作品に、人に限らず命あるものの魂を見たような気持ちでした。ぐらぐら揺さぶられました。

・諏訪さんの絵、とても素晴らしかったです。繊細な筆使いとちょっと怖いもの見たさをそそるモチーフは感受性の高い私にとって、生きる原動力になりそうです。

会場では、絵画作品26点と、諏訪さんの制作を追ったドキュメンタリー映画『flow』(監督:小谷忠典/2013年/19分)をご覧いただけます。展示構成は、「受容について」、「神々しい」、「静脈の声をきいた」、「ニュースでみた女」、「棄民」の5つに分かれています。

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展示室「神々しい」の展示風景

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《Untitled》油彩、キャンバス(部分)

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《口より獣肉を生じ》油彩、パネル(部分)

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展示室「棄民」の展示風景

これだけのボリュームで諏訪さんの作品が見られるのは大変貴重な機会です。ぜひ足をお運びください。

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また、併設ショップドットジーでは最新の作品集『Blue』(青幻舎より2017年10月刊)や、特製ポストカードを販売中です。ご来場の際は手に取ってご覧くださいませ。

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Re-actions 志水児王・堀尾寛太

オープニングレセプション レポート

初日9/2に志水さん、堀尾さんをお招きして開催した「Re-actions 志水児王・堀尾寛太」オープニングレセプションの様子をお届けします!当日は18時に開幕とあって、オープンと同時に、会場内はたくさんの来場者の皆さんで賑わいました。
(以下はオープニングレセプションでのトークを一部抜粋・編集したものです。)

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(ディレクター・鈴田)
本日はお越しいただきまして、誠にありがとうございます。二人展ということで、本日は作家二名にお越しいただきました。作家の堀尾寛太さんと志水児王さんです。会場に入られてすぐのスペースが堀尾さんの会場で、志水さんの作品は奥に展示いただいております。お二人には今回の展示にあわせた新作を展示いただきました。本日はこのレセプションの時間に、作家による作品の説明ツアーをおこないます。会場が狭いので大変ですが、まず堀尾さんから始めて、その後に志水さんという流れでお願いいたします。

(堀尾寛太さん)前半が僕の展示になっています。いくつかの部屋にそれぞれ展示していて、中には映像のプロジェクションもあります。映像なので、しばらく見ていただければと思います。各部屋少しずつ繋がっていて、各部屋ごとに出し物があるという作品です。

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壁には大きく映像が映し出されています。椅子に座りながら映像をじっくり鑑賞することができますので、是非ご利用ください。ダイナミックに映し出された風景は、日常から遠く離れた場所のような、壮大な場所を見ているかのような印象を受けます。

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堀尾さんには、様々な仕組みが施された展示空間をぐるりと回りながら説明をして頂きました。展示の種明かしになるので詳細は明かせませんが、会場に足をお運びいただければその魅力を感じていただけるはず。堀尾さんは、九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学部)大学院で音響設計を学ばれていますが、元々は幼少の頃から電子工作に夢中だったそうです。今回の作品でも、十分にその実験的な面白さが発揮されていて、動きと躍動感に溢れた展示は何回見ても見飽きません。アルティアムの空間を巧みに利用した展示構成にもご注目ください。

続いて、志水さんの解説です。

(志水児王さん)お気づきにならなかった方もいるかもしれないんですけど、まず入り口の通路に作品が一つあります。

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今、ピカピカ光ってるんですが、別室にコンピュータが置いてありまして、アルティアムからリアルタイムにTwitter上で十数ヶ国の言語の「光」という言葉をで監視していて、「光」という言葉を含むツィートが世界のどこかでつぶやかれた時にパネルが一瞬光る設定になっています。《window》というタイトルを付けたのですが、外から光を取り入れるための窓という存在と、かつてビル・ゲイツが自身が開発したデバイスに「windows」という名前を付けたように、「窓」には「新しい世界を覗き込む」というような意味もあるように思います。

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それと会場の外にも、小さい作品ですが写真作品を展示しています。

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これは重力を使った作品で、まず振り子の下に小さな点光源を付けて、さらにその下に上向に設置したカメラで20〜30分シャッターを開けっぱなしにして、振り子が描いていく軌道を撮影しています。振り子を1本の紐、2本、3本、またいろんな吊り方によって、様々な形が生まれてくるんです。

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例えば、生命の進化の過程で何かの要因があり枝分かれして、それが人間になったり、違う生物になったり、振り子の吊り方のバリエーションとしていろんな形ができたりする事が進化の一つのモデルの様に思え作品をつくりました。また最初の一瞬は僕が手を加えるんですけど、あとは重力が作品を決定してゆきます。僕は重力と生命の進化は深く関係していると思いますし、自然に任せて作品が成立していくということにも興味があります。

あとは会場の一番奥に作品があって、こちらはレーザーという特殊な光を使った作品です。

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例えば、屋外で晴れている日にビールやワインを飲んでいると、そのグラスに日光が当たって、テーブルにきれいな光の模様が出るのを見たという経験があるんじゃないかと思うんですが、基本的には、ここで起こっている現象は、その様な光がガラスに当たり、回折が起きているというシンプルなものです。日光だと、光源とガラスとの距離が少しでも遠ざかってしまうとすぐにぼやけて消えてしまうんです。日光には私たちが見ることのできるスペクトル、大体300〜800ナノメートルくらいが含まれているんですが、このレーザー光は、その中の532ナノメートルの波長だけを抽出して増幅した特殊な光です。たくさんある光の中から、たった1つの波長だけを抜き出した、言ってみれば「高純度な緑」なんですね。普段、身の回りにあってもすぐに消えてしまって見ることができないような現象が高純度な光を通すと見えてくるという作品になっています。

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(鈴田)ありがとうございます。やはり作家に解説を伺うと、また作品も違って見えてくるのではないかなと思います。ちなみに、お二人のご活躍を紹介したいんですが、堀尾さんは今ちょうど札幌で開催されている「札幌国際芸術祭2017」に参加されています。アルティアムの展覧会と同じ、10/1までの会期となっております。作品を2点出展されていて、非常にダイナミックな作品もございますので、ぜひご覧いただければと思います。志水さんは9/30から広島で個展を開催するご予定だとお聞きしています。

(志水さん)場所は、広島の廿日市にある「アートギャラリーミヤウチ」という、私の展示している空間の倍くらいの大きさの場所です。もしお近くに来る機会がありましたら、よろしくお願いします。

作品解説のあとは、来場者の質問などに気さくに答えていただきました。仕組みや仕掛けを知ると、より楽しめるところもあり、皆さま深く頷きながらお話を聞いていらっしゃいました。

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9/23(土・祝)には、再度お二人が登壇するトークセッションがあります。ぜひご予約の上、こちらにもご参加くださいね♪
実際に会場を訪れると、足を運んでみなければ分からない面白さを体感することができると思います。これは一体どうなっているんだろう…と興味がかき立てられる作品が並んでいますよ。会期が短いのでお見逃しのないように、会場に足をお運びください♪

【展覧会ページ】
Re-actions 志水児王・堀尾寛太
2017/9/2 − 10/1

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